“日本人はなぜかつお節のだしが好きなのか。”
私の博士論文のきっかけとなったテーマである。
食品企業に入社してまもなく和風だしの素「ほんだし」が発売された。家庭や外食産業に大変な勢いで普及し定着していくのを目の当たりにしながら、日本人の「かつおの味と風味への強い執着」を肌で感じ、一生活者としてまた一企業人として、ずっと気になっていた。
私の歩み
研究所を皮切りに、本社広報部に異動し食と科学中心にマスコミの対応を手掛け、その後食の文化活動に携わり、最近企業生活を締めくくった。
研究所での最初の仕事は、うま味の主成分である核酸関連物質の分離精製に関するものであった。当時はこの核酸なるものが、かつお節の代表的なうま味成分であるなどということなど知る由もなかったが、今思うとそのころからカツオとの縁があったように思う。
子供ができた直後、縁あって本社広報部に異動した。当時は、理系女性が企業の広報で働くということも、社内での母親社員の存在そのものも、女性社員の事業所間異動も、ほとんど例がなく、マスコミに騒がれ突然新聞紙上に登場させられた。社内外の要請の大きさを遅ればせながら知った次第である。曲がりなりにも、母親であり主婦であり、少しは理系の知識もあるということで重宝されたようである。私自身もそのことに応えられるよう、張りきった。相手の心に届く広報を常に心がけながら、食を中心に社内外の情報を収集、解析、広報し、それがマスコミを通して世の中に流布されていくことにたまらない充実感を感じていた。一方で、一時も気を抜けない緊張感を感じていたのも事実である。
この時期に社内で食の文化活動が始まり、当然広報活動としても視野に入れていくようになった。15年余に及んだ広報時代の人脈の広がりは、今も私にとってかけがえのない財産である。
その後、企業生活を食の文化活動で締めくくろうと異動した矢先、母校から強く薦められ、2度目の学生生活を送ることになった。ちょうど社内では女性で初めてのセンター長を委嘱され、2足のわらじをはくことに不安ととまどいもあったが、社内からの勧めもありやってみることにした。
「カツオ」という魚に魅せられ、学位取得と広報活動
博士課程での研究課題は、かつお節のだしについて、調理科学的研究と食文化的研究をクロスオーバーさせながら考察していくというものであった。調理科学の方は、母校の研究室の力を総動員して多くを学ばせてもらった。一学生に戻り、若い後輩たちと一緒になって“研究らしきこと”をするのが楽しくて仕方なかった。一方、食文化については幸運にも、食の文化活動を通して第一線の先生方と日常的に接点があったので、必要に応じてそれぞれの研究手法の教えを請うて研究を進めていくことができた。研究とはほとんど縁のない人間が、今まで試みられていない新規テーマで博士課程に挑むのだから、指導教官をはじめ周囲はどんなに大変なことだったかと思う。感謝以外の何ものもない。
だしの官能評価やサンプル調製、かつお節製造工場での実体験、かつお節造りの起源を持つといわれるモルディブでの現地調査、江戸時代を中心とした歴史資料調査などなど研究の間口は限りなく広い。掘り下げていくうちに次々課題が浮かび上がり、さらに調査を進める“研究”が新鮮で楽しくて仕方なかった。
面白さが高じて、別仕立てで「かつおフォーラム」を企画し、研究者、実践者、歴史家、教育者など、かつおに関係するあらゆる分野の方々に参集いただき討議をする機会を持ち、開催記録本も刊行した。回を重ねるごと会場を変えなければならないほどの盛会さ、参加者のただならぬ熱の入れように畏怖(いふ)の念さえ覚えた。かつお節やだしとして日本人の食の中核を担ってきたカツオという魚に私自身がすっかり魅せられ、自身の研究にもおのずと熱が入っていった。
広報に長く在籍し、食を通して玉石混交の情報があふれる社会の実態を見てきたこともあり、新知見が見えてくると、独り占めするのではなく広く世間に知らしめたい、特に、次代を担う子供たちにはぜひ知ってほしいという思いに駆られ、自然に体が動いてしまう。結局、最終的には“かつおだし”の映像制作も手がけ、文科省のお墨付きももらった。直後に再び母校の恩師に勧められ、日本調理科学会40周年記念事業の一環として、拙著「だしの秘密」(建帛社)の刊行も果たすことができた。私にとっては相当な難題であったが、多くの方々の助力のお陰で、幸運にも日本図書館協会の選定図書ともなった。
今思うこと
研究所から広報部に異動し、研究所と世の中で扱われる情報のギャップに衝撃を受けた。情報の危うさゆえに、このギャップを埋めていくのがミッションであると考え、研究所のデータも可能な範囲で次々開示していった。その後母校の薦めで、博士課程に進むことになったが、これは全く予想だにしなかったことである。母校に対してはもちろん、会社側の深い理解にも心底感謝している。“機会は決して逃さないこと!”と事あるごとに後輩に言ってきたことを実践できて、そのことがうれしい。
学位取得後、席が温まる間もないほど、講演・講義依頼が舞い込んだ。もしかしたらこの研究は世の中のためになっているかもしれない!ことをあらためて実感した。小学生から大人までたくさんの方々に聞いてもらったが、特に中学・高校生の反応は鋭く、はこちらが慌てるほどである。あるスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定高校で理系の生徒たちに5年間授業をさせてもらったが、1時間の授業のうちに50くらいの質問を浴びせられる。理系の分野に深入りしてしまいがちな彼らが、広く食文化にも関心の目が向いてきていることを実感する、と先生方も喜んでくださった。
研究という意味ではまったくの駆け出しであるが、得たものの大きさを今実感している。食べることは生き方の原点であり、文化そのものであると私は考える。経済効率最優先で歩んできた現状への反省から、食に関しても、培われてきた文化を見直す機運が出てきたことは歓迎すべきことである。幸いにも、経済至上主義のあおりを真っ向から受けて生まれ育った若者ほど、文化的視点も柔軟に受け入れてくれることを、私自身体験的に学んできた。
若者に負けないようにさらなる研さんを積むとともに、企業という場を通して得た計り知れない財産を、普及・啓発活動を推し進めながら、社会に恩返ししてゆく責務をいま強く感じている。
河野一世(こうの かずよ) 氏のプロフィール
神奈川県立横須賀高校卒、1969年お茶の水女子大学家政学部(現・生活科学部)食物学科卒、味の素株式会社中央研究所入社。83年本社広報室へ異動し、主に食と科学中心にマスコミ対応業務を担当。99年財団法人味の素食の文化センターに異動。2002年同センター専務理事。同年お茶の水女子大学人間文化研究科環境人間科学専攻過程に入学、05年学位取得(学術博士)。06年味の素食の文化センター専務理事退任。現在、大妻女子大学、共立女子短期大学非常勤講師。専門は食文化、調理科学。著書に『だしの秘密』(建帛社)、『調理とおいしさの科学』(共著、朝倉書店)、『味の秘密をさぐる』(共著、丸善出版)、『フードデザイン21』(共著、サイエンスフォーラム)、『化学ってそういうこと!』(共著、化学同人)など。