インタビュー

第2回「『医療後進国』日本」(井村裕夫 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 首席フェロー(元京都大学総長))

2008.03.03

井村裕夫 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 首席フェロー(元京都大学総長)

「急を要する臨床研究体制の改革」

井村裕夫 氏
井村裕夫 氏

医師が少なくて地方の病院が悲鳴を上げている。特に産科や小児科の医師不足は深刻-。医療の現場での暗いニュースが相次いでいる。こうした目に見える医療の危機に加え、最近、日本の医療システムの大きな欠落部分が問題視されて来たる。臨床研究の立ち後れによる先端医療の導入の遅れだ。この問題に早くから気づき、「総合的迅速臨床研究(ICR)の推進-健康・医療イノベーション」という提言もまとめている井村裕夫・科学技術振興機構研究開発戦略センター首席フェロー(元京都大学総長)に聞いた。

―臨床研究が重要ということは当たり前のことでは? なぜ今になって、と一般の人は不思議に思うのではないだろうかという気もしますが。

臨床研究というのはこれまで、主として薬を対象に発展してきました。薬の場合には、大体、方法が決まっています。まず動物で実験をして、それをどうやって人に持って行くか、どうやって効果と安全性を評価するかについての方法ですね。しかし、iPS細胞を再生医療に使うとなると、どうやって安全性を評価したらよいのか、どうやって使うか、基準、ガイドラインがないのです。自分の体細胞を使って行う研究は、大学では行われています。しかし、治療法として政府が承認するとなると、政府の責任になるので、きちんと安全性の評価をしていかなければならない、ということになります。

実は、再生医療については国際的にも基準がありません。米国はFDA(食品医薬品局)の中に、化学薬品ではなく、生物製剤を扱う部署があります。ここがいろいろ検討し、既にある程度、ケースバイケースで承認しています。しかし、絶対的な基準はなく、国際的に皆が認めるものはないのです。ですから、iPS細胞を臨床に持っていこうとするなら、できるだけ早く基準を作る必要があり、ここをどうやるかが大きな問題だということを、京都のiPS細胞特別シンポジウムでも強調したわけです。

―日本の場合、生物製剤については、米国のようにケースバイケースで認められた例もないのでしょうか。

10年かかってやっと皮膚の体外培養による再生が認められただけです。後は全部ストップして、機関内の研究レベルで行われているだけです。

実は再生医療とか、細胞を使う治療は、医療の中の一部にすぎません。医療全体を見ると、やはり一番多いのは薬です。ですから薬の開発がさらに大きな問題なのです。細胞を使う再生医療、放射線を使う治療、遺伝子を使う治療、外科治療などいろいろな治療方法がありますが、外科の治療以外はすべて国が安全性を評価して、承認してから一般に使われます。外科手術は外科医の手腕にかかっているので、今のところ手術に用いる機器以外、国がどうこうすることはありません。

いずれにしろ新しい治療法が出てきた場合、人間に持っていくには臨床試験が欠くことができないステップなわけですね。医療は臨床研究をやらないと完結しません。いくらよい基礎研究をしても、いくらよい治療法の可能性があるものが見つかっても、最後にヒトに使って効果を確認しないことには、日の目を見ないわけですから。その臨床試験が、再生医療に限らず薬についても日本は非常に遅れてしまっているのが大問題なのです。

皆さんあまり気づいていないのですが、新しい薬についても、他の医療についてみても日本は後進国になってしまった、といえます。例えば、世界でよく使われている薬100を取り上げて調べたデータがあります。これらの薬のうち、米国で使われていない未承認の薬は1つだけです。欧州では3つくらいです。ところが日本は、なんと38の薬が使えないのです。これだけ見ても格差はものすごくあることが一目瞭然でしょう。

がんの治療は日進月歩で、どんどん進んで来ており、新しい薬ができて来ますし、がんの標準治療は常に変わっているわけですね。米国の国立がん研究所はPDQ(注)というインターネットの窓口を設けており、毎月、更新して現在の標準治療を公開しています。それを見ると、日本では使えない薬、あるいは一応承認はされているが適応がまだとれていない「適応外」の薬が約4割ぐらいあります。日本のがん治療は、米国に比べ半分の薬で行われているという状況になってしまっています。

これは大変憂慮すべき状態で、だからがん患者さんなどはハワイまで薬を買いに行く、あるいは韓国に行くという状況になっています。韓国でも日本では手に入らない薬が相当買えますから。既にアジア諸国は「メディカルツーリズム」にものすごく力を入れています。「日本では使えない薬がいくらでも使えます。どうぞどうぞ」と日本の患者を呼び込んでいるのです。タイでもシンガポールでも「メディカルツーリズム」目当てのきれいな病院がつくられており、有名なタクシンさん(元タイ首相)も病院を持っています。

そういう時代になっていることをのんきな日本人の多くは気づいていないのです。

(注) PDQ=Physician Data Query、(財)先端医療振興財団PDQ 日本語版サイト

(続く)

井村裕夫 氏
(いむら ひろお)
井村裕夫 氏
(いむら ひろお)

井村裕夫(いむら ひろお)氏のプロフィール
1954年京都大学医学部医学科卒業、62年京都大学大学院医学研究科博士課程修了。71年神戸大学医学部教授、77年京都大学医学部教授、89年京都大学医学部長、91年京都大学総長、98年神戸市立中央市民病院長、2001年総合科学技術会議議員、05年から現職。先端医療振興財団理事長、稲盛財団会長も。日本学士院会員、アメリカ芸術科学アカデミー名誉会員 専門領域は内分泌学。臨床医学の重要性については、神戸市立中央市民病院長時代から具体策の実践にあたり、科学技術振興機構・研究開発戦略センター首席フェローとして提言した「統合的迅速臨床研究」では、“先端医療後進国”日本の抜本的改革策が盛り込まれている。

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