若山正人氏は数学者である。数学をあえて「純粋数学」と「応用数学」に分けるならずっと純粋研究者であり続けた。大学の経営・管理者の立場にもなった今、ガリレオの「宇宙は数学という言語で書かれている」を引用しながら、「数学は言葉」と言い、自然科学分野だけにとどまらない数学の可能性と役割を信じる。そして「数学は社会の課題解決につながる」と説く。AI、IoTの時代になり世の中がさらに便利になっていく現代だからこそ「先端技術がブラックボックスになってはならない」と強調する。新時代を向かえて数学が果たす役割、「数学の力」の可能性や、より良いイノベーション実現のための産学連携や女性研究者活躍推進、人材育成の在り方はー。広範な敷地を誇る九州大学伊都キャンパスに若山氏を訪ね、約2時間にわたりさまざまな課題について聞いた。
人材育成はこの国をどういう国にしたいか、が基本
―産学連携に成功させるために大切なものとは何ですか。
従来からの「小さな産学連携」、つまり企業の顕在ニーズ、個別のニーズを一緒に解決するという連携も大事ですが、かつては企業が持っていた基礎研究所も今はほとんどないので将来の大きな事業化を見通した研究を大学と産業界がやっていく、そういう連携が重要でしょう。それは一つの学問分野ではできないのでマネージメントをきちんとやらないと育たない。研究室レベルの共同研究にそれほどのマネージメントは不要です。しかしプロジェクトを大きく育てていくためにはマネージメントが重要です。マネージメントという観点と、新しい価値を見つける大学の姿勢と企業の姿勢が合わないとだめですね。大学の究極のミッションは人類の知識財産を増加させることにあります。そのために絶えず人を育てることが必要で、そのためには新しい問題が必要です。潜在的な問題を掘り起こして議論して、発展させていければいいですね。具体的目標を設定しつつ、試験的にいろいろ共同でやることも必要です。
大学の研究者は専門性が高いだけに、全体が見えなくなりがちです。大きなプロジェクトは必要に応じて別の専門研究者と組み合わせるなど、全体を考えながら育てていかなければならない。マネージメントは、研究・開発の経験や企業での経験がある人の方がいいとは思いますが、結局は広くて深い見識と公平な見方ができる能力が必要です。産学連携と言えば、もう一つ大事なのはベンチャーの育成ですね。ベンチャー育成に必要なこととして、メンターの存在が大切ですが、それとともに、失敗を尊重する社会に今よりもなることが重要だと思いますね。
―先生は文部科学省の数学イノベーション委員会の主査もされて数学分野の人材育成問題にもコミットされてきました。科学技術推進政策やファンディングの在り方についての考えを聞かせてください。
数学イノベーション委員会のきっかけは、2006年に科学技術政策研究所(現・科学技術・学術政策研究所)が「忘れられた科学—数学」と題して「日本の数学はトップレベルでない」というレポートを出して数学界にショックを与えたことです。十数年前のことです。当時、純粋数学の研究レベルは国際的にも有数で高いはずでした。しかし当時の日本の数学コミュニティが思い浮かべる「数学」の範囲は国際的に見ると概して狭かった。応用数学はとても広く、欧米の数学には数学を応用する分野での研究も含まれています。日本では、そういう意味で数学の応用をしている研究者が少なかった。大学の教養部がなくなって数学の先生が減りました。数学者の数が減って研究時間も減った。こうした状況からの帰結が、(トップレベルでないという)評価につながったように思います。実際その頃まで、私自身も米国数学会が運営するレビュー誌「マセマティカル・レビュー」は数学の学術誌のほとんどをカバーしていると思っていました。しかし、数学を広くとらえると、「マセマティカル・レビュー」が取り上げているのは一部に限られるということをその後知ったわけです。そういう意味で、日本の数学は純粋数学オリエンテッド(指向)でしたので(応用数学を含めた)数学全体としての論文も少なかったのです。
このことがあって一部のシニアの数学者や文部科学省は危機感を覚えたようです。ただし、多くの数学関係者の危機感はそれほどでもなかったように思います。九大の数理学研究院では、既に組織として産業界との連携を真剣に考えていましたので、こうした状況下、九大が中心になって東大と日本数学会に新日本製鐵(現・新日鉄住金)も協力して「数学・数理科学と他分野の連携・協力の推進に関する調査・検討〜第4期科学技術基本計 画の検討に向けて〜」という文部科学省の委託調査を行いました。2009年のことです。その直後に、文部科学省の科学技術・学術審議会の下に数学イノベーション委員会ができ研究振興局に数学イノベーションユニットができました。そうした委員会や事務組織もでき上がり、いくつかの有意義な施策も始まりました。このようにして数学の重要性に対する理解と共有が少しずつ進んできました。数学研究人材の育成という観点からも、まだまだ不十分ですが。
どういう人材育成の仕組みが良いかについては結局、日本をどういう国にしていきたいかという国の考え方によると思います。例えば、博士を米国並みに多く育てたいのか、その博士を十分に生かすことができる社会環境にして行くのか、などです。日本は職人芸的なところが素晴らしいですね。日本が高度経済成長していた頃は、高い経済力という意味でも新しい科学をけん引するという意味でも、米国が世界のトップであることは明確でした。日本は、勤勉さと職人芸的なところを大いに生かすことで、それに追い付きそうなところまで詰め寄ったわけです。しかし大きく引っ張る側にはなれなかった。日本は、経済規模や科学技術のトップ先進国として走るのではなく、きらりと輝くものがいくつかあって独自性も展開して発展する北欧諸国のように生きていく道もあると思います。一方、やはり世界を力強くけん引する先進国としてどんどんやっていくというならば、もっと大学や研究機関にファンディングをすること、また企業の研究意欲を高めること、さらにダイバーシティが不可欠だと思います。
「R&D」を充実させようという企業に優遇策を与えるなど、背中を押す制度も必要でしょう。日本の目標の立て方は短期的で中期目標さえ立てにくい。これでは、ともかく、地球・世界を射程において考えている中華思想を持つ中国にかなわない。国の位置付けがある意味明確で、その観点から軍事研究を奨励することには賛成しかねますが、皮肉なことに米国防高等研究計画局(DARPA)などの活動にはものすごく長期的なものがあります。例えば50年くらい先を考えた上でのファンディングもしています。日本にはそういう長いスパンの目標はないですね。今生きている私たちには価値判断すら定まらない長期的な視野とそれにファンディングする実行力も必要です。今生きている人間に将来ほんとうに重要なことのすべてが見えているとは言い難いですからね。
どういう分野でもダイバーシティは大事
―九州大学の研究者の雇用制度の在り方について聞かせてください。
任期付き雇用の問題が指摘されていますが、九大では同じ任期付きでも多様な仕組みを設けています。九大に限らないと思いますが、教員体制としては教授層が多いのが目立ちます。今後大学本部として若手研究者をもっと雇用するとともにその研究環境も整えていきたいと考えています。そのための具体的な施策を打ち出す予定です。それでも、分野によりますがポスドク問題はまだまだ深刻です。研究の在り方全体で言うと、研究が過当競争になってしまっている分野もあります。昔と比べて技術と科学の進展具合が変わりました。技術が発達すると装置が発達し科学が発達しますが何十年か前と比べるとその時間が短くなっています。そのことが、装置を手に入れるための資金獲得などもあり競争を激化している面があると思います。
―4月に開かれた科学技術振興機構(JST)主催シンポジウムではご登壇、ご発言ありがとうございました。その際九州大学の女性研究者活躍促進策を紹介されていますが、そうした施策を通じて実際に活躍促進を確実に進めるためには何が大切かと思われますか。
数学の分野でも女性研究者は世界的に多くありません。それでも(40歳以下の優れた成果を挙げた数学者を顕彰する)フィールズ賞をもらう女性研究者はいますし、個人的に知っている著名研究者もいます。マイクロソフトで研究を引っ張っていて、元々は私と同じ分野からスタートした女性数学者もいます。ともかく、女性と男性の研究者比率が1対9とか0.5対9.5などというのはやはり異常です。4対6などであれば、分野によればまあ、そうなのかなと思いますが。(研究)大学の究極の目的は人類の新しい知識を増やし続けていくことだと思います。そう考えると女性研究者が際立って少ないのにはやはり違和感があります。男女共同参画の趣旨を考えると、例えば「業績プラス潜在能力(期待されるポテンシャル)が同等であれば(女性比率を増やすために)女性を登用する」というコンセンサスはできていると思います。どういう分野でもダイバーシティは大事です。
数値目標は大事と思いますが、すぐに変えられるわけではないでしょう。ですから一律ではなく、どういうところで女性が増えればより良いかといった(現時点での社会からの)要請と同時に、(若い)女性の特性・考え方に学ぶことも含めて検討しながら、それぞれの教育研究現場に応じた具体的プランの作成が大切でしょう。重要なのは私たち自身の中の意識の在り方を含めた社会全体の問題と捉えることですね。そのために中等教育や家庭教育・環境が大切です。一部は、時限的なポジティブアクションも必要でしょうが社会の要請と受容の具合によりどこまでできるかでしょう。やはりどういう社会にしていきたいか、と言うことですね。
AIをブラックボックスにしないためにも数学による説明が必要
―科学技術が進歩してAI、IoTの時代を向かえています。いま大事なこと、社会全体が留意すべきことは何でしょう。高齢化社会が進む中でいろいろと便利にはなっても進歩した科学技術の中身が見えにくくなっていますね。
今まで「便利になる」ためにいろいろな技術を発展させてきたわけですが、国連の持続可能な開発目標(SDGs)などをみると、便利至上主義の文化から踏み出して、新しい意義を見いだしていこうといった時代コンセンサスを感じます。活力を失うくらいまで社会ががまんすると言うのではなく、現時点で期待される便利よりも、トータルな充実を目指そうと言うわけです。エイジングの問題などもこうした考え方の下での解決を目指していると思います。また、例えば、(AIなどの)科学技術の成果をブラックボックスのまま置くのはとても怖いし、危険なことです。AIについて言えば、例えばドライバーは、車の動作原理を確かな実感がなく使っている。車なら、調子が悪ければ、程度の差はあれ、それを実感して手を打ちますよね。専門的にAIを導入する側も、でき上がったデバイスを一つのパーツとして製品に実装する程度に今では留まっている。さらに専門家の間でも、今のAIがどうしてこれほどうまく動くのか真に理解していない。AIとかディープラーニングなどの研究が進んでいますが、「なぜこれほどAIが優れているのか」についての根本的なことが分からないままAIの性能を高める方に向かっている。「このように改良してみたら性能が上がった」について、どうしてそうなのかを明確に言い切ることができないでいる。碁(アルファ碁)まではいいでしょうが、今や医療、市民生活にどんどん使われ始めている。人権に関わる課題も現れるでしょう。その時にそうした先端技術がブラックボックスのままだとちょっとした誤差が重なって恐ろしいことになるかもしれないし、誰も知らないところで物ごとが決まってしまうこともあるかもしれない。そうしたAIなどによって決まるメカニズムを人類はちゃんと知っておかなくてはならない。こうした問題については日本より欧米の方が意識は高いように思います。実際、理論を重んじて原理を追求することに関しては、欧米の社会の方がいつも真剣です。このことは、教育、企業の研究開発の姿勢や政府のファンディングにも現れているような気がします。
AIは機械学習がベースになって背後に統計学があって、そのさらにバックに確率論がある。つまり絶対に間違いがないとは言えない。しかし将来のAIはこれらに加えて別な数学も使っていくことになるでしょう。実際、確率論と統計以外の数学を使った研究も始まっています。ブラックボックスを減らすためには、まずは「結論の説明」が必要です。このAIはどうしてこんな答えを出したのか、といった説明です。大きなデータを基にAIがある答えを出したとする。それを説明するためにはデータから答えに至る流れを逆にたどる必要があります。逆の流れをたどる時にそこまでに至った一つ一つの可能性を考えなければならない。そのためにはそれに耐える記述をしなければならない。そこには数学が決定的に必要なのです。今や、大量のデータを処理する能力はどんどん高まっています。「データ・ドリブン」な帰納的推論が重要な位置を占めていることはもちろんですが、それだけでは不十分で、伝統的な科学研究の推進力である演繹的方法が不可欠です。将来AI同士が会話する可能性もあります。現在でも悪意をもってAIを使えばかなりのことができます。やはり人間のコントロール下でAIを発達させていく必要があります。その場合でもAIが何でこんなことができるのかという根本的な問いを人類がしっかり共有しておかないと危険ですね。データの科学・技術、例えば将来の人工知能や量子コンピューターの構築や根本的理解には数学が大きな役割を担っていると考えています。もしかするとほんとうに「万物は数」なのかもしれません。
(サイエンスポータル編集長 内城 喜貴)
(完)
若山正人氏のプロフィール
1978年東京理科大学理学部卒、85年広島大学大学院理学研究科博士課程修了。鳥取大学と九州大学の助教授、プリンストン大学数学教室客員研究員などを経て97年九州大学教授。2006年九州大学大学院数理学研究院長、9年九州大学主幹教授。この間、ボローニャ大学、KIAS客員教授、インディアナ大学ディスティングイッシュト・レクチャラー等。10年から同大学の高等教育開発センター長、副学長、11年マス・フォア・インダストリ研究所(設立)所長。現在理事・副学長。2007年に「産業界との連携による若手数学研究者の育成」業績により、中尾充弘氏とともに「ナイスステップな研究者2007」に選ばれた。表現論・整数論・数理物理分野の学術論文100編余り。主な著書に「絶対カシミール元」(岩波2002、共著)、「技術に生きる現代数学」「可視化の技術と現代幾何学」(岩波2008、2010編著)「多変数超幾何函数」(日本評論社2018、共編著)など。現在、文部科学省数学イノベーション委員会主査、Springer Monograph “Mathematics for Industry” 編集長(2014-)、Asia-Pacific Consortium of Mathematics for Industry Chair (2014-)なども務める