日本学術会議が勧告「総合的な科学・技術政策の確立による科学・技術研究の持続的振興に向けて」をまとめ、8月25日、金澤一郎会長から菅直人首相に手渡された。「科学技術基本法」の見直しを求め、同法の対象から外されていた人文・社会科学も含めた科学・技術政策を確立すること、科学技術とひとくくりにされている表記を「科学・技術」に改め、政策が出口志向の研究に偏るという疑念を一掃することなどを提言している(2010年8月31日ニュース「日本学術会議が科学技術基本法の見直し勧告」参照)。
同会議は、既に年頭の1月18日、金澤一郎会長以下副会長、部長、幹事16人の連名による声明を発表「出口としての技術をもっぱら重視する科学技術政策から基礎研究をしっかりと位置付ける総合的な学術政策への転換」を求めている(2010年1月18日ニュース「科学技術政策から総合的学術政策への転換要請」参照)。
さらに4月8日には提言「日本の展望-学術からの提言2010」を川端達夫 氏・科学技術政策担当相に手渡し、「『科学を基礎とする技術』を主とする応用志向の強いこれまでの『科学技術』に代えて、より広範な『学術』の概念が政策体系の中心に位置づけられるべきである」ことを提言の最初に掲げた(2010年4月8日ニュース「学術会議が総合的学術政策の推進提言」参照)。
ただし、応用より基礎を重視してほしいとまで言っているわけではない。4月の「日本の展望-学術からの提言2010」でも、「多様性・継続性を担保する基礎研究を確実に推進しつつ、社会・経済的価値創造を目指す応用研究推進との両立を担保するためには、それぞれの研究資金枠とその審査基準を明確化・適正化することが必要である」ことも提言している。両者をバランスよく、ということだろう。
しかし、これがなかなか難しい問題であることが、雑誌「科学」が公開している「ウェブ広場」に8月25日付で掲載された市川淳信 氏・東京工業大学名誉教授の寄稿「『科学と科学的知識の利用に関する世界宣言』の解釈」を読んでもよく分かる。
市川氏が取り上げているのは、雑誌「日経サイエンス」9月号に載った科学技術振興機構提供の記事だ。同機構低炭素社会戦略センター上席フェローの談話が批判されている。
1999年の世界科学会議で「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言」が採択されたのを引用し「以後、研究者は、科学の負の遺産を清算しながら、次世代を切り開くシーズを模索するという大きな責任を背負ったのです」としている上席フェローの認識に、市川氏はまず異論を唱える。
世界科学会議の宣言は、ブダペスト宣言として有名だ。上席フェローの談話のように「社会における科学と社会のための科学」という文言によって科学者の社会的責任が明確に指摘されたことが、よく引用される。しかし市川氏は、この宣言が挙げた科学の使命は4つあり、「知識のための科学:進歩のための科学」「平和のための科学」「開発のための科学」という従来から言われていた3つに「社会における科学と社会のための科学」が付け加わったところに特徴がある。上席フェローが主張するように「科学はあくまでも社会のためにあることが再確認された」のではない、という。
「戦略的な科学研究を国の成長に結びつける明確なビジョンを持つこと」や「何より研究者自身が社会の存在を肌で感じながら研究を行うことが重要で、そのために必要なことは、科学技術を精査し課題解決のための最適解とも言うべきシナリオを描くこと」といった上席フェローの談話に対しても、次のように厳しい批判を加えている。
「得られる新たな知識自体が、社会の人々の人格陶冶(とうや)に役立ち、より良き社会への進展を支えている。宣言を見ても『知識のための科学:進歩のために科学』は最初に掲げられている。…シナリオに沿った研究開発が必要な領域もある。低炭素社会の実現を目指す研究領域はそのような領域に属すのかもしれない。しかし、それをすべての科学の領域に拡大しようとして、宣言の一部を強調し、発見の時代は終焉した、科学は工学プロジェクトを指向すべきとするのは専横であり、ソ連時代に食糧生産の拡大を目指して獲得形質の遺伝の研究を強制した当時のあるソ連科学アカデミー会員の行為を連想させる」
市川氏にやり玉に挙げられた形の科学技術振興機構が力を入れているのは、確かに「課題解決型研究」への支援である。「知識のための科学:進歩のための科学」ではなく、「社会における科学と社会のための科学」という使命に沿うものといえる。両者は本来、並立すべきものなのだろうが、科学・技術予算といった話になると、そうもいかないということだろうか。ブダペスト宣言が採択された世界科学会議にも参加し、この宣言の意義を高く評価する吉川弘之 氏・元国際科学会議会長は、次のように言っているのだが。
「宣言の採択は、科学は社会から影響を受けず、独立していなければならないとされた長い歴史を軌道修正する、重大な瞬間であったと思う。この決定の意味は、科学研究の重点が基礎から応用へ移るということではない。したがって科学研究が知的好奇心に導かれて行われることを決して否定するものでもない。むしろ、新しい困難な課題を抱えた現代は、従来は考えつかなかったような独創的視点での科学の展開が期待されるのであって、そのためにはますます研究者個々人の関心に基づく自由な基礎研究が必要である」(2009年1月1日オピニオン・吉川弘之 氏・産業技術総合研究所 理事長、元国際科学会議 会長「持続性のための科学研究」参照)