インタビュー

第3回「新しい領域担う人材を」(渡邉俊樹 氏 / 東京大学大学院 新領域創成科学研究科 教授、同メディカルゲノム専攻長)

2009.02.23

渡邉俊樹 氏 / 東京大学大学院 新領域創成科学研究科 教授、同メディカルゲノム専攻長

「基礎研究と臨床医療を隔てる死の谷」

渡邉俊樹 氏
渡邉俊樹 氏

救急治療が必要な患者に医療機関側が適切に対応できないという不幸なニュースが相次いだ。関係者だけが警鐘を鳴らしていた「医療崩壊」という言葉が、普通の人々からも聞かれるようになっている。しかし、問題は患者と医療関係者の接点で起きているこうした目に見える現象だけではない。医療のより根っこのところで深刻な事態が進んでいる、という危機感が内外の医学・医療関係者に強まっている。基礎医学の研究成果を臨床医療に結びつけるトランスレーショナルリサーチ(橋渡し研究)の立ち後れだ。渡邉俊樹・東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカルゲノム専攻長に現状と対応策を聞いた。

―先生が専攻長を務められておられるメディカルゲノム専攻の目指すところと、これまで姿が見えてきたことを伺います。

これまでいろいろお話しした医学の教育と研究体制の現状、さらに生物学の大きな変革と進歩を背景に考えて、生命をとらえる新しいパラダイムに基づいた医学、医療を考える人間を育てたいということです。医学部の人が今までのようには基礎研究の分野に入ってこられなくなっているので、理工系の人たちをリクルートして、医療の現場で何が求められているかを教育しつつ、生命科学、化学、情報科学の教育も含めて新しい領域を担う人材を育てたい。それがメディカルゲノム専攻の出発点でした。当初、考えたカリキュラムを組み替えて、さらに目標達成に向けて進んでいるところです。

ちょうど5年目で博士課程の修了者がやっと出るところですから、社会にどのような人材を供給できるか、あるいはできたかを問われるのはこれからということになります。狙いは、医学、医療で問題になっている事柄と、現代的な生命科学の考え方を背景に、興味を持って新しい課題にアプローチして行ける人たちを育てることです。

―実際にこれらの人たちにどういう場で活躍してほしいとお考えですか。

医学部出身者で医学部の基礎部門を担う人材は、将来ますます少なくなるだろうと思われます。医学部の基礎部門の一部を担える人材と、製薬メーカーなど企業における研究、さらには公的研究機関の研究を担う人たちを供給できればと考えています。MD(医師)ではないけれど、医学と医療の問題点をよく理解し、それを自分の問題として継続的なモチベーションを持って取り組める。そういう人たちをそのような場に送り込みたいと思っています。

―国際的に後れを取っている日本の臨床研究体制の改革には、生物統計、臨床疫学、医療倫理などの専門家を養成することが必要、ということも聞きますが。

今、トランスレーショナル研究を進めていく上でさまざまな専門性を持った人たちの協力が必要だ、というのは一つの側面です。どのような人材を集めて課題に取り組むかとなれば、臨床医に加えて、統計学や有機化学のバックグラウンドを持った人、さらに実業の立場でものをとらえることのできる人たちを統合してアプローチしなければならない、というのはその通りです。

ただ、もう一つ、トランスレーショナル研究をメジャーと考える、本当にそこを自分の土俵とする人間をこれから育てていく必要があります。これら2つは、別のレベルの問題ではないかと思います。いつまでも専門の違う人たちを同じ所に集約して、ということではなく、やはり本来その領域を専門とする人間が必要であろうということです。なぜならば、専門家がたくさん集まったら、だれがかじを取るかという問題が起きます。仕切るのは当然、医者であって、ほかは職人的にサポートすればよいというとらえ方では、チーム作業としてうまく行かないでしょう。医者もワン・オブ・ザ・メンバーというスタンスで、どういう組織を運用するか、だれが全体をオーガナイズして方向付けをするのか、という視点が絶対に必要だと思います。こうした議論がこれまではなかったのです。

―最後にご専門であるATL(成人T細胞白血病)について、エイズとの関連なども含め伺います。

ATLの原因ウイルスであるHTLV-1とエイズの原因ウイルスHIVは、どちらもレトロウイルスでTリンパ球に感染するという共通点を持っています。HTLV-1が1980年に日本と米国でほぼ同時に発見され、それが導火線になり昨年のノーベル医学生理学賞の授賞対象となったHIVの発見につながりました。研究のやり方に共通するところが多かったからです。

HIV保有者は世界中にたくさんいますから、膨大な研究費が投入されていますが、日本国内ではHIV保有者は1万人程度です。これに対して、日本人のHTLV-1保有者は全人口の1%約120万人に上り、発病するのは10-20人に1人ですが、発病すると大多数の方がほぼ1年以内に亡くなります。ATL以外の白血病は治療法がどんどん進み、発病しても約半数は長期生存できるようになっていますが、ATLの方は、20年、30年前と事情は全く変わっておりません。毎年、千数百人が発病し、これから5-10万人の患者が出ると予想されます。国として組織的な取り組みが必要だ、とわれわれは考えていますが、そうなっていないのが現状です。

―日本にHTLV-1保有者が多いのはなぜですか。

日本とアフリカ、中南米の人たちに多く、白人や中国大陸の人々にはあまりいません。霊長類の中にいたウイルスが5~10万年前にヒトの祖先に入って来て、人類の中で伝わってきたと考えられていますが、地域ごとに伝染の割合が異なっているのです。日本の場合は、この列島に元々住んでいた縄文人の中に保有者が多く、後から入ってきて、縄文人を北と南に圧迫していった弥生人には少なかったのでしょう。縄文人の子孫筋に当たる九州や沖縄、アイヌの人たちに保有者が多く、国内の保有者の半数が九州、沖縄に偏在しています。

HTLV-1は感染した細胞の中にずっと潜んでいて、保有者が子孫を作るような元気な時期を過ぎると悪さをする。これに対しHIVは1960年代にサルから人間にうつったといわれています。従って、まだ人間に感染してから日が浅いので、宿主にさまざまな異常をもたらしていると考えられます。つまり、HTLV-1と人類との間に見られるある種の共存関係に至っていないと思われます。

―今後、HTLV-1研究で目指すところをお聞かせください。

この領域の課題をまとめると、感染予防とATLの発症予防および治療法開発です。

つまり、ATLに関しては、HTLV-1保有者の中で発病の危険が高い人とそうでない人を区別し、危険の高い人には発病を予防する方法を考えることと、発病してしまった人の治療法を探す必要があります。治療法としては、分子を標的にした薬の開発が本筋だろうと考えています。私たちの役割は、その標的を明らかにすることですが、標的の一つは見つかっており、ある薬を使って臨床応用手前の段階のデータは既に出しています。さらにより特異性があり、ピンポイント攻撃ができる標的があるはずと考えて、研究を進めているところです。

いい薬を見つけるというのは、非常に難しく、薬の研究、開発は99%あるいはそれ以上が失敗なのです。理論においても実際の薬の開発でも、百に一つ、千に一つしか成功例はないというのが厳然たる事実ですから、一つの成果を得ようと思ったら百なり千なりの無駄を前提としなければなりません。これをやったらなんぼのものになるのか、などという話ばかり聞いていると絶対にうまく行くはずはない、というのが私の考えです。

(完)

渡邉俊樹 氏
渡邉俊樹 氏

渡邉俊樹 氏のプロフィール
1979年東京大学医学部医学科卒、81年東京大学医学部第4内科医員、82年癌研究所研究生、85年東京大学医学部第4内科助手、87年米スクリプス研究所客員研究員、88年癌研究所流動研究員、90年東京大学医科学研究所助教授、2004年から現職。成人T細胞性白血病(ATL)と原因ウイルスHTLV-1の研究を続け、NF-κBという転写因子の新しい阻害剤がATLの新しい治療と発病予防につながる可能性を示した。「サルのT細胞白血病ウイルス(STLV)の研究」で比較腫瘍学常陸宮賞受賞(2008年)。

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