インタビュー

第4回「多様な専門家の育成も」(井村裕夫 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 首席フェロー(元京都大学総長))

2008.03.18

井村裕夫 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 首席フェロー(元京都大学総長)

「急を要する臨床研究体制の改革」

井村裕夫 氏
井村裕夫 氏

医師が少なくて地方の病院が悲鳴を上げている。特に産科や小児科の医師不足は深刻-。医療の現場での暗いニュースが相次いでいる。こうした目に見える医療の危機に加え、最近、日本の医療システムの大きな欠落部分が問題視されて来たる。臨床研究の立ち後れによる先端医療の導入の遅れだ。この問題に早くから気づき、「総合的迅速臨床研究(ICR)の推進-健康・医療イノベーション」という提言もまとめている井村裕夫・科学技術振興機構研究開発戦略センター首席フェロー(元京都大学総長)に聞いた。

―お話をうかがうと、個々の医師の意識改革だけでなく、医療体制の大幅見直しが必須という気がしてきますが。

提言には、臨床研究がやりやすい体制を作る必要も盛り込んでいます。プラットホームという名前で呼んだのですが、大学に臨床研究センターを造らなければならないということが中心です。いま、どうしているかというと、普通の患者さんが入院している同じ場所で、了承を得て臨床研究もやっております。これではいろいろ制約があり、問題が生じます。新しい医療技術や臨床医学をよく理解している看護師がいて、患者のケアをする。生物統計の専門家がいて統計処理をする。医療データをコンピュータに打ち込んでデータマネジメントができる。このようないろいろな専門家が必要です。医師が片手間にコンピュータにデータを打ち込んでいるようでは、到底駄目です。いろいろな専門家を抱えた臨床研究センターが必要だ、と提言したわけです。

米国では、1960年ごろには臨床研究センターの重要性が認識されており、私が63年に米国に留学した大学にも既にこうしたセンターがあり、研究のための患者はここに入院していました。現在、80くらいの臨床研究センターが米国にはあります。私も何度か文部省(当時)の会議で発言したが、お金がなくてできず、2002年になってようやく東京大学医科学研究所と京都大学に予算が付き、臨床研究センターができました。私はそれ以前、神戸市長に頼まれ、医療産業都市構想の一環として神戸に臨床研究センターを造りました。現在、国内6つくらいの大学にできてはいるものの、規模は小さいものばかりです。米国では80くらい造ったうえで、規模が小さくては駄目だということに気づき、20くらいのセンターを大きくしています。大学病院は高度な医療を一般の人に提供するのが一つの使命ですが、それ以上に新しい医療技術を開発するのも重要です。一般病棟とは別に臨床研究のための病棟があって、違ったスタッフがいないといけないということです。

諸外国に比べ、日本は完全に遅れてしまっているので、大きなコンプレックスを造ることを提言しています。例えば、1,000床くらいの大きな病院であれば、そばあるいはその中に臨床研究センターがあり、さらに分子イメージングやゲノムなど臨床研究を支援する研究ができる研究所という3つの施設から成るコンプレックスを取り敢えず全国に2つくらい造ったらどうかという提言をしました。

実際には、10ぐらいの大きな大学病院と30くらいの小さな病院に予算をばらまいてしまった結果、1カ所、2,000万円くらいしかつかないところもできてしまいました。米国は一つのセンターに20億、30億円をつぎ込んで造っていますから、これでは競争できません。

―規制行政の仕組みについてはいかがでしょう。

これは本当に悩みですね。公務員の定数削減の影響をもろに受けています。医薬品医療機器総合機構の審査員は200人ぐらいしかいません。これに相いないのが問題です。一部、国立病院からの医師もいますが、すぐ戻ってしまい長続きしないと聞いています。

本当は、臨床の現場、企業の中で研究開発を経験したことがある人がどんどん入っていかないといかんのです。そうでないから「書類がこれだけでは駄目」、「このくらいの厚さでなければ」などといった書類の上だけの審査しかできないといった実態が生じています。また、重箱の隅をほじくるような質問ばかりして、本質に行かないといった問題もあります。

当する米国のFDA(食品医薬品局)にはこの10倍以上の審査官がいます。規模が小さい上に、役所から行っている人が多く、実際に医薬品、医療機器の開発経験者がほとんど
この改革はやらなければならないという提言に対しては、政治も動いてくれ、審査員の定員倍増が決まりました。大学からも人を出してほしいと私もあちこちに頼んでいるのですが、なかなか行ってくれないという問題は、残っているのですが。

もう一つの問題があります。医薬品医療機器総合機構は独立行政法人ですから、審査するだけなのです。認可は厚生労働省がやりますから、審査を通っても、さらに認可まで時間がかかることになります。これはおかしいのですね。FDA(米食品医薬品局)に相当するものをつくりなさい、と今後提言することを考えています。現在、食品の安全が大きな問題になっています。食品と医薬品の両方を見て、安全性、有効性をきちんと評価できるような機関をつくりなさい。何かあったときに国が責任をとるわけですから政府機関でなければなりません。例えば内閣府にそうした機関があれば、非常によいのではないかと考えています。一般の国民にとっては食品も医薬品も分ける必要などありませんし、現に中国も韓国もFDA型の機関になっています。さらに新しい機関は、FDAのように研究施設を持つか、研究機関と連携すべきです。審査する人も一定期間、研究に従事することで、学会にも出るでしょうし、現在の動向がよく分かります。

―やはり、人材の問題に行き着くように思えますが。

これが最も難しいとも言えます。まず、医師ですね。医師に対しては、臨床研究の重要性をこれまで教えていませんでした。私も20年間内科の教授をしていて、責任を感じています。日本の大学の医学部は臨床研究のための人材を育てようとはしてこなかったのです。しかも、今医師が不足して、病院は疲弊しているわけです。米国の病院と比べると医師の数は7分の1から10分の1しかいません。ソウル大学と慶應義塾大学を比べてもソウル大学の方が2倍の医師がいるそうです。医師の数が非常に少ない大学に臨床研究してほしいと言っても、余力がないと言われてしまう深刻な状況になっています。

臨床研究をやろうという医師をまず育てて行くのと同時に、そういう医師の支援をしてあげないと、日本の臨床研究の進展は望めないということです。オランダでやっているようにポスドクのお金を出す、といった支援が必要でしょう。

医師に加え、生物統計の専門家を養成してこなかった、という大きな問題もあります。臨床研究というのは優れて統計の必要な分野です。遺伝的に同じ純系を使う動物実験とは異なり、人間は遺伝素因が一人一人違います。育ってきた環境も異なります。病院から一歩外へ出たら何を食べているかも分かりません。こうしたヒトを対象にする医療技術を評価するのですから、統計学を用いてきちんと押さえておかないと答えは信用されません。統計学者が必要なのです。

京都大学が日本で初めて大学院に社会医学専攻をつくり、生物統計、臨床疫学、医療倫理の専門家の養成を始めました。その後、九州大にもでき、昨年東京大学にもできましたが、やっと3つくらいです。必ずしも医師でなくてもよく、弁護士、看護師、薬剤師など、新しい臨床の研究をやろうという人、薬の開発に携わりたい人が入学しています。

こうした人々は論文の質を高める上でも重要な役割を果たします。例えばNIH(米国立衛生研究所)に研究助成金を申請しますと、審査する側に統計の専門家がいますから「こんな研究手法では駄目」とはねられてしまったりします。2年ほど前、ビジティング教授として行った米国のある公衆衛生大学院には生物統計学部門というのがあり、教授、助教授が60人、大学院生が65人もいました。米国には生物統計の専門家を養成しているところが30近くあります。ここで養成された人材が大学にも製薬企業にも行くわけです。

臨床研究を進めるには、医師に加え、こうした生物統計の専門家、さらに、クリニカル・リサーチ・コーディネーター、データをマネジメントできるデータマネージャーなどいろいろな専門家が必要です。われわれが提言した、「総合的迅速臨床研究(ICR)」を進めるには、このようにさまざまな専門の人材育成も欠かせないということです。

(完)

井村裕夫 氏
(いむら ひろお)

井村裕夫(いむら ひろお)氏のプロフィール
1954年京都大学医学部医学科卒業、62年京都大学大学院医学研究科博士課程修了。71年神戸大学医学部教授、77年京都大学医学部教授、89年京都大学医学部長、91年京都大学総長、98年神戸市立中央市民病院長、2001年総合科学技術会議議員、05年から現職。先端医療振興財団理事長、稲盛財団会長も。日本学士院会員、アメリカ芸術科学アカデミー名誉会員 専門領域は内分泌学。臨床医学の重要性については、神戸市立中央市民病院長時代から具体策の実践にあたり、科学技術振興機構・研究開発戦略センター首席フェローとして提言した「統合的迅速臨床研究」では、“先端医療後進国”日本の抜本的改革策が盛り込まれている。

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