ハイライト

医療を成長産業に生活大国へ(大村昭人 氏 / 帝京大学 医療技術学部長、同医学部 名誉教授)

2010.02.17

大村昭人 氏 / 帝京大学 医療技術学部長、同医学部 名誉教授

オール北海道先進医学・医療拠点シンポジウム「橋渡し研究のゴールを目指して」(2010年1月27日、北海道臨床開発機構 主催)特別講演から

帝京大学 医療技術学部長、同医学部 名誉教授 大村昭人 氏
大村昭人 氏

 WHO(世界保健機関)による医療評価(World Health Report)で日本はいつもトップクラスだ。新生児の死亡率は世界で最も低く、かつ最長寿国である。日本の医療制度には非常に良い点があるからではないか。まず医療費がとても安い。2005年はOECD(経済協力開発機構)加盟30カ国のうち22位。そして国民皆保険制度で、健康保険証があれば、いつでもどこでも診察してもらえるというフリーアクセスが保障されている。ところが、この優れた医療システムの崩壊が急速に進んでいる。

 私は米国で医学部の研修医や学生の教育に当たってきた。人口約3億人を超える米国の病院数は約5,500。日本は人口1.27億人で約8,900あるが、医師の絶対数が欧米の3分の2と少ない上に分散しすぎて医療現場にひずみが起きているのではないだろうか。

 日米の医療施設とマンパワーを比較すると、例えばアイオワ大学病院は830床に約7,200人、日本の某国立大学は980床で1,200人だ。救命救急の場合、メリーランド大学では75人の医師に研修医30人以上、よその科から応援もあり、総勢200人以上になり、救急車を同時に何台も受け入れできる。日本はおおむね10人前後の医師に後期研修医が数人なので、救急車1台でも大変な状況になる。がんセンターも日本はスタッフがあまりにも少ない。

 米国ではレーガン政権が民間医療保険を規制緩和して彼らが巨大になり、医療崩壊が起きた。05年には約4,700万人が保険未加入の事態だ。マイケル・ムーア監督の映画「SiCKO(シッコ)」 の題材にもなっている。オバマ大統領は保険を含めた医療改革をしようとしているが、極めて困難なようだ。

 かつて英国のサッチャー首相は医療費総枠規制、行き過ぎた市場原理を導入、急激に医療の荒廃を招いた。ブレア首相は医療費の大幅増加に転換したものの回復に時間がかかっている。入院待ちが一時1年以上にもなり、外国人頼みの医療従事者など依然深刻な状況だ。

 「医療の公平性(アクセス)、効率(費用対効果)、質(効果)を同時に3つは満たせない」と言われる。英米両国の失敗から日本は何を学ぶか。

 わが国の医療問題の背景には医師、看護師の絶対数の不足と医療の質、量の変化がある。小児科は少なくとも小児人口千人に1人必要なのに、都道府県をエリアごとに分けた二次医療圏ではほとんど1人未満、産婦人科医は地方で特に足りない。地方自治体病院の93%が赤字で、救急医療や産科、小児科が相次ぎ診療を縮小、あるいは病院閉鎖に追い込まれている。

 日本がこうした医療崩壊を食い止め、医療立国を目指すには、次の3つの対策が緊急に必要と思われる。

  1. 広い単位での医療施設の再編統合の必要性:地方自治体に財源と権限を委譲して、独自の医療再建プランを出してもらえばよいのでは。地方独立行政法人「山形県・酒田市病院機構 日本海総合病院」の例がある。08年に山形県立と酒田市立の2つの病院が統合・再編したもので、急性期と亜急性期(注)医療に役割を分担して、がん診療や災害対応のほか地域の拠点病院として高度な医療を提供している。
  2. 人材の育成:医師の派遣機能を大学に戻し、米国のように卒業時点で専門を決めてから大学病院と地域の基幹病院が協力して研修医の教育をしてはどうか。ただ日本は教育スタッフが少ない。大学医学部の教員は診療・研究・教育をひとりで背負っている。その状態で医学部の定員5割増に対応できるだろうか。

    医師の養成制度の不備は、医師法第17条“医師でなければ、医業をなしてはならない”の解釈も関連している。日本ではこの法律を「個々の医療行為=医業」と硬直した解釈をしているために医師免許のない医学生に医療行為を教育する障害になっている。最近、厚生労働省でナースプラティクショナー(専門性の高い職務が可能な看護師)の必要性がテーマになっているが、日本の教育体制が悪く看護師がそのレベルにないし、医師法17条の解釈を変えないでできるのかという問題もある。欧米では、優秀な看護師を選んでトレーニング制度を整備して、ある程度慢性的な病気だと診察、処方を出せるなどの裁量が認められている。医学生の臨床教育も重視・充実させるべきだ。医師国家試験に合格すれば何でもできるというのは、むしろ患者さんにとって危ない。もっと法を柔軟に解釈できないだろうか。


    また、欧米のように医療の質を外部から客観的に評価する制度ができていないことも課題である。これは患者にとって医療施設を選ぶ上で大事な情報である。一方、不足している産婦人科、小児科、麻酔科など専門医の配置には各学会とこうした専門医の不足の現状を把握している自治体が主体的に役割を果たすべきだ。女性医療スタッフが働く環境を改善することも必須。未就労看護師が55万人もいる。日本の女性医師の割合は欧米より少ないが、この10年、医学部に入学する女性は急速に増えている。フランスのような女性全体へのキメ細かな支援は、少子化対策のみならず医療の向上にも寄与する。

  3. 薬剤と医療機器について:新薬、特に抗がん剤の承認まで期間が長い。EU(欧州連合)では一定の安全を確認できれば、細部は製造者の自己責任として過剰な規制を避けているので承認審査が短期間ですむ。さまざまなリスクに対しては、入り口で過剰な審査や規制を行うことよりも、薬剤が市場へ出てから継続的な調査をきちんと行い、予期せぬ副作用に対する迅速な対応システムを構築、国民に情報開示することの方が重要だ。こうした市販後の予期せぬ副作用はサリドマイドを初め多くの例がある。エイズ、薬害肝炎の過ちを繰り返してはならない。

    欧米で承認を得た医療機器が日本に入ってくるまでに要する期間は平均4年以上。国内で新規開発するにも、改正薬事法によりますます難しくなっている。審査は独立行政法人 医薬品医療機器総合機構が行っているが、医療機器の担当者は35人だけ。米国のFDA(食品医薬品局)は1,000人以上いる。EU諸国では医療機器審査のほとんどが政府の認可を得た民間機関による第三者認証で審査が非常に速い。一方、新薬審査承認の担当者は日本のわずか200人に対し、米国 2,200人、ドイツ 1,100人ほど。日本の公務員の数は欧米に比べて少ないが、4,700の法人に天下りが2万6千人以上いて、年間12兆円以上も国費が使われている。本当に必要なところにこそ人を配置すべきだ。

 最後に、医療にかかわる4省(文部科学、厚生労働、総務、経済産業)以外の新しい枠組みで医療庁の創設を訴えたい。

 OECD諸国の社会保障・租税率は高い代わりに国民の国への信頼感が大きい。EU、特に北欧の国々では医療・福祉・教育に力を入れ、経済が活性化されている。EU域内の貿易収支を見ると製薬産業は3兆6千億円も黒字を稼ぎ出していて産業界トップだ。わが国では労働人口の約15%が医療や社会福祉に関係している。その経済波及効果は公共事業より高い。医療は国民の大事なインフラであり、成長産業だ。環境や農業技術などと合わせて重点投資、公的教育支出を他の先進国並みに上げ、生活大国を目指すべきである。

 いま超党派議員の非公式な「医療・介護再生政策会議」に加わり、夏ごろまでに政策提言をまとめるつもりで議論している。

(SciencePortal特派員 成田優美)

  • 注)
    急性期(急激に症状が現れ生命の危機にある状態)、亜急性期(回復期にあるが病状が不安定な状態
帝京大学 医療技術学部長、同医学部 名誉教授 大村昭人 氏
大村昭人 氏
(おおむら あきと)

大村昭人(おおむら あきと)氏のプロフィール
1967年東京大学医学部医学科卒。東京大学付属病院、北里大学などで外科、麻酔科研修後、73年ワシントン州立大学麻酔科レジデント、78年ユタ州立大学麻酔科助教授、79年帝京大学医学部麻酔科助教授、2003年帝京大学医学部長。09年から現職。日本工業標準調査会医療用具技術専門委員、厚生労働省臨床工学技士国家試験委員長、ISO/TC121(専門員会121)国内委員長なども。専門領域は、麻酔・集中治療医学。著書に「医療立国論:崩壊する医療制度に歯止めをかける」(日刊工業新聞社)など。

関連記事

ページトップへ