インタビュー

第2回「少数入試科目の弊害」(西村和雄 氏 / 京都大学 経済研究所長)

2010.03.11

西村和雄 氏 / 京都大学 経済研究所長

「基礎学力低下防ぐために」

西村和雄 氏
西村和雄 氏

10年前『分数ができない大学生』という本が社会に大きな衝撃を与えた。編著者でその後も基礎学力低下が招く深刻な影響に警鐘を鳴らし続けてきた西村和雄氏(現・京都大学経済研究所長)が、小学生の学力向上、モラル向上活動にも取り組んでいる。高校生、大学生への対応では手遅れと考えたのだろうか。1月に「京都からの提言 これからの社会のために-子どもを導く切り札」というシンポジウムを東京で開催した氏に現状と取り組みを聴いた。

―しかし、どうしてこうも学力低下を招くような動きがそろって起きたのでしょうか。

個性化といううたい文句があったのです。創造性、多様性が重要だ、という。

―これはなかなか反対しにくい主張ですね。

そうなんです。ただ、言葉の使い方を間違えていると思いますね。行政から大学の入学試験の実施にかかわる教員まで、例えば、面接を行うとか論文入試にするというのがペーパーテストよりもいいというように皆、言われていたのです。ペーパーテストは真の学力を測らない、あるいは受験は害だ、受験は本当の学力を測っていないというようなことが言われ、面接とか論文入試、あるいは自己推薦とか推薦入試が奨励されました。行政も、それを盛んに奨励というか、指導していたわけです。旧態依然としたペーパーテストはやめろ、と。

しかし、面接というのは面接官の主観に依存しますし、論文入試にしても本当の研究論文を書くわけじゃなく作文ですから、採点員の主観にすごく左右されるものです。

一方、顕著な学力低下が現場で進行していたのです。小学校から大学院生まで学力が低下しているのに、こうした現実に起きていることは一向に報道されなかったのです。官庁の発表だけが記事になっていたことが原因かと思いますが、結果として、今まで述べてきた大学入試の少数科目化、あるいは面接、推薦入試、ゆとり教育などについては、すべてが成功しているというような報道ばかりだったと思います。

報道されないので、何らかの形で真実を伝えなきゃいけない。しかし、いくら文章に書いても没にされるか、だれも読まないかです。ばかなことをいっているといわれるわけです。第二次大戦のとき、新聞報道では連戦連勝と毎日報道されているのに「それはうそだ。勝っているわけがない」と言っても、だれも信じないようなものです。

日本数学会のワーキンググループとして、数学に関する大学生の学力の現状を調査する委員会がつくられました。われわれも含めいろんな分野から参加しました。ただ、調べても報道されないのです。理数系の学会が共同声明を出してマスコミに訴えようとしたのですが、これも報道されません。

そこで考えたわけです。「分数ができない大学生」という本は1999年に出版されましたが、その前の年に大学生の数学力を調査して発表しました。私立大学文系の1年生、入学したばかりの学生に数学の試験をやってもらったのです。一流私立大学の学生でも小学校の分数ができない、という調査結果でした。文系ですから、数学が入学試験の必須科目ではありません。数学を捨てた相当数の学生が入っており、小学校レベルの計算もできない学生が相当いることが分かりました。それがきっかけです。

どうして私立大学の文系でそういうことをやったかです。仮に「理系の大学院生が微分ができない」というような調査結果を発表したとしても、微分ができない人たちは何とも思わないですよね。家庭の主婦も何とも思わないでしょうし、文系出身の新聞記者も何とも思わないでしょう。文系の大学生が分数ができないことよりも、理系の大学生が微分ができないことよりも、理系の大学院生が微分ができないことの方がよほど深刻なんです。だけど、一般の人にはことの深刻さは分かりません。

一流大学の私立文系の学生が小学校の算数ができない。これだったらだれでも事態の深刻さに気づくと思ったのです。それで、経済学の研究グループのいろいろな大学の方たちに協力してもらって、大学1年生に対する4月の1回目の経済学授業で簡単なテストをしてもらったのです。

―国立大学でやらなかったのは何か理由があるのですか。

まず、こうしたことをやること自体難しかったからです。ただ、1998年の私立大学の調査結果が1年後に新聞で報道されたこともあり、1999年に国立の最難関大学文系でやり、翌2000年に国立最難関大学の理系で実施しました。しかし、理系でやっても驚くほどできないのです。

教育政策がめちゃくちゃだと思い、国民に現状を知らせるために「分数ができない大学生」を出したのです。出版すること自体も難しかったですね。ほとんどの出版社は、時流と逆行するような本は出したくない、と。

―先生の著書の中に面白いエピソードが書いてありましたね。記者が先生に取材したいと言ったときデスクがなかなか許可しなかった、という。あれはテレビ局でしたか。

新聞社です。おそらくそのデスク自身が本に出てくる最難関私立大学文系の出身か、あるいはご子息がその大学の学生だったのではないかと思います。これが日本全体の大きな問題だと考える人もいますが、自分や自分の子供のことを言われていると思う人が半数以上だと思います。感情的に反発する人は多いです。大きな問題だと感じているかどうかは分からないのですが、とにかく認めたくないのです。最難関私大(出身)の片方の人はライバル大学の名を挙げて向こうはなぜ出さないのか、となります。本の中にはどちらの大学名も出していないのですが、自分のことを言われたように取るわけです。

最初の報道も社会部の記者ではなく科学や文化担当の記者です。社会部の記者はなかなか報道してくれませんでした。徐々に新聞の報道も変わっていったのですが、今でも変わっていない新聞社もあります。すべての新聞社の報道でゆとり教育を批判するような記事が出るまでには、本の出版から2年くらいかかりました。

―先ほど理系の現状もひどいということを言われましたが、ポスドク問題などが論じられるシンポジウムでも企業側から「基礎学力が低いから博士課程修了者はとらない」といった発言は聞いたことがありません。

実際に今、理系出身の技術者、大学院を出て博士号をとっているような技術者に基礎学力がないということは、日本の一流製造企業で大変な問題になっているんです。既に2000年ぐらいから、日本の大学の大学院生は雇わない、中国の大学院生しか雇っていないという企業がありました。しかし、シンポジウムなどでは言えないでしょう。だから日本の大学院生は雇わないという企業名も出せません。

大学院生の学力低下の理由については後で述べますが、とにかく何が真っ先に止められそうかと言えば、大学の少数科目入試です。大学生の顕著な学力低下はいろいろな要因がありますが、入試科目数を減らしているのは大学自身です。地方大学などは、ペーパーテストをやめる方向で進んでいますが、これは大変危険です。

もちろんペーパーテストの科目数を減らすにしても、英語、数学、国語はちゃんとやるというのならいいのです。英語と数学のどちらか1科目の入試で、しかも、その学科の名前が総合○○学科ではものすごく矛盾しています。しかし、それがあたかも良いことかのように言われ、学科の名前はどんどん変わってきました。伝統ある工学部の学科が、まるで古いようにいわれて、非常に基礎的で重要な科に学生が集まらなくなっています。

とにかく、そういう傾向や少数科目入試はストップさせないといけないし、やろうと思えば大学で、それはできるはずです。

  • (注)
    『分数ができない大学生』(1999年、東洋経済新報社)。西村 氏と岡部恒治・埼玉大学経済学部教授、戸瀬信之・慶應義塾大学経済学部教授の3人が編者となり、執筆者の中には当時の日本数学会理事長や前理事長も含まれている。1)7/8-4/5= (2)1/6÷7/5= (3)8/9-1/5-2/3= (4)3×{5+(4-1)×2}-5×(6-4÷2)= (5)2÷0.25= ―の5問に対し私立最難関大学経済学部の1年生のうちすべて正解だった学生は78.3%(受験で数学を選択していない学生)、88.3%(受験で数学を選択した学生)にとどまった、という調査結果などが話題になった。

(続く)

西村和雄 氏
(にしむら かずお)
西村和雄 氏
(にしむら かずお)

西村和雄 (にしむら かずお) 氏のプロフィール
札幌市立旭丘高校卒、1970年東京大学農学部卒、72年東京大学農学部大学院修士課程修了、76年ロチェスター大学大学院経済学研究科博士課程修了、ダルハウジー大学経済学部助教授、78年東京都立大学経済学部助教授。ニューヨーク州立大学経済学部客員助教授、南カリフォルニア大学経済学部客員准教授なども経て87年京都大学経済研究所 教授、2006年から現職。国際教育学会会長、日本経済学教育協会会長も。2000-2001年日本経済学会会長。NPO日本経済学協会会長、NPO Sustainable Fellowship International理事長、NPO これからの教育を考える会理事 。『学力低下と新指導要領』(岩波書店)『「本当の生きる力」を与える教育とは』(日本経済新聞社)、『ゆとりを奪った「ゆとり教育」』(日本経済新聞社)『学力低下が国を滅ぼす』(日本経済新聞社)『子どもの学力を回復する』(共著、数研出版)『学ぼう!算数』(共著、数研出版)など著書多数。

関連記事

ページトップへ