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理数離れと日本の技術力(西村和雄 氏 / 京都大学 名誉教授、京都大学経済研究所 特任教授)

2013.03.21

西村和雄 氏 / 京都大学 名誉教授、京都大学経済研究所 特任教授

京都大学 名誉教授、京都大学経済研究所 特任教授 西村和雄 氏
西村和雄 氏

理数離れがもたらした家電企業の競争力低下

 かつて、日本のお家芸であった電機業界の大手家電メーカーが、昨年巨額の最終赤字を出した。大手家電メーカーは、2000年はじめに業績悪化した際に大リストラによって業績回復を果たしたが、有能な社員・技術者から辞めていった。その結果、技術力の低下を招いたことは容易に想像できる。そして今回の業績不振である。この間進行していた円高の影響が大きいが、そのほかの要因も見ておくことは、今後の対策を考えるうえで重要である。

 ここ10年以上、日本の大学の工学部は志望者数の減少に悩んでいた。中でも、かつての花形である電気系学科では希望者が減少し、進学者の質の低下に苦しんできた。今や大学院は、日本人学生よりも中国からの留学生が中心となっている大学も多い。リストラを行った企業は、失った有能な技術者を補う日本人若手技術者を採用することができなかったことになる。

 2010年のパナソニックの採用方針の転換も、この間に進行していた日本人技術者不足を裏付けるものである。パナソニックは、2011年度新卒採用1,390人のうち、海外で採用する外国人を1,100人とすることを発表した。残る日本国内の新卒採用290人も、国籍を問わず留学生を積極的に採用する。1986年には4人の外国人技術者を雇うことが記事になるくらいであったパナソニックが、ついに8割を外国人の採用にするようになったことは、“パナソニック・ショック”として受け止められた。

 「外国人で技術者不足をカバーしたい」とは、1980年代から言われていた。90年代には、「理工系大学の卒業生から優秀な人材を採れなくなっている」と、日本の製造業大手各社の多くが口をそろえて言う状況であった。それにもかかわらず、学力低下を放置したことにより、日本の技術者が不足してきた。そのつけがパナソニック・ショックであった。家電メーカーの巨額の赤字が、ただでさえ不足しつつある技術者の一層の流失を促すことになりはしないか不安である。

 日本は科学技術立国を標榜(ひょうぼう)しているのに、かくにも若者の理工系離れは深刻である。

 1970年代までは物理の履修率は90%を超えていた。高校生は、ほぼ全員、物理の授業をとっていたのである。それが、今では10%台しか物理を履修していないという数字もある。

 産業界、文部科学省、経済産業省、そして関係する理科系の学会も、理数離れを食い止めるために、あれこれと取り組んでいる。それにもかかわらず、高校で物理の履修率は依然として低く、この傾向が変わる気配はない。

 技術者の不足と、技術力の低下は、日本の産業と経済の競争力を奪いつつある。日本の科学技術の発展を考えるとき、ノーベル賞受賞者の数を増やすことも重要なことだが、理数教科のカリキュラムを充実させ、将来優秀な科学者になる学生を作り出す基盤がなければ元も子もない。

なぜ理数科目ははやらない

 1979年に国立大学の共通一次試験が始まり国立離れとともに、国立を志願せずに最初から私立大学のみを志望する学生が増加してきた。それ以来、受験科目にない数学や理科を高校の一年生の段階から捨てて、まったく勉強しないで済ませる傾向が増えている。

 理科の履修率が下がったもう一つの要因は、1982年の4月から実施された指導要領により、高校の履修科目における選択制が拡大したことにある。それ以前は、高校2年の終わりまでは、文系も理系も原則的には同じ科目を履修していた。しかし、1982年以降は、共通必修課目を高校1年のみにして、高校2年と3年は選択科目を中心に学習することになり、理科の履修率は1982年を境にして大きく低下し始めたのだ。

 深刻なのは理数系の他の科目も変わらない。理科系の学科に進む学生ですら、微分・積分などの数Ⅲを履修していなかったり、大学側も理系の入学試験をたかだか1科目しか課していないところが少なからずある。入学試験科目の対象にならないという理由から、物理、化学、生物のいずれかしか履修しない理系大学生が多くいる。理工系志望者が少ないため、理工系学部が受験者を集めるために入学試験科目を削減しなければならなくなり、それによって物理を学んだことのない理系大学生が生まれているのである。

理科3科目の学習が望まれる

 理科離れを食い止めるには、漠然と理科を対象にするのではなく、少なくとも、生物、化学、物理の3科目について効率的なカリキュラムを提唱する必要があろう。

 現代では、生物学は以前のような分類の学問ではなくなっている。生物学の先端分野においては化学、物理の知識が不可欠である。

 千葉県のある県立高校では、理系学部志望者は、物理、化学、生物、地学の4科目を、全員が学習している。物理、化学は2年次から学習するが、多くの学生が、受験科目としても選んでいる。

 また、東北地方のある高専では、1年生が物理の基礎を学習し、2年次の物理、化学、生物の学習につなげている。高専の1年生は中学を卒業したばかりである。普通高校の1年生でもできないことはないはずである。

 全ての高校がこれにならうのは無理としても、主要な進学校で、理系学部志望者が物理、化学、生物の全てを学習するようになれば、物理の履修率も自ずと上がり、将来の日本の科学・技術の発展にもつながるというものである。

 私たちが調査した結果では、理系学部卒業者の方が文系学部卒業者より年収が高く、数学が得意な文系学部卒業者は、そうでないものより年収が高かった。次代を背負う中・高校生には、文系・理系を問わず幅広く理数科目を勉強してほしいものだ。

京都大学 名誉教授、京都大学経済研究所 特任教授 西村和雄 氏
西村和雄 氏
(にしむら かずお)

西村和雄(にしむら かずお) 氏プロフィール
札幌市生まれ。札幌市立旭丘高校卒。1970年東京大学農学部農業経済学科卒、72年東京大学農学部大学院修士課程修了、米ロチェスター大学大学院経済学研究科博士課程修了、Ph.D。日本、カナダ、米国の大学で教えた後、87年から京都大学経済研究所教授。2006-09年京都大学経済研究所 所長。ウィーン大学客員教授、パリ第一大学客員教授など。10年から京都大学経済研究所特任教授、京都大学名誉教授。日本学士院会員。2000-01年日本経済学会会長、06年に国際教育学会会長。専門の経済学だけでなく教育にも関心が深く、1999年出版の『分数ができない大学生』(岡部恒治、戸瀬信之共編、東洋経済新報社)は大きな反響を呼ぶ。『ミクロ経済学入門』(岩波書店)、『学力低下が国を滅ぼす」(編著、日本経済新聞社)『「本当の生きる力」を与える教育とは』(編著、日本経済新聞社)、『経済学思考が身につく100の法則』(ダイヤモンド社)など著書多数。

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