インタビュー

「人工知能(AI)などの先端科学技術をブラックボックスにしてはいけない」—学問として数学が社会課題解決につながることを信じて新時代の産学連携や女性・若手研究者の活躍促進などに奔走する若山氏に聞く 第1回「宇宙は数学という言語で書かれている」(ガリレオ・ガリレイ)(若山正人 氏 / 九州大学理事・副学長・数学者)

2018.07.24

若山正人 氏 / 九州大学理事・副学長・数学者

若山正人 氏
若山正人 氏

 若山正人氏は数学者である。数学をあえて「純粋数学」と「応用数学」に分けるならずっと純粋研究者であり続けた。大学の経営・管理者の立場にもなった今、ガリレオの「宇宙は数学という言語で書かれている」を引用しながら、「数学は言葉」と言い、自然科学分野だけにとどまらない数学の可能性と役割を信じる。そして「数学は社会の課題解決につながる」と説く。AI、IoTの時代になり世の中がさらに便利になっていく現代だからこそ「先端技術がブラックボックスになってはならない」と強調する。新時代を向かえて数学が果たす役割、「数学の力」の可能性や、より良いイノベーション実現のための産学連携や女性研究者活躍推進、人材育成の在り方はー。広範な敷地を誇る九州大学伊都キャンパスに若山氏を訪ね、約2時間にわたりさまざまな課題について聞いた。

「数学は言葉」

―数学の応用範囲が格段に広がり、先生は『数学が社会課題解決につながる』とおっしゃっています。『数学は言葉』とも。これからの時代をにらんだ数学の可能性、数学の力についての考えを聞かせください。

 あえて分ければ、数学には「純粋数学」と「応用数学」があります。簡単に言うと「純粋数学」は研究者が社会の役に立つかどうかということに無関係にやっている数学です。「応用数学」は何かに役立てることを目的として行う研究、あるいは数学を応用する研究と言えます。「数学は言葉」とはガリレオ・ガリレイが「宇宙は数学という言語で書かれている」などと表現していたことからの引用です。数学者の仕事は定理を発見することです。定理には証明が必要ですが「発見」とは言っても「発明」とは言わない。夏目漱石の「夢十夜」の第六夜に、仏師の運慶が仏像を彫るのは実は彫っているのではなく、元々木の中にあるものを浮き彫りにしているだけなんだ、というくだりがあります。換言すれば、人間の心とか考え方には独立・無関係に、元々数学(と言う科学)の真理(定理)は存在しているという捉え方です。数学者はそれをすくい出すことから「発見する」と言うのだと思います。

 現在、生物がいる星を探す計画が(米国などで)進んでいます。もしそこに人間と同じような高等生物がいるとしても日本語や英語を話していることはないでしょうが、人類と同様に数学は発達しているでしょう。そういう意味でも数学は普遍的であり、普遍的な言葉と言えると思うのです。「純粋数学」「応用数学」が何であるかは時代によって異なっています。素因数分解を例にとると、数を掛けるのは簡単で、今や大きな数も入力するだけで一瞬にしてできますが、大きな数を素因数分解することは今でも難しい。ところで2500年も前にすでに素数は無限にあってすべての整数は素因数分解できることがピタゴラス学派によって証明されています。その発見が現代にあっては(暗号とデジタル署名を実現した)公開鍵暗号の一つであるRSA暗号を支えています。この暗号は将来、量子コンピューターが出てくると使えなくなります。しかし今のところ、セキュリティの80%はこれに負っています。発見されてから応用されるまで2500年ほどかかったと言えます。ピタゴラス学派が当時純粋に数学的関心から研究をしたのか、何らかの宗教的な意味で必要なので追求したのか、は分かりませんが証明までやってのけています。証明した時点で応用があると思っていたわけではないでしょう。ピタゴラスは「万物は数だ」と言っていましたが、彼が当時「応用」を意識していたことを意味するかどうかは分かりません。しかし数学の定理は一度証明されると永遠に正しいのです。

―「純粋数学」「応用数学」という言葉が使われ始めたのはいつ頃からですか。九州大学が数学に力を入れた過去の経緯もあるのですか。

 数学はピタゴラス学派の時代以降必ずしも順調に発達してきたわけではありません。今のように大学の先生や数学者がいたわけではなく、言わば趣味的なところもあった。17世紀あたりから数学者が出てきて社会の問題とつながっていって、19世紀になると産業革命もあって主に物理を通して数学が発達してきた。17世紀末に光学や力学の分野で活躍した数学者であるホイヘンスなどは、感銘を与える発明が伴わない理論などくだらないとしています。ところが物理現象は数学がないと書けない。アインシュタインの理論にしても式がないと書けないのです。ですから「言葉」なのです。一方で数学者は、与えられた社会の課題や科学の方程式を、単に解こうとするだけでなく体系化したいと思うし、内なる動機で数学的現象を発見したいと願う。そこで20世紀になったくらいから純粋数学と呼ばれるようになって、純粋と応用の区別が生まれてきました。

 日本は歴史的事情もあり、芸術の国フランスと同様に純粋数学志向が強い国です。美とエレガンスが江戸期の和算の究極のゴールであったことも一因です。実際、多くの和算家は当時のヨーロッパの数学者と異なり、あたかも芸術家のように描かれています。ところで、近代になり西洋数学が移入されてからも数十年前までは、日本の工学部、特に機械や電気工学などの先生は数学が強かった。工学者であったわけですが、応用数学者として十分に通用する先生が多くいた。貧弱な計算機環境下で、問題を自ら数学的に追い詰めないと求めている結論が得られそうになかったので一所懸命数学をやった。工学部ではこのように、盛んに数学の応用研究がなされていたので、自然現象の理解・解明をモットーとする理学部では、数学的真理の発見を目的とする数学が尊ばれて、それだけで十分であると考えられるようになった。問題は、後者のみが数学をイメージするものとなってしまい、社会からは「入試」を除き数学が遠ざかってしまったことです。

 数学が好きな人は役に立たなくても十分モチべーションがあるのでどんどん純化していったのです。それでもかつては「応用」「純粋」とは明確に区別していなかった。日本の旧帝大にはどこにも数学科があって応用数学講座もあった。しかしそのほとんどは応用数学の研究者ではなく、純粋数学者でした。九大は、おそらく理学部に応用数学の先生が教える応用数学の講座があった唯一の大学でした。統計学の講座もありました。九大には当時から応用数学をやるというDNAがあったのかもしれないですね。そのことがその後、後に触れるマス・フォア・インダストリ研究所(IMI)の創設のようにいろんなことができたバックボーンになったかもしれません。

コンピューター時代のデータ収集も数理的

 工学分野の数学のレベルは以前ほど高くありません。数学への熱意もだんだん低下していますね。したがって工学部の学生も数学が弱くなっている。計算機性能が格段に発達したため、自ら数学的に追い詰めなくても期待する程度の答えが得られるからです。ごく最近まで、「数学的思考」などとあまり語られなくなった。少なくとも大学教育においては、です。統計学にしても、今やたいへん勢いがありますが、計算機をベースとした近代の情報学が現れた頃には「統計学は要らなくなった」と言われた時期がありました。昔は、得られるサンプルの数は少なくて、その限られたサンプルから「何が言えるか」を見つけるために統計学の存在意義があった。しかしコンピューターが発達してインターネットが出現し、いくらでもデータが取れ、蓄積することができる(かの)ようになったことで、もはや統計学は要らないと言われた時期が、10年間ほどですが、ありました。ところがその後、得られたデータが複雑で、多すぎてデータが真に意味するところが分からなくなった。それを正しく理解するために、統計学の重要性が改めて認識されるようになったわけです。数学も同じようなところがあって、高性能コンピューターが登場していくらでも計算ができるようになると(世の中の認識のなかには純粋数学はほとんどありませんので)数学はもう要らないのでは、と言われることも多くありました。ところがデータの収集もコンピューターからのアウトプットも結局数理的です。

 データを分析して何か意味のあるものを見い出したり、予測したり、最適な設計をするためには統計学や数学なしにはできません。例えば、有用な知見を導き出すためには膨大な可能性の組合せを調べる必要がありますが、最高性能の計算機を使っても計算だけでそれを効率的に処理するのは困難で、数学的考察が不可欠です。また、例えばAIにしても放っておくとだんだんブラックボックス化して、さらには小さな誤差も蓄積していきます。それは怖いことで、その辺りをきちんと理解するのは数学しかないと思われますね。こうしたことが、ごく最近になり数学の役割が認識されてきた理由だと思います。

写真1 九州大学大学本部。約270ヘクタールの広大な敷地を誇る九州大学の伊都キャンパス(福岡市西区元岡)内の椎木講堂にある。
写真1 九州大学大学本部。約270ヘクタールの広大な敷地を誇る九州大学の伊都キャンパス(福岡市西区元岡)内の椎木講堂にある。

「産業界に優秀な数学の研究者を供給する良いシステムが必要」

―九州大学では、長期インターシップ制度を十数年も前に始めて注目されてきました。数学の博士課程修了者が将来産業界でも活躍できるために、博士課程の1,2年生が企業で3カ月間以上研修する制度でした。制度創設の経緯や狙いなどをあらためておうかがいします。

 長期インターンシップ制度は10数年前、(先輩の)応用数学の研究者であり、当時の九大の数理学研究院長であった中尾充宏先生が発案者でした。実際にインターンシップに学生が出かけたのは、私が先生の後を引き継いで数理学研究院長になった年からです。当時中尾先生は数学を専攻する博士課程学生のマインドセットを変える必要があると考え、制度の構築はそれが目的でした。博士過程修了者の直接的就職対策ではありませんでした。かつては数学専攻も理学研究科の中にあったのですが、20数年前に、九大では数学は数理学研究科(その後、数理学研究院)として独立しました。理学部の数学教室は工学部と教養部の数学教室と一緒になって、国内最大の数学研究・教育組織をつくりました。博士課程の学生定員は36名、教員も80名位の規模でした。私が大学院生の頃は、私立大学を含めても、全国の数学専攻の博士学生は、合わせても50人ぐらいだったのはないかと思います。したがっていかにその(定員)数が多いか分かると思います。このため、充足率(定員に対する入学者数の割合)は2、3割で外からは異常に低いと映ったわけです。独立した研究科になるまでは、実験系分野を多く持つ他の専攻が十分な学生数を確保していたことから、数学専攻の博士の少なさは外部にさらされることもなく問題視されませんでした。というのも、博士過程進学者は基本的にアカデミアへの就職希望者に限られ、教員の方も、数学の博士号取得者の就職先は大学しかないといった狭いキャリアパス観にとらわれていました。

 実際、日本の大学における数学教員の新規助教ポストは毎年、せいぜい25ぐらいです。難しいアカデミアへの就職を考えると、教員側も、学生に博士過程進学を勧めないというのが普通でした。しかし定員充足率の低さが、大学や文部科学省でも問題視されることが多くなり、若い頃に企業での就職経験がある中尾先生は、ともすれば社会から距離を置いてしまっている数学専攻学生のマインドセットを変えようと考えられた。数学専攻の博士課程の学生も社会を見るべきだと言うのが制度設立のモチベーションでした。これまでに70名近くの学生が国内外の企業での長期インターンシップを経験し、あらゆる意味で充実した制度となっています。

―「数学が社会課題解決に貢献できる」との考えの下、若山先生が先導してマス・フォア・インダストリ研究所(IMI)が約7年前に誕生しました。あらためてその目的などについても教えてください。

 中尾先生がインターンシップを本気でやろうと「R&D」がある企業206社にダイレクト-メールを出したのは14年前です。しかし返事が戻ってきたのはわずか2通でした。2通もお断りの内容でした。その当時、私は数学科長・大学院数理学専攻長でした。一方、私の研究の中で数値解析的な面からも考察したい問題が生まれ、数値解析の専門家である中尾先生に相談したことから共著論文も出しました。そんなこともあり、純粋数学者として博士課程学生のインターンシップをどう思うかといった相談を中尾先生から比較的早い時期から受けていました。インターン受入先の企業開拓は当初かなりたいへんで、その後もしばらく奮闘を強いられましたが、インターンシップ時の学生の研究面での活躍が徐々に知られるようになり、さらには教員の深い理解と多くの努力によって数年のうちに軌道に乗りました。

 図らずも私が中尾先生の後の研究院長となり、博士課程の充足率低迷解消を求める大学から強いプレッシャーをまともに受けることになりました。学生数に比して教員数が多すぎる。充足率を上げるか、教員を計画的に減らすかどちらかかと迷いました。しかし、あらゆる意味で大学から数学者の数を減らすわけにはいかない。であれば、博士課程進学者を増やすしかないが、博士課程修了後のアカデミアポストは限られています。当時でも、数学で博士号を取っても大学にポストがないので企業に就職する人はいたはずです。しかし取得後すぐに企業に行く人はまずおらず、ポスドクなどを重ねた人に限られていたようです。一方米国を見るとグーグルやマイクロソフトなどでは、博士号を持っている研究者の半数以上は数学系です。ディズニーの関連企業でも数学の学位を持っている人がちゃんといて、ボーイングでも十数名規模の数理科学の研究開発グループがあります。

 このように米国の企業はたくさん数学者を雇っています。研究レベルも高く、大学の数学教員に引けをとりません。欧州でも企業経営者には数学専攻者が少なくないようです。日本でも、このような土壌をつくれるはずだと思い、実現しようと決意しました。しかし、「産業界の数理的問題に挑戦することは大きな意義がある」「企業での数学を武器にした研究も面白い」「ほら、アメリカをみると良い」などと私たち教員がいくら唱えても、学生たちからは「先生たちは言うだけ」と見透かされてしまう。また、日本企業では数学に関する意識は高くなく、数学と産業にどんな関係があるのか、考える人もたくさんいました。

 それを打破するためには、教員の本気度を産業界にも数学専攻の学生にも示すことができ、産業界に優秀な数学の研究者を供給する良いシステムの構築が必要であると考えました。そのことがマス・フォア・インダストリ研究所(IMI)の創設につながりました。IMI設立あるいは数学の産学連携推進にはもう一つ動機がありました。コンピューターの時代にあって広範囲の社会への数学応用がどんどん広まっていく。多くは目に見えない形ではありますけれど。そうした営みの中で新しい数学が出てくると考えたのです。内在的動機から発展する数学そのものには、数学者しか知らなくても深遠で重要な未解決問題やさらなる(数学の)発展を促す問題があります。(数学は)永遠に続くと思ってはいますが、もしかするとそれだけでは数学ができる半分しかやっていなくて、(既に数学として存在している問題以外を見ないままでいると)数学はやせてしまうと考えたのです。19世紀に物理がモチベーションになってできた微分方程式の理論があってトポロジー(位相幾何学)という新しい数学分野が生まれました。そうしたことがこれから起きるのではないか、新しい研究領域が出てくるはずだ、といった期待も多くありました。人類の知識財産の増加をミッションとする大学と企業とはその役割を異にしますが、私が目指したのは「大学版 IBM」でした。もちろん当時「なぜそんなことやるんだ」いう声を多く聞くことにもなりましたが。

写真2 九州大学マス・フォア・インダストリ研究所がある広大な伊都キャンパス内の建物(九州大学提供)
写真2 九州大学マス・フォア・インダストリ研究所がある広大な伊都キャンパス内の建物(九州大学提供)

―現在は九大全体の産学連携推進の担当もされていますね。

 3年半余り前に理事になり産学官連携の担当になりました。当時多くの企業の方が来られましたが、後からうかがうと、皆さんなぜ数学の研究者が産学連携担当なんだろうといぶかしい様子だったらしいです。直接「どうしてですか」と聞いた方もいました。日本における情報科学の研究者というと、コンピューターサイエンティストあるいはコンピュータエンジニアを指します。ただ、日本の場合、前者は少なく後者が主流です。しかし、世の中ではあまり区別がない。米国だとコンピューターサイエンスの研究者に会うと、皆さん、(私が数学者だとご存知ということもあり)自分のやっていることは実は数学なんだとか、自分は数学の応用をやっていると答えます。自分はコンピューターサイエンスで学位を取ったが、指導教員は数学者であったとか、学部は数学だったとか、という方が多いのが特徴です。一方で、日本の情報科学の研究者は、工学部の電気電子系出身の方がメジャーです。ハードの研究・開発が強い日本の面目躍如、といったところでしょう。そのようなことがあり、日本ではコンピューターと言えば、例えば「京」のようなスーパーコンピューターが話題に上っても、むしろハードを作る方が強調されることが多く、結果的にも工学的な方向につながりやすく、なかなか数学にはつながりませんでした。今でも、ビッグデータ、IoTに関心がある学生は、間違いなく情報科学の方に進んで数学科には来ないですね。さすがに最近では、AIの時代になり、人々が産業の背後に数学の存在を感じるようになってきていますが。

 数学の応用を念頭に置く研究所という観点から国際的に見たときのIMIの特長は、まず20世紀に発達した抽象的な数学をバックグラウンドにしている純粋数学の研究者も多く抱えていることです。そして、その中で従来から応用数学と考えられている分野や統計学の専門家が密に連携していることです。しかもそうした純粋数学をバックグラウンドにしている研究者が企業との共同研究を実際に行なっています。例えば(19世紀初頭、20歳の時に決闘で亡くなったエヴァリスト・ガロアにより生まれた数学の)「群論」のコンピュータグラフィクスへの応用によるアニメ作りへの貢献があります。また、トポロジーは今や最も応用が期待されている学問分野です。タンパク質の構造解析から始まって材料科学への応用、数学の「特異点論」の可視化研究への応用など、さまざまな物理学や量子コンピューターにも関連していて物理学者も注目しています。20世紀中頃に発達したこうした数学は、当時物理学者にとっても何を書いているか分からないぐらい抽象的でした。もちろん当時から、トポロジスト(位相幾何学者)は、抽象的な理論だけでなく、定理が述べている内容を具体的に示す例は持っていましたが、それらの多くは、きれいで単純化されたモデル、いわゆる「トイ・モデル」でした。計算能力が格段に向上して、ようやく理論が複雑な図形にも適応できるようになり、大きな応用が始まったのです。

―IMIの今後の課題や役割は何ですか。

 IMIの課題は教員がみな忙しすぎることでしょうか。IMIを創設する計画が立てられた頃までは九大では(も)数学と産業界との共同研究はありませんでした。今では毎年25から30の共同プロジェクトが走っています。教員は25人で彼らは自分自身の研究や学生のケアもあって忙しい。現在IMIの産学連携の個々のプロジェクトは次にお話するように始まりました。まず、先にお話したように、長期インターンシップ制度はIMIの創設以前から始まっていましたが、インターンに行った学生が企業で貢献したことは先に述べた通りです。学生とやってこれだけの成果が出るのだから先生と連携してやったらもっと進むのではと思っていただいた面もあったかと思います。そうして共同研究が始まったというケース。次に「スタディグループ」という一週間程度のワークショップから始まるケース。このスタディグループとは、70年ほど前にオックスフォード大学で始まったもので、東大の数理科学研究科の協力も得て私たちが10年前に始めたものです。初日に5つくらいの企業から、オープンな形で、数理的な課題を提示してもらいます。オーディエンスは、数学の教員と学生です。2日目からは、興味のある課題を選び、その課題を提案した企業の研究者と解決のための共同作業を個別に行ないます。1週間で解けることはまれですが、方針が定まり共同研究の契機になることが多くあります。既にIMIも国内外に知られる研究所となりましたので、企業から課題を持ち込まれることも増えてきました。なお、国際的にも、研究インターンシップとスタディグループは、数学の産学連携の2本の柱と言われています。

私が大学全体の産学連携の担当になったことに対して、数学に関心のない企業の方は驚いたようです。しかしここ数年は、IMIの活動はもちろんですが、日本の数学コミュニティの努力や、文部科学省の施策も功を奏し、さらに米国などの影響もあるのでしょう、産業界でも数学に対する関心と期待は大きく高まっています。ただ、伝統的な数学の研究者コミュニティにおける関心の高まりが今一つです。実際、10年前に比べると連携を行う数学者が増えたことは確実ですが、(連携が)やや「固定化・分離的」になってきているように見えることが気掛かりです。IMIの教員の忙しさはそんなところにもあります。

(サイエンスポータル編集長 内城 喜貴)

(続く)

若山正人 氏
若山正人 氏

若山正人氏のプロフィール
1978年東京理科大学理学部卒、85年広島大学大学院理学研究科博士課程修了。鳥取大学と九州大学の助教授、プリンストン大学数学教室客員研究員などを経て97年九州大学教授。2006年九州大学大学院数理学研究院長、9年九州大学主幹教授。この間、ボローニャ大学、KIAS客員教授、インディアナ大学ディスティングイッシュト・レクチャラー等。10年から同大学の高等教育開発センター長、副学長、11年マス・フォア・インダストリ研究所(設立)所長。現在理事・副学長。2007年に「産業界との連携による若手数学研究者の育成」業績により、中尾充弘氏とともに「ナイスステップな研究者2007」に選ばれた。表現論・整数論・数理物理分野の学術論文100編余り。主な著書に「絶対カシミール元」(岩波2002、共著)、「技術に生きる現代数学」「可視化の技術と現代幾何学」(岩波2008、2010編著)「多変数超幾何函数」(日本評論社2018、共編著)など。現在、文部科学省数学イノベーション委員会主査、Springer Monograph “Mathematics for Industry” 編集長(2014-)、Asia-Pacific Consortium of Mathematics for Industry Chair (2014-)なども務める

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