新たな概念や発想を生み出そうとする「創造性」は、人間のみが持ちうるものだとされてきた。しかし近年の研究開発の進展によって、人工知能(AI)が、それらの分野に進出する可能性が生まれてきている。囲碁AI「アルファ碁」による人間のプロ棋士相手の勝利などは、それを裏付けるものだ。
「創造性」が求められる分野として、芸術やアートは誰もがイメージしやすいところだろう。ここで「AIはアート作品を作ることができるのか」という疑問が生まれる。高度な思索を伴う創作活動を、AIが「自ら考えて」行うことができるようになるとすれば、それは全く新たな芸術分野や美意識の登場を意味するのではないだろうか。
こうした問いを追求してきたのが、美術家の中ザワヒデキ(なかざわ・ひでき)さんと草刈ミカ(くさかり・みか)さんを発起人として、2016年に立ち上がった人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)だ。アーティストだけでなく、関連分野の研究者や技術者を招き議論を行ってきた同会は、2017〜18年に沖縄科学技術大学院大学で展覧会「人工知能美学芸術展」を催し、2月16日には東京・恵比寿でこの展覧会の記録集出版を記念する講演会を開いた。日常のあらゆる場面で自動化が浸透しつつある今、この講演会を通じて科学と芸術、そしてそれらの主体としての人間の未来を考えてみたい。
AIによる研究の自動化とその未来
複雑な現象を予測し、新理論の発見可能に
講演会の前半では、理化学研究所でバイオコンピューティング研究チームリーダーを務める高橋恒一(たかはし・こういち)さんによる講演『科学と技術の離婚』が行われた。ここでは人間の創造性によって大きく発展してきたもう一つの分野である、学術研究の自動化を軸に話題が提供された。
高橋さんはまず、AIを搭載したロボットによって行う生命科学研究「ロボティック・バイオロジー」について紹介した。生命科学の実験では、一定の訓練を積んだ人間にしかできない職人的な技能が求められるものが多く存在する。再生医療の基盤技術として期待されているiPS細胞に関する実験はその最たるものだ。極めてデリケートであるために、必要な数を培養し、目的とする組織や臓器を作るには熟練の技術者が必要とされる。
こうした操作を、AIを搭載したロボットにより自動化しようとする試みがロボティック・バイオロジーだ。すでに理化学研究所では、生命科学研究の自動化を目指すプロジェクトが始動しており、実験手順のプログラムをロボットに実装して、実験操作やデータ入力を行わせる段階に入っている。さらに将来的には実験操作の前段階、つまりすでに知られている事柄から仮説を立てる、実験計画さえも自動化可能となると考えられている。
ただ、AIが人の手に頼ることなく研究という活動を一から完遂する、というのは突拍子もないことにも思える。その実現にあたり必要なこととして高橋さんが考えるのは「自然科学とは何かを理解する」ことだ。そもそも自然科学とは、自然法則を数式や論文といった形に表現し直す「翻訳」作業と捉えられる。個別の法則を、理解可能なストーリーへ変換するためには、大量のデータが不可欠だ。
これは今のところ、人間の手による実験を何度も繰り返して得る必要があり、完全な自動化には至っていない。もうひとつ自動化されていないものが、法則と仮説を結びつける仮説生成というプロセスだ。ある法則に対して与えられうる説明は無数に存在するが、その中から条件に応じて最も蓋然(がいぜん)性の高いものを選び出さなければならない。
この点で生命科学、特に細胞を対象とする細胞生物学は、AIによる研究の対象として適していると高橋さんは語る。細胞は小さいため、実験室内であればさまざまな条件下でのデータを得ることが比較的容易だ。またその内部は構成要素が極めて多い複雑系であり、一度に大量のデータを扱えるAIとは相性が良い。これまで人間の手によって多くの知見が得られているので、AIが導いた結論を適宜補強・補正できることも強みだ。
では、こうした研究の自動化が進展すると、何が起こるのか。「複雑な現象を予測し、新たな理論を発見可能になる。ただし、その理論の原理を人間が理解できない可能性も出てくる」というのが高橋さんの予想だ。原理を人間が理解できない限り科学とは呼べないという見方もあるが、現象を予測し制御できた時点で、技術としては成立しうる。自然法則の理解、すなわち科学が技術と結びついたのは17世紀頃のことだが、AIによる学術研究の自動化が進むと「再び科学と技術との距離が離れていく可能性がある」(高橋さん)。
一方で、例えば「物事を理解する」ことは、AIの発展とは別に、人間独自の営みであり続けると考えられる。人間にとって理解とは何か、という根源的な問いが、大きなテーマとして浮かんでくるというわけだ。高橋さんは「今の科学研究は論理的、形式的な記述が中心となっている。将来的には理解することを理解する研究、例えば認知科学などの人の心に関する研究がより重要になってくるのではないか」と述べ、講演を締めくくった。
自動化の流れの中での創作の在り方
コンロン・ナンカロウのエピソードから考える
音楽は、比較的古くから人の手によらないパフォーマンスが試行されてきた芸術分野だ。中でもパンチ穴が空いたロール紙を回転させ音を出す「自動演奏ピアノ」は、人が直接演奏に関与しない点で、人の手によらない音楽活動の嚆矢(こうし)とされる。この自動演奏ピアノを用いて多くの楽曲を作曲したのが、メキシコを中心に活動した現代音楽家、コンロン・ナンカロウ(1912~1997)だ。
彼の手による楽曲には人間では演奏不可能なテンポやコード進行が多数含まれることに特徴があるが、彼自身の人となりや思想については知られていない面も多く、半ば伝説的な存在となっている。講演会の後半では、ナンカロウの夫人である杉浦洋(ヨーコ・スギウラ・ナンカロウ)さんを囲む座談会形式で、ナンカロウと自動ピアノに関する話題が展開した。
最初に、音楽評論家の五十嵐玄(いがらし・げん)さんが「ナンカロウさんは作曲にあたり、ピアノを直接触れて音を確かめるということはあったのか?それともアウトプットはもっぱら自動ピアノに任せていたのか?」と質問。これに杉浦さんは「自分から楽器に向かって演奏するということはなかったのではないか。彼はそもそも、ピアノを『人間が』弾く、ということに対して疑問を持っていたと思う」と述べた。杉浦さんによると、ナンカロウは自身の楽曲のテンポに演奏家たちが合わせられず、自分で作曲した音楽を聴くことができない、という悩みを抱いていたのだという。
ここで中ザワさんが、以前ナンカロウの楽曲を駆動するロール紙を展示した際に「ピアノにセットするロール紙には点々と穴が開いている。その様子は、非常に美しい図形が描画されているようにも見えた」と紹介。それを受けて草刈さんは「ある種の図形楽譜(注:図表やテキストなどによって記譜された楽譜)みたいなものかもしれない。自動ピアノというのは音を聞くのと同時に、ロール紙上の図を見ることができる点が面白く、また感動するところでもある」と述べた。楽曲におけるテンポ、つまり時間と音との関係性は、自動ピアノにセットされるロール紙からある程度類推できる。ナンカロウ本人も生前、自身の音楽について「ロール紙を見て、曲を聞いたら理解できるのではないか」と述べていたそうだ。
もちろん、実際の作曲にあたってはかなりの苦労があり、例えば3分間程の楽曲制作に何カ月もかかることはザラだったようだ。またロール紙への穴空けにも通常の穴明け機械ではなく、精密工学の研究者の助けを得て改良したものを使っていたという。その上で杉浦さんは「当時、他のテクノロジーがあれば彼にどんなに役に立ったろうか。だからもし彼が現代に生きていれば、例えばAIとかにはものすごく興味を持ったと思います」と述懐した。
座談会の後半、杉浦さんはナンカロウの思想が垣間見える、あるエピソードを紹介した。生前、彼はコンピューターを扱う若手の作曲家たちについて「なぜ自分で作曲するためではなく、楽曲をシミュレートするためにしか使っていないのだろう?」と非常に不思議がっていたのだという。
ナンカロウにとっては、自分が創造したリズムやテンポを音楽として表現するために、自動演奏ピアノという人ではない存在が必要だった、というわけだ。中ザワさんも終盤「新しい技術に対して積極的であったこと、自動演奏ピアノを作曲のツールとして想定する人がいなかった時期にその用途に着目したことから、ナンカロウはAI音楽の先駆と捉えられるのではないか」と述べた。
「新しい生活様式」、人間とAIはどう協働するか
ナンカロウと自動ピアノの関係は、AI時代における「創造性」のあり方についてひとつのヒントを提示する。AIによるパフォーマンスを想定することで、人間の思考を拡張するためにAIをどう生かすかの方法論が浮かび上がってくるのだ。将来において、自律駆動するAIが人間のそれと全く異質な芸術を生み出す可能性も興味深い。
同じことは学術研究にも言える。前半高橋さんが示唆したように、これまでなされた発見や予測をAIが検証する、あるいはその逆も考えられる。もちろんAIが得意とする大量のデータ解析は、生命科学をはじめとする自然科学だけでなく、社会学や政治学といった人文科学にも応用可能となるだろう。
社会にAIが浸透する中で、学術研究や芸術の枠組みは今後大きく変化すると予想される。我々の暮らしを激変させた、昨今の新型コロナウイルス禍もこの流れを後押しするだろう。いわゆる「新しい生活様式」の中で、AIが人間の知的活動とどのように協同していくのか、今後とも注視していきたい。