「人がやらないことをやる」
前身である「創造科学技術推進制度」から数えると30年の歴史を持つ代表的な競争的研究資金制度「ERATO」(科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業「ERATO型研究」)の新規研究領域に「脂質活性構造」(研究総括:村田道雄・大阪大学大学院理学研究科教授)が選ばれた。脂質という名からも想像できるようグニャグニャした生体物質の立体構造を解き明かすのは至難の業とされている。研究者たちにあきらめに近い気持ちを抱かせていた脂質の構造を突き止めようという研究に挑む村田道雄・研究総括に、このプロジェクトの意義や研究に取り組む姿勢などを聞いた。
―ERATOの研究総括と学部学生などに対する教育を含めた基礎科学重視とのバランスをどのようにとられるのでしょうか。
ERATO審査員の人たちにも、科学技術振興機構の方たちにも申し上げました。「応用研究はやる気はない」と。さらに実用化につながるところにシフトすることは多分ないと思います。ですから、ERATOと言っても、応用的なところは論文を書いたり報告書を書いたりするときに少しつけ加える程度で、それを目指して研究するということは多分ないと思います。
ものすごく基礎的な研究と、前述したGPCRのようにほとんどが全部応用を目指してやっている分野というのはちょっと違いますね。GPCRで基礎研究というのはごくわずかで、全部、薬の開発に結びつけて皆、研究していますから、そこに入っていったら必ずそういうスタイルになります。GPCRについては、できるだけ修士課程の大学院生や学部の4年生にはタッチさせずにポスドクを中心にやって、非常に興味を持つ博士課程の大学院生に少し手伝ってもらう程度にしたいと思います。
―先生のお話を伺うと、大学の研究のあり方として応用のほうに入っていかなくても、ちゃんと、もっと下の基盤的な研究があり得るというお考えのようですね。
そうですね、物はやりようというか、実用を目指した応用研究が周りに多くても、その中での基礎的なことをやろうと思えば、私はできると思います。例えば、iPS細胞で基礎的なことをやっておられる先生、多分いると思います。そうした特殊な細胞の基礎的なことをやっている研究者が、論文を出したり研究費の提案をしたりすると、見ている方はそうは見ないですね。必ず医療に役立つ研究だろうというふうに見るでしょう。本当は基礎的なことをやっておられて、論文もよく見るとそういうことを強調されているんだけれども、やはり応用研究をその先生はやっておられると見られます。
私の場合、GPCRをやれば多分そう見られると思うんです。それはもう仕方がないと思います。ただ修士や外国の学生がタッチしないようにして、学生の目から、薬をつくることを目指している研究室には見えないようにしておけば、基礎研究をやっているという信念をずっと貫けることができると思います。
結局、われわれにも責任があって、基礎研究をやっているつもりでも、研究費をもらったりするときは「こういう出口につながっていて、その途中ぐらいまでできますよ」という言い方をするわけですね。研究費をもらうためにです。論文を書いて、よい学術誌に掲載してもらうために、「こういう研究はこういう実用的な価値があります」というところの入り口ぐらいまで書くので、見ている方の印象としても、そういう研究をやっているように見えてしまうというのがありますね。世の中の仕組みがそうなってしまっているので、それはある程度はやむを得ないと思いますが…。
―多くの研究者が応用志向になり過ぎてしまうと、ちょっとまずいということでしょうか。
応用志向に見えても、実際の興味はもっと違うところで基礎的なところにあるということを、学生を教育する時に注意すればいいのではないか、と思います。例えば一つの簡単な例として、研究費の申請書でAとBの評価がつけば大体通るわけですね。BとCだと落ちます。A、B、Cに分かれた場合でも大体落ちるでしょうか。ですから「私はこれが面白いからやりたい」とは書かないですね。多分、Cの評価をつける人が出てくるからです。だから、そういう人たちのために「これはうまくすればこういうことになるかもしれませんよ」というのを必ずどこかに書いておきます。そうしたことのために研究者は皆、何かの役に立つから研究していると言っている、という印象になるのだと思います。しかし、本音は別のところにある場合が多いのではないでしょうか。
出口までつながるように書かないと駄目だという今の研究申請の書かせ方が悪いのか、という問題になるのでしょうが、別にそれはそれでとやかく言うほど大きな問題ではないと思います。財務省の人が見ることもあるでしょうからそのように書いておくけれど、実際には気にせずやっている先生がほとんどだということでいいのではないでしょうか。
―最後にERATOのあり方について伺います。
年に4つとか5つですと、採択数としては少ないですね。例えば、ものすごくお金のかかる分野はあまり採択されていません。素粒子物理とか臨床医学の最先端みたいなところです。素粒子物理で10何億円かあれば大変いい仕事ができるという人がいくらでもいると思います。しかし、今まで多分いないでしょう。採択されるのは応用物理か生命系が多くて、あとエレクトロニクスがまあまあでしょうか。
素粒子物理は大きな予算を持って運営されている高エネ機構がありますから、難しいとは思います。でも10億円あったらものすごく研究が進むのに、という先生はたくさんおられるはずです。しかし10億円規模の研究費を得るというのは非常に難しく、科学研究費ではまず無理です。同様に医学の実用化というか、臨床医学でお金のかかる研究というのもなかなか難しいみたいですね。プロジェクトに乗っていないと。
私が審査した例では、これは大事な研究だなと思った申請が、日本学術振興会の科学研究費補助金で一番高額の特別推進研究に出されたことがあります。しかし「一般性がない。臨床研究である」ということで最後は落とされてしまいました。10億円規模の金額が必要な研究で、患者さんを対象にしたような臨床研究のようなものもERATOで支援したらいいと思います。なかなか難しいでしょうけれど。
もう一つ私が聞き及んだ例をお話しますと、原爆症の関係で分かっていないことがいっぱいあるようです。放射性の人体に対する影響の調査では、まだ患者さんが十分おられるけれど、あと5年たつとそういう方々も亡くなられる可能性があり、今やらないと駄目だという研究があるというのです。分からないことは何かが見つかってきたのは割と最近、ここ10年ぐらいのようです。日本でやらなければどこがやるのか、ということです。このような研究もやはり完全な基礎研究ではないし、臨床が主であるとうこともあり、採択は難しいように聞いています。
ERATOがもう少し研究領域の対象を広げてくれることを願っています。
(完)
村田道雄(むらた みちお) 氏のプロフィール
大阪府立豊中高校卒。1981年東北大学農学部卒、83年東北大学大学院農学研究科修士課程修了、財団法人サントリー生物有機化学研究所研究員、85-93年東北大学農学部食糧化学科助手、86年東北大学農学博士学位取得、89-91年米国立衛生研究所(NIH)博士客員研究員、93年東京大学理学部化学科助教授、99年大阪大学大学院理学研究科化学専攻教授。2010年10月科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業ERATO新規研究領域「脂質活性構造」研究総括に。専門分野は生物有機化学、天然物有機化学、NMR分光学。