インタビュー

第1回「故郷岩沼市でペアリング支援実践」(石川幹子 氏 / 岩沼市震災復興会議 議長、東京大学大学院工学系研究科 教授)

2011.12.27

石川幹子 氏 / 岩沼市震災復興会議 議長、東京大学大学院工学系研究科 教授

「復興グランドデザインに愛と希望を」

石川幹子 氏
石川幹子 氏

津波で押し流される航空機! 東日本大震災による津波被害を伝える映像の中でも、仙台空港の様子に衝撃を受けた人は多かったのではないだろうか。滑走路の一部を含め、空港に接する宮城県岩沼市も津波で死者183人、家屋の全壊718戸、半壊1,310戸、被害のうち1,240ヘクタールという大きな被害を受けた。その岩沼市で「愛と希望」を掲げる復興計画が進んでいる。日本学術会議会員として、被災地に対する「ペアリング支援」をいち早く提言し、さらに岩沼市震災復興会議議長として「岩沼市震災復興計画グランドデザイン~愛と希望の復興~PDF」をまとめ、具体的な支援活動に取り組む石川幹子・東京大学大学院工学系研究科 教授に、郷里でもある岩沼市の復興状況について聞いた。

―岩沼市で取り組まれている復興活動からお聞きします。日本学術会議がいち早く提言した「ペアリング支援」という考え方がここでも取り入れられているのでしょうか。

2008年5月に中国・四川省で起きた大地震も、今回の東日本大震災同様、非常に広い地域に被害が出ました。亡くなった人は、8万5千人にも上っています。阪神・淡路大震災や中越地震のように特定の区域ではなく、数多くの町が被災しました。全く次元が異なる被害であるため、地震直後はたくさんの人がどこを支援したらよいかも分からなかったわけです。中国政府の中枢である国務院がその時、とった対策が、被災しなかった自治体と被災した町をペアにすることでした。中国語で「対口支援」といい、日本学術会議が震災直後に提言した「ペアリング支援」は、この考え方に基づいたものです。

500キロにも長さに及ぶ被災地の全てを、中央政府だけで支援するのは不可能です。「北京はこの町を支援してほしい」、「上海はこの町を」と、被災していない自治体と被災した町がペアを組むのです。そうすると支援する側もどこを支援したらよいか分かるし、支援される側もどこが支援してくれているか分かるわけです。結果的に、それが極めて迅速な復興につながりました。私は中国の復興計画を3年間支援してきました。立派な復興住宅が、次々に完成し、多くの被災者が仮設住宅から移り、新しい生活が始まっています。

東日本大震災の現場に地震発生から1カ月目に入り、今まで日本が経験したことがない事態だ、とすぐ分かりました。とにかく支援しなければならない。しかし、今までとは規模がまるで異なるのだから、違うシステムをつくらないといけない、ということで、中国を3年間支援した自らの経験に基づいて「ペアリング支援」という方策を提案しました。その後被災地では、ペアリングという言葉は使っていないものの、姉妹都市連携とか、非常時の広域連携協定といった形で実質的にいろいろなペアリング活動が行われています。

私自身は何をしたかということですが、大学もペアリングという形で参加し得ると考えました。大学は日本全国にたくさんありますから、大学もペアリングという形で支援できるはずだ、と。

―中国での実践例とは異なり、自治体だけでなく大学も支援の核になれると考えたわけですか。

ええ、宮城県には東北大学、岩手県には岩手大学があります。こうした大きな大学は、例えば東北大学なら仙台市を重点的に支援し、そのほかの多くのより小さな市町村は、全国にたくさんある大学が支援すれば全体として相当大きな力になる、と考えました。

私はたまたま出身地が宮城県の岩沼市なものですから、地震発生のちょうど1カ月後に岩沼市役所を訪ねました。地震発生直後から1カ月間は非常事態ですから、食料、水、救急医療といった対応で現地は手いっぱいのはず。1カ月くらいたった後の方が、相手側にとって適当だろうと考えたわけです。ですから最初からアポイントメントは取らず、4月12日に出かけました。「市は間違いなく復興計画が必要だろうし、それなら支援できるはずだ」と考えてのことです。

幸い井口経明岩沼市長さんから即座に「お願いします」という返事をもらいましたので、公印を押した市長の依頼文をいただいて、東京大学に戻りました。大学も「分かりました。やりましょう」となったわけです。

―岩沼市で行っているペアリング支援としてどのようなことをされておられるのですか。

順を追って話しますと、5月7日に第1回の岩沼市震災復興会議が開かれました。行政は前面に立たず、市民の被災者の方の代表、商工会議所の会長さん、農協の会長さんという地元と、都市計画、防災、海岸工学、景観生態学が専門の先生など議長の私を含め中立的な立場の人たちから成る会議です。予算の裏打ちがある行政計画ではなく、これから町をどういうふうにつくっていくかという理想論に立って、グランドデザインを描くのが目的です。

4回の会議を経てグランドデザインを決定しました。それからパブリックコメントを行い、9月の初めに初めて行政計画を出しました。これはある程度予算の裏打ちに基づく計画ということですので、二段構えで復興計画が練られたということです。復興計画をつくる作業の中で何を一番最初にやったかというと、亡くなられた方の住所と遺体がどこで発見されたかを地図に落としていったことでした。183人もの方々が亡くなられたという数字を示すことより、お一人お一人の命に意味があるということを、復興の中で一番大事にしたかったからです。

津波による犠牲者がほとんどですから、住所とご遺体が発見された場所というのは必ずしも一致しないわけです。市から情報を提供してもらい、地図に書き込みました。そうすることで、亡くなられた方々がたくさんおられる所は真っ赤になり、だれが見てもよく分かります。そうした地図をつくることによって、その事実をやはりきちんと受けとめるべきだ、と私たちは思いました。市も、このようにして津波の悲惨な状況を明らかにしていく方針に賛同してくれました。

(続く)

石川幹子 氏
(いしかわ みきこ)
石川幹子 氏
(いしかわ みきこ)

石川幹子いしかわ みきこ) 氏のプロフィール
宮城県岩沼市生まれ、宮城学院高校卒。1972年東京大学農学部農業生物学科卒、76年米ハーバード大学デザイン学部大学院ランドスケープ・アーキテクチュア学科修士課程修了、94年東京大学大学院農学系研究科農業生物学専攻緑地学博士課程修了。工学院大学建築学科特別専任教授、慶應義塾大学環境情報学部教授を経て2007年から東京大学大学院 工学系研究科都市工学専攻 教授。博士(農学)。日本学術会議会員。専門分野は都市環境計画、ランドスケープ計画。岩沼市震災復興会議議長のほか、宮城県震災復興会議委員も。03年欧州連合(EU)国際基金21世紀の公園国際競技設計1位、08年四川vl川大地震復興グランドデザイン栄誉賞受賞。主な著書に「都市と緑地」(岩波書店)、「流域圏プランニングの時代」(技報堂)、「21世紀の都市を考える」(東京大学出版会)など

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