「幸福度とは」
「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」(6月20-23日)の宣言に、「幸福度」指標を盛り込もうとした日本政府の思惑は功を奏しなかった、と報じられている。国内総生産(GDP)といった経済成長の度合いだけではない物差しで幸福度を捉える考えには、まだ多くの国の指導者たちが同調できないということだろう。東日本大震災を機に幸福とは何かを考えた人も多いと思われる。心理学者として幸福感に関心を持ち続けてきた内田由紀子・京都大学こころの未来研究センター准教授に、日本人の幸福感の変化や、豊かさの指標の変化とその背後にある価値観の転換などについて聞いた。
―幸福論といえば、ブータンがよく引き合いに出されますね。日本にブータンの幸福感をそのまま取り入れるのは難しいとは思いますが。
ブータンは「国民総幸福」(GNH:Gross National Happiness)を重視する政策で有名です。幸福度を測る指標群にはブータンの文化的特徴、志向性が反映されており、自然環境や文化財から得られる幸 福感を重視しているのが特徴です。特にブータン仏教と幸福の関わりは、より詳細に検証する必要があると思っています。ブータン仏教の研究プロジェクトが、 京都大学こころの未来研究センターでもスタートしたところです。
ブータンでは祈りや瞑想(めいそう)の時間を設けて他者に思いをはせる、ということが日常的に行われています。例えば自分の願いをかなえるためにではなく、ほかの人のために祈るのが基本になっているらしいのです。
ブータンの宗教・習俗・慣習などの文化は、日本のそれとは異なっていますし、経済生活の違いなどからも、ブータンのような枠組みをそのまま持ってくること は難しいでしょう。一方で「感謝する」「ほかの人に思いをはせる」ということなどについては、もしかするとブータンによって「日本文化がかつて有していた 何か」に気づかされるような精神性もあるのでは、とも思っています。民族習俗的なところは違っていても、底に横たわる精神は今の日本人にとって1つの示唆 になるかもしれません。
日本はこれまで欧米を向き、西洋的価値観をどうやって取り入れるかに腐心してきました。アジアの発展途上国と見られていたブータンに人々が目を向けると いったことは、少し前にはあり得なかったことでしょう。今このタイミングでのブータンへの関心は、日本が今経験している価値観の揺り戻しみたいなものとか なり一致する部分があるのかもしれない、と思っています。
若者の半分くらいがこのような変化を示し始めていることを、今回の震災後の調査結果が裏付けているとするなら、その人たちのパワーはこれから一体どういう 方向を向いていくのだろうか、ということに関心があります。若者が元気で将来を考えることができる社会に福音はある、と信じていますので。
―年配の世代から、若い人たちが閉塞感を持っているのではないか、と懸念する声が聞かれますが。
確かにそれはあると思います。「努力すればかなうのではないか」という気持ちや、「どんなことでも挑戦してみよう」というやる気が低下しているのが心配で す。「どういう時にやる気が出るか」という質問を学生にしてみます。すると結構な数の学生たちが「自分の好きなこと、得意なことならやる気が出るが、それ 以外にはやる気が持てない」と答えるのです。自分の関心事とは全く関係がなさそうなことを一生懸命にやってみたら、いつか自分にとって必要な事に結びつく ヒントが見つかる、などという経験は結構ありますよね。好きなこと、得意なことしかやらなければ、発想の転換や、新しい出会いもない。にもかかわらず、 「自分ができること、面白いと思うこと以外のことには全くやる気が出ない」とはっきり言う学生がいることには、「本当にそれで良いのだろうか」と感じてし まいます。
―そのような学生はどのくらいの割合でいるのですか。
「何にやる気が出るか」という問いに「好きなこと」と書く人が6割。「それ以外のことにやる気はでない」と、はっきり言う人も3割ぐらいはいました。自分 の好きなことがきちんと見つかって、それ一本で本当に生きていけるならばいいのですが、現在の日本の社会構造は多分、そうした「一本化」をうまくすくい取 れる仕組みにはなっていません。要するに「スペシャリスト」を育てる構造にはなっていないということです。まだまだ多くの企業では、実際にはいろいろなこ とができて、バランスよく活躍できる人が求められています。
もちろんスペシャリスト教育や採用の重要性が叫ばれているとは思いますが、そうした活躍を見せることができる人は、いったいどれだけいるでしょうか。「あ なたの特徴やスペシャリティを育てよう」という意識と、ジェネラリストとしての特性を持つことが重要視されるという実態にギャップがある。「自分が好きな ことをやって、そこで何かを身に付ければ社会に出て行けるかもしれない」と思っている学生たちは、就職活動でがくんとつまずいてしまうことがあります。そ れはもちろん社会構造だけが原因なのではなく、やはり幅広い経験によって木の幹を太らせていないことによって、本当のスペシャリストになりきれていないと いうこともあります。
―グローバリゼーションに対応できる人材が必要。個性が強い人間でないと、と若者に言ってきた上の世代の人間に問題はないのですか。
若者たちの「限定的関心」の姿勢には、「自分の個性を見つけ、好きなことをしっかりとやりなさい」と教育されてきたことの影響も考えられます。日本社会は 制度的には変わっていない、つまりジェネラリストによって大方が支えられる仕組みであるために、こうした掛け声が「絵に描いたもち」になってしまっている ことにも原因があるのではないでしょうか。
企業でよく用いられている成果主義にしても、もしも本当に透明でオープンな評価システムにしていれば、もしかするとそれなりにうまくいくこともあったので しょうけれど、日本の場合は評価する側もされる側もさまざまな懸念を持ってしまうため、評価はクローズドになりがちです。そうすると成果主義は建前にな り、結局はパワーバランスが重視されてしまう。さらには、低い目標設定をして「それなりにパスすればいいや」と考えてしまう。これでは逆効果です。
―弊害があると言われているのですか。
議論はもちろんあるのでしょうけれども、「日本の成果主義はうまくいっていない」という事例研究があります。なぜうまくいっていないのか、もう少し心理的 なところにまで切り込んで考えていけないだろうか、と思っています。米国と日本のシステムは違うので、もし本気でグローバリゼーションを取り入れるなら ば、個人主義・成果主義を可能にするような根本的な哲学的な精神まできちんと精査して取り入れる必要があったのです。
しかし、実際にそれは難しい話ですし、やはり表層的で中途半端なものになってしまっているということでしょう。そうしたときに、日本文化が長く培ってきた特徴を、良い点も悪い点も含めて、もう一度知ることは大切だと思います。
学生に日米の社会構造や文化の違いについての話をした時に、ある学生がやってきて悩みをぶつけてきました。「今の日本社会というのは、人のことに気を使わ なければいけないけれども個性を発揮しなければいけない、という。しかし一方であまりにも抜きん出すぎると協調性がないと思われる。周りの人とうまく意見 を合わせないといけないけれども、合わせすぎると日和見主義と言われる。どういうふうに振る舞えばよいのかすごく難しい」というわけです。
要するに相反する2つの要請が同時並行してしまっている。それらを両方ともうまくやれることを本当に大人や社会が求めているのかどうかさえ実際には曖昧な ままに、例えば就職活動などの場面でそれが突き付けられる。そうした現実を学生たちは非常に敏感に感じ取り、器用でない人たちは多分悩んでしまうというこ とが起こっているような気がします。
(続く)
内田 由紀子(うちだ ゆきこ) 氏のプロフィール
兵庫県宝塚市生まれ。広島女学院高校卒。1998年京都大学教育学部卒(教育心理学専攻)、2000年京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了、 03年同博士課程修了、博士号取得(人間・環境学)。日本学術振興会特別研究員PD、ミシガン大学客員研究員、スタンフォード大学客員研究員、甲子園大学 専任講師を経て、08年京都大学こころの未来研究センター助教、11年から現職。研究領域は、社会心理学、文化心理学、特に幸福感や対人関係の比 較文化研究。10年から内閣府の「幸福度に関する研究会」委員。