レビュー

博士はあまっていない?

2008.06.09

 ポスドク問題についてはいろいろな場で論じられており、「これは若者から見れば一種の詐欺行為」(吉川弘之 氏・産業技術総合研究所理事長)という声すら聞かれる(2008年1月4日レビュー「若い研究者が夢を持てる日本にするには」)。

 日本物理学会キャリア支援センター長として、ポスドク問題に積極的に取り組んでいる坂東昌子 氏・愛知大学名誉教授(前日本物理学会長)に、物理学博士課程修了者の活躍の可能性について寄稿していただいた(6月4日オピニオン「20%の時間は冒険に−キャリアの新たな展開に向けて」参照)。

 この問題に取り組む坂東センター長の基本的な考えは「若い人たちだけの問題ではなく、日本の将来、科学技術で身を立てていこうとしている日本の将来にかかわる大問題だ」ということである。日本物理学会キャリア支援センターの活動は「たんなる職業斡旋ではない」というわけだ。

 ポスドク問題に関していくつかのシンポジウムの議論などを聞いた印象では、博士を採用しないと自分たちが困ることになるという危機意識が産業界にはどうやら薄い。当然、こうした企業に対し姿勢転換を求める声も聞かれる。「世界中どこへ行っても、研究開発の現場では博士が活躍している。日本だけが違う。相変わらずキャッチアップ型でやろうとするなら修士で足りるだろう。しかし、本当に最先端を走るなら博士が中心にならなければ駄目。つまり、日本企業は本当に技術開発をする気があるのか、本当に将来を読んでいるのかということだ」(岸輝雄 氏・物質・材料研究機構理事長。5月19日インタビュー「急を要する工学系の人づくり」参照)

 とはいえ、企業の姿勢が変わるのをじっと待っていればよいという問題ではなさそうである。岸理事長が会長を務める日本工学会も、4月23日に「博士後期課程修了後のキャリアパス多様化に向けた学協会の役割という講演会を開いている。冒頭に紹介した坂東昌子さんも、学界の側からの積極的な試みの具体例として、日本物理学会キャリア支援センターの取り組みを報告していた。

 日本物理学会とともにポスドク問題に積極的に取り組んでいる学会に日本化学会がある。日本工学会の講演会では、府川伊三郎 氏・日本化学会理事(旭化成顧問)が、日本化学会が進めている博士卒人材の企業就職支援策について紹介していた。府川 氏によると、博士がイノベーションの中心を担っている世界の現状に対し、日本の化学企業は修士が中心。博士卒の採用率は5-10%でしかない。数少ない例外は製薬業界くらいで、5年ほど前から、急激に博士卒の採用比率が高まり30〜70%に達している。理由は、製薬メーカーは専門を生かしやすいということだけではない。製薬業界に特有の事情がある。グローバル展開により、海外で臨床検査などにかかわる機会が増えたことで、博士採用率が高くなったと考えられる。海外では修士はテクニシャン扱いでしかないからだ。

 一方、化学メーカーには、扱うテーマが変わってもそれにゼロから対応できる能力が要求されているため、博士号取得者の専門を生かしにくい面がある。さらに、長年、修士が研究開発の中心として頑張ってきたという自負から、博士の採用増への反発も社員の中に見られるという。「われわれで十分ではないか」というわけだ。

 いずれにしろ、博士の採用率が高い製薬業界は、特別の例と見るべきなのだろう。

 日本化学会は、2007年11月に東京、今年1月大阪で博士セミナー「博士課程在学生のための短期集中的インターンシップ」を開催している。春期年会に合わせ3月28日には「拡大博士セミナー—博士のためのセミナーと就職相談会」シンポジウムを開いた。日本化学会は、元は別の学会だった日本化学会と工業化学会が1948年合同していまの形になったそうだ。この経緯から見ると学界と産業界の関係は近い学会といえるのだろう。そもそもこのような産学協調の催しが実現したのは、「博士の人材育成に関する提言」という2006年11月に野依フォーラムが経団連などに出した文書がきっかけという。野依フォーラムは、野依良治 氏・名古屋大学教授(当時、現・理化学研究所理事長)がノーベル化学賞を受賞したのを機につくられた。野依 氏を囲む化学・製薬企業20数社をメンバーとする集まりである。 

 こうした恵まれた環境にある化学の世界でも企業の博士採用率は5-10%でしかないというのだから、他の産業の博士採用率が低いのは容易に想像できる。

 日本物理学会キャリア支援センターの試みの中で、成果が上がった例として坂東昌子センター長が挙げているのに物理医学士がある。物理学と医学という異なる専門知識を要する新しい職種への物理学博士の参入だ。坂東さんによると、日本物理学会が実施するシンポジウムや特別企画による積極的な支援策で物理医学士の道を歩み始めた物理博士はすでに10名を超える。もともとあったニーズに、学会側の積極的な取り組みがうまくかみ合った例だろう。

 井村裕夫 氏・先端医療振興財団理事長(元京都大学総長)から、「PET(ポジトロン断層法)という検査法が注目されているが、この画像を読める専門医がものすごく不足している」という話を聞いたことがある。医療の進歩に人材育成がついて行けない分野の一つということだろう。医療の分野では、さらに統計学者ももっと必要とされているという。国際的に遅れていると最近ようやく深刻視されるようになった臨床研究には、統計学の分かる人材が不可欠だからだ(3月18日インタビュー「多様な専門家の育成も」参照)。

 高度な専門知識と新たな分野への挑戦意欲を持つ人材が必要なのに、人材養成が追いついていない。こんな領域は医療以外にもあると思われる。こうした分野、職種にこそ博士課程修了者が積極的に飛び込むことが期待されているように見える。ポスドク問題には、本来活躍すべき分野にポスドクが行っていないという面もあるのではないか。

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