インタビュー

「男女が共に活躍できる社会へ」 第2回「女性研究者支援の難しさ米国も」(大坪久子 氏 / 日本大学薬学部薬学研究所 上席研究員)

2015.08.17

大坪久子 氏 / 日本大学薬学部薬学研究所 上席研究員

大坪久子 氏
大坪久子 氏

男女共同参画社会基本法が施行されて16年、日本物理学会、日本化学会、応用物理学会など14学会(創立時、現在89学協会)から成る男女共同参画学協会連絡会が発足して13年目となる。男女共同参画社会基本法の歩みとほぼ同じ時期に、連絡会をはじめとする女性研究者支援の活動で積極的な役割を果たし、米国の女性研究者支援の歴史、現状にも詳しい大坪久子(おおつぼ ひさこ)・日本大学薬学部薬学研究所上席研究員に、女性研究者が力を発揮できる社会にするために、今求められていることは何かを聞いた。

―先生が男女共同参画に積極的に関わるようになられた背景には米国での研究生活経験があるように思われますが。

そうですね。研究者としての基盤を築いた20代後半から30代後半までの若い時期を米国で過ごしました。前にもお話ししたように、雇用機会均等法によるマイノリティー支援が国を挙げて進んでいた時期です。後年気づいたことではありますが、その時の全米の大学を挙げての女性研究者支援の状況が、日本に帰国しても「既視感」となって私の中に残っていました。ですから、「女性枠公募」にも「同居支援」にもさして違和感はなかったわけです。

女性研究者支援について、米国が日本より進んでいるのは確かです。しかし、問題がないかといえば、全くその逆です。私が米国の現状を話すと驚く人が少なくありません。米国では女性の社会進出は日本よりはるかに進んでいる。そう思い込んでいる人が多いからでしょう。「なんだ、日本と変わらないじゃないの」となるわけです。

昨年1月、九州大学研究戦略企画室主催の「女性研究者養成システム改革加速事業・リーダー育成セミナー」に招かれ、日本と米国の女性研究者支援の現状についてお話しする機会がありました。そこでも詳しく紹介したのですが、全米科学財団(NSF)の女性研究者支援プログラムに「ADVANCE」というものがあります。2001年に始まったこのプログラムが全米の大学を巻き込む大プロジェクトになる上で、大きな役割を果たした女性科学者にナンシー・ホプキンスという生物系の研究者がいます。

ナンシー・ホプキンスはマサチューセッツ工科大学(MIT)教授です。もともとバクテリアの遺伝学者ですが、現在は、ゼブラフィッシュを対象に神経の研究をしています。ナンシーが大学院生のころ、後にトランスホゾン(動く遺伝子)の研究でノーベル医学生理学賞(1982年)を受賞することになるバーバラ・マクリントックと交わした会話が、コールド・スプリング・ハーバー研究所のメモリーボードと呼ばれる投稿コーナーに残されています。

「将来、どこの大学に職を得ようかしら」という後輩の問いに対するバーバラ・マクリントックの答えは「大学はやめなさい。すごい女性差別があるので、あなたはきっと生き残れないから」。ナンシーはこれに対し「私には素晴らしい未来があるはず。時代は変わっているし、バーバラが経験したようなつらいことは起こらないはず」と答え、実際に70年代半ばにMITのアシスタントプロフェッサー(助教)の職を得て、その後、教授にまでなりました。米国の女性研究者の地位向上を求める活動でもトップリーダーとして活躍しています。

ただ、そのナンシーもMITで苦労がなかったわけではありません。70年代半ばに採用され、20年もたつうちに、よい仕事をしているにもかかわらず「何か変だ」と感じるようになりました。「論文も出しているし、学会での評価も高いのにおかしい」と。周りの女性研究者たちも同じように感じていたのを知り、業績、研究費、研究員の数、研究室の広さなどを調べたデータを持って部局長に訴えたのです。

「業績は悪くなく、学会や政府の役職にも就いている。それなのに大学から交付される研究費は男性に比べ少ないし、研究室の広さも男性より狭い」。詳細なデータに基づいたこの訴えが功を奏し、MITでは男女の研究条件の差はなくなり、その後女性研究者も増えました。データに基づいて要望を出すナンシーの行動が大きな力になったと言えます。NSFが女性研究者支援のためのプログラム(実際には、黒人、ヒスパニック、障害者を含むマイノリティー支援ですが)「ADVANCE」を開始したのは、ナンシーの調査報告が出て少し後のことでした。

写真.ADVANCE年会(2009年)に参加した大坪久子氏=訪ねたNSFの保育園で
写真.ADVANCE年会(2009年)に参加した大坪久子氏=訪ねたNSFの保育園で

―米国ですら、女性研究者の道は平坦ではなかった、ということですね。それにしても現在、米国では有名大学でも女性の学長は何人もいると聞きます。日米でどうしてこのような差ができてしまったのでしょう。

それが不思議で私も調べました。米国の大学の女性学長の比率は、2012年の時点で26%です。女性の学長が増えた一つの理由としては、そのような女性学長を育てた男性上司の存在が指摘されています。女性を上位職に進ませるには、やはり、周囲の支援と本人のトレーニングと経験が必要というわけです。これは日本でも心しておいた方がよいことと思います。

日本の場合、移民、他民族の問題は表立っては議論されませんね。対立軸となると、どうしても男対女の問題になりがちという面があります。そして、日本の伝統的なものの考え方から、何か不都合なこと(例えば、十分な予算が担保できない等々)があれば「女ものはもういいんじゃないの!」とか、「女性は我慢してよ」などと、後回しにしようとする力が働くわけです。女性の側も「仕方ないわ」と引いてしまう…。

米国ですと、黒人やヒスパニックを支援することが国の施策となっています。単なる善意から出たことではありません。例えばニューメキシコ州やテキサス州でメキシコなどから来た人たちに、米国市民として米国社会の中に入ってもらうためには教育を与えることが大事だ、という大前提があります。マイノリティーの教育を支援するのと、支援しないのとでは、あるいは、彼らの能力を高めるのと高めないのとでは、国家的損失はどうか。米国民としてきちんと育てなければならない…と考えるわけです。

私がストーニー・ブルック大学にいた1974年に、アシスタントプロフェッサー(助教)として来たキャロル・カーターというウイルス研究者がいました。黒人の女性です。当時、優秀な黒人女性は引っ張りだこでした。米国ではマイノリティーを支援する措置であるポジティブアクションにおいて、黒人女性は、黒人と女性ということで2倍の支援を受けるわけです。学部長が彼女にアシスタントプロフェッサー職を与えてしばらくすると、ストーニー・ブルック大学は、米国立衛生研究所(NIH)の大型研究資金を得ました。教授会でキャロルが「私のおかげで研究資金が取れてよかったね」と言うと、男性教授たちは拍手喝采したものです。

米国ではNSFが、1980年から延々と35年間にわたって、さまざまな女性研究者支援を行ってきました。最も長く続いているのが先にも述べたADVANCEプログラムです。2009年にADVANCEの年会に参加した時も、日米の違いがあらためてよく分かりました。米国の女性研究者支援は、女性だけの問題ではなく、マイノリティーの問題だということです。

(小岩井忠道)

(続く)

大坪久子 氏
大坪久子 氏

大坪久子(おおつぼ ひさこ) 氏のプロフィール
1968年九州大学薬学部卒。70年九州大学大学院薬学研究科修士課程修了、1970年代から80年代の9年間、ニューヨーク州立大学ストーニー・ブルック校で、米国立衛生研究所(NIH)博士研究員(ポスドク)、リサーチ・アシスタント・プロフェッサー。82年東京大学応用微生物研究所助手。同分子細胞生物学研究所講師、日本大学総合科学研究所教授を経て、 2011年から現職。薬学博士。専門は「動く遺伝子(トランスポゾン)によるゲノム動態とその進化」。日本大学女性研究者支援推進ユニット長(2009度)、同スーパーバイザー(10年度)、上智大学女性研究者支援プロジェクト課題推進アドバイザー(11年5月~12年12月)、同グローバルメンター(11年5月~現在まで)。北海道大学・女性研究者支援室・客員教授(06年11月~09年3月)、九州大学科学技術人材育成費補助金「女性研究者養成システム改革加速」事業・全学審査会外部委員(09年~現在まで)。第4期男女共同参画学協会連絡会副委員長。第7期・第8期男女共同参画学協会連絡会提言委員会委員長。第12期・第13期男女共同参画学協会連絡会提言委員。

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