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大気汚染物質をそっくり減らすと地球温暖化が進むという「不都合な真実」

2019.02.13

保坂直紀 / サイエンスポータル編集部

 大気中の二酸化炭素が増えれば地球温暖化は進んでしまう。だから、私たちはできるだけ二酸化炭素を排出しない暮らしをしよう。これが世界の流れだ。だが、地球温暖化の進み具合は、二酸化炭素だけで決まるわけではない。健康被害などを抑えるために工場や自動車などから出る大気汚染物質を減らすと、地球温暖化を進めてしまう場合があることが、最近の研究でかなり細かくわかってきた。

地球の気候を狂わすのは二酸化炭素だけではない

 地球は、太陽から来る光で温められている。その光は大気中で熱に変わって蓄えられ、温まった地面もまた大気に熱を渡し、太陽から来た熱と同じ量の熱が宇宙に出ていく。そのバランスで地球の気温は決まる。大気中に二酸化炭素が増えると、大気の最下層である「対流圏」にたまる熱が増え、私たちが暮らしている地表付近の気温は高くなる。対流圏の上にある「成層圏」の気温は下がる。これが地球温暖化だ。熱のたまり具合のバランスが崩れるのだ。

 このように地球本来の熱のバランスを崩す大気中の物質は、二酸化炭素だけではない。工場の煙突などから出る黒い小さなすすは、大気中に浮遊していると、太陽光を吸収して大気を暖める。石油を燃やしたときなどに発生する硫酸成分が変化した「硫酸塩(りゅうさんえん)」とよばれる粒子のグループも、太陽からの光を遮って、やはり大気中の熱のバランスを変えてしまう。物の燃焼で生ずる硝酸成分による「硝酸塩(しょうさんえん)」も同様だ。

近い将来の温暖化抑制で注目される大気汚染物質

 黒いすすや硫酸塩、硝酸塩は、健康被害をもたらす大気汚染物質だ。日本などの先進国では排出を抑える対策が進んできたが、途上国ではまだまだだ。世界保健機関(WHO)は2018年5月、世界の人口の9割がこうした汚れた空気を吸っており、それによる死者は年間700万人にのぼっていると発表した。だから、大気汚染物質は世界的に削減が求められている。当然のことだ。

 その一方で、これらの大気汚染物質は「短寿命気候汚染物質」でもある。短寿命気候汚染物質とは、地球温暖化に影響を与える大気中の物質のうちで、大気中にとどまる時間が比較的短いものを指す。二酸化炭素は、いちど大気中に出てしまうと、数十年にわたって大気中にとどまる。こちらは「長寿命」の温室効果ガスだ。一方、小さなすすや硫酸塩などは、いったん大気中に放出されても、数日からせいぜい10年くらいの短期間で大気からなくなってしまう。雨で洗い流されたり、自分の重さで落ちたりするためだ。

 このさき50年、100年といった遠い将来を考えた場合、地球温暖化の抑制にもっとも大きな効果があるのは二酸化炭素の排出削減だ。しかし、2040年前後には、二酸化炭素の排出量にかかわらず、産業革命前に比べて、いったんは2度くらい気温が上昇してしまうと予測されている。気温が2度上がれば、日本周辺では強い雨の激しさが1割増しになるという研究結果もある。気象災害に直結しかねない近未来の「2度上昇」を抑えるには、即効性がある「短寿命」気候汚染物質のコントロールが有力な選択肢になる。

大気汚染対策が温暖化を進めてしまう

 大気汚染物質が気候をも「汚染」するなら、それを取り除いて一挙両得——。話はそう単純ではないらしい。健康への悪影響などを考えてすすや硫酸塩、硝酸塩などを減らすと地球温暖化は進んでしまうことが、最近の研究でわかってきた。大気汚染の解決と地球温暖化の抑制が両立しないという「不都合な真実」がみえてきたのだ。

 九州大学応用力学研究所の竹村俊彦(たけむら としひこ)教授らの研究グループは、世界のどこで、どれくらいの量の大気汚染物質が発生しているかを推定したデータをもとに、将来の地球温暖化の進み具合をコンピューターで予測した。その際、黒いすすや硫酸塩の量を増減させてみて、その気候への影響を調べた。

「黒いすす」を減らしても、温暖化抑制にはあまり役立たない

 その結果で象徴的なのが「黒いすす」の影響だ。太陽光を吸収する黒いすすを減らしても、温暖化抑制の効果は思ったほど表れないようなのだ。

 大型トラックなどが加速するとき、もくもくと黒い排ガスを出すことがある。この色の正体が「黒いすす」で、ブラックカーボンともよばれる。大気中に浮遊している黒いすすは太陽光を吸収するので、大気を暖め、地球温暖化を進める原因物質だと考えられてきた。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書などでも、そう指摘されている。国立環境研究所と海洋研究開発機構の研究グループもこの「黒いすす」に注目し、地球温暖化がとくに進む北極圏に到達するすすの出所を探る研究を行っている。

図1 「黒いすす(ブラックカーボン)」は、私たち人間の活動や森林火災など、さまざまな原因で大気に放出されている。ここでは、地球温暖化がとくに進む北極圏に運ばれるすすに注目している。(国立環境研究所などのプレスリリースより)
図1 「黒いすす(ブラックカーボン)」は、私たち人間の活動や森林火災など、さまざまな原因で大気に放出されている。ここでは、地球温暖化がとくに進む北極圏に運ばれるすすに注目している。(国立環境研究所などのプレスリリースより)

 こうした事情から、「黒いすすの削減は温暖化防止に効果的だ」と多くの人が考えている。だが、黒いすすは、雲の発生にも影響を与える。そうした複雑な気象のしくみを考慮に入れて竹村さんらがシミュレーションを行ったところ、思ったほど効果的ではなかったのだ。

 黒いすすがたくさんあると、低高度と高高度の気温のバランスが変わって、雨は降りにくくなる。水蒸気は雨になるとき熱を出すので、雨が少なくなれば、放出する熱が減って大気は暖まりにくくなる。つまり、黒いすすには間接的に大気を冷やす働きもある。だから、黒いすすを減らすと、そのぶんだけ大気の温度が上がってしまう。

図2 地球を覆う「黒いすす」の分布をコンピューターシミュレーションで推定した結果。1年の平均的な状態。たとえば「5」という数字は、地上から上空まで足し合わせると、1平方メートルあたり5ミリグラムのすすが浮いているという意味。中国やインド、アフリカ中央部で、とくに多い。(竹村俊彦・九州大学応用力学研究所教授提供)
図2 地球を覆う「黒いすす」の分布をコンピューターシミュレーションで推定した結果。1年の平均的な状態。たとえば「5」という数字は、地上から上空まで足し合わせると、1平方メートルあたり5ミリグラムのすすが浮いているという意味。中国やインド、アフリカ中央部で、とくに多い。(竹村俊彦・九州大学応用力学研究所教授提供)

 黒いすすの減少が地球温暖化を進める要因は、これ以外にもいくつかある。黒いすすには、たしかに太陽光を吸収して大気を暖める働きがあるのだが、一方で、まわりまわって大気を冷やすことになる間接的な効果ももっている。これらを足し合わせると、結局のところ、黒いすすを減らしても、地球温暖化の抑制にはほとんどならないことがわかった。自動車や工場から出る黒いすすを減らせば空気もきれいになるし、地球温暖化の抑制にも大きく貢献できるというかつての単純なシナリオは、成立しないのだ。竹村さんによると、考えうるさまざまな大気の反応をこのように取り入れて、黒いすすが気候の変化に与える影響を量的に求めたのは初めてなのだという。

 このほか、硫酸塩のもとになる二酸化硫黄の排出を減らすと、地表に届く太陽光が増えて、地球温暖化が加速されてしまうこともわかった。また、光化学スモッグなどの原因になる二酸化窒素を減らすと、大気中のメタンが分解される反応が進みにくくなり、大気中のメタンが増える。メタンは強力に大気を暖める気体なので、地球温暖化が進んでしまう。

 さらに雲が事情を複雑にする。大気中を浮遊するこれらの大気汚染物質はエーロゾル(エアロゾル)とよばれ、その周りに大気中の水蒸気がくっついて水や氷の小さな粒になる。その集まりが雲だ。雲ができると、太陽光は地面に届きにくくなる。その一方で、地面から放射される赤外線を吸収して大気を保温する働きもある。雲のでき具合は、気候を大きく左右する。エーロゾルは、それ自身が太陽光を吸収や反射、散乱したりするだけでなく、雲の生成を通して気候に複雑な影響を与える。

 大気汚染物質は、このように複雑な連鎖で地球の気候と関係している。最近になって、その連鎖のしくみがかなり正確にわかってきた。さらに、コンピューターの性能も上がった。こうしたなかで進められた竹村さんらの研究により、この「不都合な真実」があきらかになってきた。もし、石油や石炭などの化石燃料を現在のように使い続け、その際に、健康被害につながる黒いすす、硫酸塩、硝酸塩などをいっせいに取り除けば、このような大気汚染対策を取ったばかりに、地球温暖化を余計に進めてしまうことになる。二酸化炭素は増え続けるので温暖化は進行し、そのうえ、地球を冷やす効果をもっていた大気汚染物質も取り除かれてしまうからだ。

地球温暖化の短期抑制には大気汚染物質の最適な「調合」が必要

 竹村さんらの研究は、今年度まで5年にわたって続いた環境省の研究プロジェクトとして進められた。今回の結果をもとに、研究プロジェクトの代表を務める宇宙航空研究開発機構地球観測研究センターの中島映至(なかじま てるゆき)特任教授は、「近未来の地球温暖化を抑制したいなら、大気汚染物質のどの成分を優先して削減するかを考える必要がある」という。

 硫酸塩と硝酸塩は、減らしすぎると温暖化を進めてしまうので、削減はほどほどにしておく。黒いすすは徹底的に減らす。その実現のために、家庭の熱源にまきを使っている国や地域では、できるだけ電化を進める。もちろん二酸化炭素の排出は減らす必要があり、そのためには太陽光発電などの再生可能エネルギーを積極的に利用する。地球温暖化対策は、「黒いすすを減らす」「硫酸塩も減らす」といった単線的な取り組みではなく、個々の削減量の最適な組み合わせを考える「調合」の段階に来ていると、中島さんはいう。

 大気汚染物質を減らすと地球温暖化が進む。最新の科学があきらかにしたこの「不都合な真実」にどう対処していくかを決めるのは、科学ではなく社会であり、政治の仕事だ。科学はその判断のための根拠を提供する。産業革命前からの気温の上昇を2度以下に抑えるというパリ協定の目標と、大気汚染による健康被害の軽減が両立しないなら、そのどこに着地点をみつけるのか。短寿命気候汚染物質の議論がターゲットとすべきは、10年後、20年後の近未来だ。東京オリンピックが開かれる2020年のすぐ先の話なのだ。お祭り騒ぎに浮かれているうちに「不都合な真実」を忘れてしまった。そんな不都合が起きないようにしたい。

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