科学技術分野でジェンダー(社会的性差)の平等を実現するために、2011年から開催されているジェンダーサミット。3年前に日本で初めて開催された同サミット10以降、毎年フォローアップシンポジウムが開催されている。今年は8月31日に「壁を越えるージェンダーがつなぐ未来へ」をテーマに日本学術会議主催、科学技術振興機構(JST)共催でオンライン開催となった。今年は3回目で最後となる。ジェンダー平等がこれまでどの程度浸透してきたのか、その成果を振り返るとともに、パネル討論では未来へ向けた新しい指針が若い世代を中心に話し合われた。
誤った観念のもと、依然存在する不平等
シンポジウムは3つの講演と若い世代中心のパネル討論とで構成。日本学術会議副会長(当時)・JST副理事の渡辺美代子さんは趣旨説明で、社会が変わっていくためには、見えないものに着目することが必要だと主張した。見えないものとは、例えば、人の心、取り残されがちな人々や地域だという。それらの壁を乗り越えていくために、「ジェンダーの視点は必要か」という問題に対して講演やパネル討論から答えが得られるのでは、と期待を寄せた。
冒頭で、日本学術会議会長・京都大学総長(ともに当時)の山極壽一さんは、発展途上国などを含めて多くの国や地域で誤った観念のもとに依然としてジェンダー不平等が存在するが、未来に豊かな社会を作るためにはジェンダー平等についてきちんと考えていかなければならないと問題提起し、活発な議論を期待していると挨拶した。
JST理事長の濵口道成さんは、JSTからの報告として、「輝く女性研究者賞(ジュン アシダ賞)」の創設と、日本科学未来館に女性館長を迎える予定であることを披露した。同賞は持続的な社会と未来に貢献する優れた女性研究者やその活動を推進する機関に贈られる。今年度は第2回目で11月の表彰式へ向けた準備が進められている。日本科学未来館の新しい館長は同賞の選考委員を務める浅川智恵子さん(米IBM T.J.ワトソン研究所フェロー)。2021年度からの就任予定だ。
差別や格差の改善は問題に気付くことから
最初は米国シアトルからの参加で、米グーグル技術者の岩尾エマはるかさんが、「コンピューターサイエンスが越える科学の壁」をテーマに講演した。昨年3月に円周率の計算で31兆桁の世界記録を作ったことで有名になった。
その後、属性に注目されることに気付いたという岩尾さん。ある時は「日本人女性」として、またある時は「クィア(セクシュアルマイノリティの総称)」としてである。岩尾さんには同性のパートナーがいるためだ。
「コンピューターサイエンスの世界は女性の活躍が決して少なかったわけではない」と岩尾さん。コンピューターが開発された最初の頃のソフトウエアエンジニアは女性だったことや、尊敬する人として米航空宇宙局(NASA)でアポロ宇宙船の女性プログラマーが紹介された。
このように女性が活躍できていたコンピューターサイエンスだが、1980年代頃から女性の比率が下がり始めたと岩尾さんは指摘。理由としては業界のマーケティングターゲットが男子だったことから、女子はコンピューターを手にする機会が少なかったことを挙げ、環境要因が大きく影響することに言及した。
岩尾さんは「男女差別や格差は依然として日米や業界に関わらず残っている。これを改善するには問題を問題として気付くことが重要。そして解決するには教育や仕組みづくりをすることだ」と持論を展開した。
経済低迷から脱するには女性の地位向上を
2人目は立命館大学アジア太平洋大学学長の出口治明さんで「越えられそうで越えられない産学の壁」をテーマに講演した。日本の天皇家の先祖は女性の天照大神と考えられており、元々は女性が強い国だと出口さんは主張。ところが、世界経済フォーラムの「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」が日本は153カ国のうち121位で、先進国では最下位だったことを例にとり、なぜ女性の地位がこんなにも低くなってしまったのかと疑問を投げかけた。
その答えは明治維新にさかのぼる。当時は近代国家を作るために、朱子学を導入したことにある。朱子学は男尊女卑の思想で知られている。この思想を基に天皇制と家制度を設計し、夫婦同姓が定着した歴史を出口さんは紹介した。さらに、第2次世界大戦後の日本における製造業を主軸にした復興計画によって、男性は仕事、女性は家を守るという構図ができあがったと述べた。
出口さんは「家事・育児・介護がすべて女性の肩にのしかかる社会常識を生む社会では、女性はたくさん子どもを産むはずがない」と少子化問題の原因について触れ、それは経済低迷の根本原因でもあると喝破した。日本が経済の低迷から脱するためには、女性の地位向上、ダイバーシティ、それぞれの個人がアイデア創出のために勉強することだと述べた。
多数派ではないことを強みにする
3つ目の講演には国境なき医師団日本元会長を務めていた黒崎伸子さんが登壇した。テーマは「国境なき医師団が越える壁」で、世界各国で活動した経験を基に、さまざまな地域における女性の生きづらさを紹介した。
医療的・医学的には性差があるのを当然としつつも、黒崎さんは世界のさまざまな国や地域で医療的にも人道的にも問題があると考えている。医療的問題として例に挙げたのは中絶問題だ。世界では数多くの女性が危険な中絶をし、妊婦の5大死因の一つになっているという。
人道的問題の例は、2011年から始まった「アラブの春」と呼ばれる民主化運動で、難民が地中海を渡り欧州へと逃れようとしたとき、「小さな子どもや妊婦も含む女性たちとの船には瀕死の状態の人も含まれていて、陸に無事にたどり着けたとしても(心身共に)きちんとしたケアが受けられない」として、「あまり報道はされていないが、こういう状況はもっと理解されるべきだ」と強調した。
さらに「equality(平等)やequity(公平さ)ではなくバリアを取り除くことを目指すべきだ」などと問題提起し、「同じ人だけの議論ではなく、マイノリティ(少数派)の意見が反映される場を作ること」「自身が多数派ではないことを認識することで、それを強みにすること」などと見解を述べた。
「女性に教育をさせると生意気になる」という風潮
シンポジウムの後半は、「若者が越えるジェンダーとジェネレーションの壁」をテーマにパネル討論が行われた。ファシリテーターは東京大学物性研究所所長・教授の森初果さんと日本IBM技術理事の行木陽子さんの2人。パネリストはNPO法人3keys代表理事の森山誉恵さん、ベンチャーキャピタルのBeyond Next Ventures執行役員の盛島真由さん、日本IBM・HRコンサルタントの中村芽莉さん、大阪大学准教授の石瀬寛和さん、国立感染症研究所主任研究官の神谷元さんの5人。それぞれに、これまでに経験してきた壁や、それをどのように乗り越えてきたかを紹介しあった。
社会人になってまだそんなに時間が経っていないという中村さんは、「日本では教育現場よりも、社会に出てからのほうが壁を感じることが多くなるのでは」と述べた。理由は、社会では人とのコミュニケーションを踏まえたうえで成果を出さなくてはならないから。女性のロールモデルが見つからなければどのように働くか、どのように生きるかなどで壁にぶつかるかもしれないと、将来への不安な気持ちをのぞかせていた。
一方で、「日本では強いパッション(情熱)のある女性リーダーが、働き方や子育ての文脈で立ち上がるケースが多い」と発言したのはNPO法人代表として活躍する森山さん。壁にぶつかった時に乗り越える方法は、「常識は世代や男女のパワーバランスによって違うので、悩んだ時は知識やデータを判断材料としている」と強く語った。
女性ということで最も壁を感じたのは幼少期だったと話すのは、ベンチャーキャピタルの仕事をしている盛島さん。田舎で育ったという盛島さんは、「女性に教育をさせると生意気になる」という風潮があったと話し、その影響で、「がつがつ勉強することはよくないこと」だと長年考えていたと明かした。その考えが一変したのは大学に入学したことがきっかけで、男性、女性、留学生が入り乱れ、個性豊かな人たちがそろっていたという。
新しいパッションで新しい世界を築く
元々は小児科医だったという神谷さんは米国に留学していた時に、日本との大きな違いを感じたという。留学先では日本人はマイノリティだ。米国ではエビデンスに基づいた意見を言えば、それが若者や経験の浅い人の意見でも聞いてもらえるという。日本ではあまり考えられない光景である。ただし、神谷さんは「公平に発言する権利が与えられても、責任ある発言をして義務を果たさないと権利はなくなる」と、公平な中に潜む厳しさに言及した。
同じ研究者同士で結婚し、家事・育児はほぼ半々で役割分担しているという石瀬さんの壁は、研究と家庭の両立だという。石瀬さんは男性だが、一般的には女性の方が壁と感じることが多いように思う。石瀬さんの場合は、「夫婦どちらも研究者としてやっていきたいので、それをどのように解決していくかは2人で考えてきた結果だ」と自信をのぞかせた。石瀬さんには博士課程の時の上司が女性で、その夫も同じ研究者であったという身近なロールモデルがいたことが大きく影響したことを明かした。
ファシリテーターの行木さんはパネル討論の最後に、「大きな組織で何かを変えるのは難しいことだが、臨機応変に小回りが利く組織を醸成することで、そこから何かが芽生えるかもしれない」と述べた。また、森さんは「若い人たちは新しいパッションを持って新しい世界を築いていると心強く感じた」と将来に期待が持てると評した。
壁は壊すものか、ブリッジを渡すものか
シンポジウム終盤は2人からのコメントが披露された。京都産業大学教授でダイバーシティ推進室長の伊藤公雄さんは、「日本社会のジェンダー政策は一挙に解決する方法がない。(このシンポジウムのような)コミュニケーションの場を適宜設定して問題を洗い出しながら解決するのが早道だ」と述べた。
情報・システム研究機構長の藤井良一さんは、「若者は自分たちの考え方ややり方を重視して進めてもらいたい。その時、社会のいろいろな締め付けがあると思うが、自己抑制せずにしっかりと自分を持って進んでほしい」と若い世代へ向けてエールを送った。
最後に、甲南大学教授の井野瀬久美恵さんが閉会の挨拶を述べた。「壁は壊すものなのか、あるいはブリッジ(2017年ジェンダーサミット東京宣言の合言葉)を渡すものなのか」と、疑問を投げかけシンポジウムを終えた。
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