科学と技術は、人間の高次元の精神活動においては一致すると主張するのが、この小文の目的である。高い視点と広い視野を持てば、同じ探究精神に発する両者の思考スタイルは相乗効果を発揮して、多くの稔りを産むに違いない、と私は信じている。
これには以下述べる論理的な根拠がある。
自然科学と人工物科学(技術)は、アウトプットは違うが、人間の精神活動という究極の次元では、同じ「与えられた課題に対する解答としての、モデルの構築・設計」—自然科学では「森羅万象の理解モデル」、人工物科学では「価値実現モデル」—だ。なお、ここで言う価値は、国家あるいは民族が持つ価値観によって与えられる。
モデルは、自然科学における理解モデル構築のサイクル(以後「自然科学的理解サイクル」)と、人工物科学における価値実現モデル設計のサイクル(以後「人工物科学的実現サイクル」を回す事によって構築される(図参照)。具体的には演繹(えんえき)と帰納の推論、それにイノベーションを意識したアブダクション(仮説的推論)のループを巡る。強いて違いといえば、自然科学では帰納的、人工物科学では演繹的結論に終わることが多い。
頭の中でこの両者を別物としたら、以下に述べる“互いに助け合う強い相乗作用”は起こりようもない。すなわち「自然科学的理解サイクル」には、理解のために必要な情報獲得の実現モデルが不可欠。一方「人工物科学的実現サイクル」には、自然科学が提供する理解モデルが不可欠だ。
以上はこれまでもよく言われてきたことだが、私はこの機会に、さらに一段高レベルの強い相乗作用を指摘したい。実はこれが、今回の私の執筆の動機である。
それは図に示したように、「自然科学的理解」と「人工物科学的実現」は同じイノベーション・サイクルだということである。
これらをひとつの頭脳の中(あるいはひとつの頭脳集団)で積極的に相互作用させるか否かで、その結果に大きな違いが出ることは言うまでもない、とここで強く主張したいのだ。
この主張に関連することとして「科学と技術は違う、区別すべき」だ、あるいは極端な「峻別(しゅんべつ)すべきだ」という、よくある観念論に反論する。
一見すると、湯川秀樹さんの素粒子論研究と低燃費のエンジン開発は、違う。また、地域の総合開発—例えば、テネシー川流域開発総合(TVA)—など、全く無関係に見える。
しかしこれらは、純粋基礎科学から応用技術にわたる壮大な大陸の東海岸と西海岸を較べているからだ。そして、その両極端の間に広がっている、両者が有効な相乗作用を起こす沃野(よくや)を知らないからである。関係者の頭の中は「新しい価値創造」の精神が高次元で同じ回転をしているのだ。
だから、人間の探究精神として発する同じものに、何故、科学と技術の低次元レベルの違いを言い立てるのか、私には分からない。協力の場であるべき学問の広場、何の目的でわざわざ塀を建てるのか、理解できない。
分野間に線を引くことは、場合によっては、ある問題—低次元の、例えば予算や学部新設など—を明確にするために必要な事もある。しかしそれが“本来のもの”であるとの押しつけとなると、有害以外の何者でもない。そういえば、たまに「コレコレの研究は本質的でない」とのたまう“大家”がおられるが、本質を追求している学問において頭ごなしの“本質的でない”は、自然の懐の深さに無知な評論家的科学者の傲慢(ごうまん)さだ。私の知る内外の優れた科学者の皆さんは、知の深遠さを知り、例外なく謙虚である。
科学と技術の相乗作用については、いまさら申すまでもないが、望遠鏡や顕微鏡が幾何光学や波動光学を生み、熱機関から熱力学が誕生した。溶鉱炉の温度測定が量子論のきっかけを作った。航空への技術的要請が空気力学という学理を築いた。
コンピューター技術と脳研究の関係も同じだ。コンピューター開発にあたって脳のメカニズムを参考にするだけではなく、コンピューター技術開発で出てきたいろいろな問題が、脳研究にヒントを与えるのだ。技術開発の神髄を悟ればサイエンスの新しい局面が見え始める。その新局面が今度は新技術を生む、と智の発展の永久サイクルは回り続ける。
その国際的研究業績と高い見識で私が尊敬して止まない故上田良二名古屋大学名誉教授は「学理から技術へ、技術から学理へ」と題して、言われます。
『日本人の多くは、学理を応用して技術を開発すると思っている。しかし、歴史上の大発明にはその逆が少なくない。…(いろいろな例は略す)…学校では基礎の学理を教えてから応用の技術に入るが、それは教えやすくするためにすぎない』。そしてズバリ『今日といえども、一見、泥臭い応用の中から美しい学理の生まれた例は少なくない。残念ながら日本人には学理を生む技術を開発したり、技術から学理を育てた経験に乏しいから、教壇に立つ先生までが学理が先で技術が後と思いこんでいる。この辺に日本の科学技術のくちばしの黄色さがうかがわれる』
いまや因果の糸が、純粋科学から応用技術にわたってびっしりと張り巡らされている。“基礎科学は技術の基礎”とノーテンキに構えて、一本の糸を一方向にたどっているだけでは行き詰まってしまうのは必定だ。
日本の次代を背負う方々にはぜひ科学と技術が協調する発展フェーズに飛び込むチャレンジ精神を持ってほしい。特に、技術に強い日本が、新しいコンセプトに立脚した21世紀の科学技術発展への最短距離にいることを知ってほしい。
日本が技術に優れているのは、先祖伝来のものであると同時に、明治の開国にあたって先進諸国を猛追撃した結果だ。頭を柔らかくして現実的に考えれば、技術に優れるわが国の研究戦略は、サイエンスを作り上げてきた国々のそれとは異なっても一向に差し支えない。これまで述べてきたように「技術がサイエンスの問題を解決し、新しいサイエンスを創出する」戦略を持って、技術の優位性を日本独自のサイエンスの原点とすれば、優位に立てるに違いない。これは正のフィードバックで、ただちに優れた技術の創出に結び付く。
この科学と技術の両者を勇気づける戦略によって、日本は21世紀の科学技術の独創競争をかならず勝ち抜けると私は信じる。
本文の理解のために参考となる
・文献市川惇信 「暴走する科学技術文明」(岩波書店、2000)
・上田良二「雑文抄」(竹田印刷(株)名古屋、1982)
・D.E.リリエンソール著、和田小六、和田昭允訳「TVA-総合開発の歴史的実験(岩波書店、1978)
・和田昭允「物理学は越境する -ゲノムへの道」(岩波書店、2005)
・和田昭允「生命とは?物質か! -サイエンスを知れば百考して危うからず」(オーム社、2008)
・和田昭允「生命は物質の特別な状態だ -その統一的理解に向けて」
・和田昭允「サイエンス高校 -科学技術日本に向けてのチャレンジ」
和田昭允(わだ あきよし)氏のプロフィール
学習院高等科(旧制)卒。1952年東京大学理学部卒、71年同教授、89年同理学部長。世界に先駆けて高速自動のDNA塩基配列解読技術を開発する重要性を唱え、98年に設立された理化学研究所ゲノム科学総合研究センターの初代所長に就任。お茶の水女子大学理事などを歴任し、現在、理化学研究所研究顧問、横浜市青少年育成協会副理事長、同協会「はまぎんこども宇宙科学館」館長、東京理科大学特別顧問などを務める。横浜市が開港150周年を記念して2009年に設立した「横浜サイエンスフロンティア高校」のスーパー・アドバイザーとして「サイエンスの考え方」を基盤とする教育に情熱を燃やしている。