ハイライト

危機は新たな価値創造の絶好機(野依良治 氏 / 理化学研究所 理事長)

2009.04.27

野依良治 氏 / 理化学研究所 理事長

シンポジウム「イノベーション誘発のための研究開発戦略-研究開発戦略センター設立5周年記念-」(2009年4月21日、科学技術振興機構主催)パネルディスカッションから

理化学研究所 理事長 野依良治 氏
野依良治 氏

 多くの研究者が日夜、事実の発見を目指し活動している。しかし、イノベーションの観点からは「事実の発見」よりも「価値の発見」に目を向けてはどうか。そのためには水平思考が必要だ。目的通りにならなかった研究結果の方にその可能性が大きいと思われる。膨大な実験結果が捨てられており、もったいない。大秀才や正統派の人ではなく1人の異端の思い入れ、前衛的発想がすべての始まりではないか。昨年のノーベル化学賞を受賞された下村脩氏もそうだし、物理学賞を受賞された小林誠、益川敏英両氏による小林・益川理論もまさにそのよい例だと思う。当時の物理学の大御所たちはクォークの存在などは信じていなかった、とある大物理学者から聞いている。これらの研究の評価が定着するには40年くらいかかっているわけだし、私の場合も少なくとも20年はかかっている。

 多くの分子には、左手と右手に相当する構造の違い(鏡像体)がある。1851年にパスツールが「物理や化学のような無生物的力が働いて非対称性が生じるわけはない」と言ったことで、左右の分子の作り分けは長い間、微生物的反応に依存していた。私は1966年に全く別の意図に基づく研究を進めている最中に金属原子とキラル(光学異性)な有機分子を組み合わせた分子触媒によって、不斉合成反応の原理を発見した。当時、私は27歳で、実用性の原理を見つけたつもりだったが、当時の世界の学界に無視され、日本の産業界も冷淡そのものだった。今では、精密化学工業における研究と工業生産に欠くことができない方法となっている。なぜ、この触媒が有機分子「BINAP」だったのかと聞かれるが、私が若くて感性が豊かだったころ、この分子の形の美しさに引かれた、という以外に答えはない。

 92年にFDA(米食品医薬品局)が「ラセミック・スウィッチ(ラセミ転換)」という方針を出した。薬として有効な片方の鏡像体だけを使うか、もう片方が無害であると証明してから売れ、というものだ。この方針転換の背景には日本の大きな技術の成功がある、と確信している。

 実は私が開発した「BINAP-ロジウム」不斉分子触媒は、78年に日本のA社が特許出願している。しかしその価値は認識していなかった。A社は伝統的な合成技術を持っていたのと、秀才の集団を抱えていたため保守的で前衛を嫌う社風があったためだ。生物的反応でないとできないというパスツールのドグマ(教義)にとらわれていた。

 結局、これをものにしたのは、香料会社としては世界で5指に入るものの中規模の企業である高砂香料工業だった。カリスマ的専務がいて若い研究者を引っ張り、陣頭指揮で実用化にまい進した。大学とも密接に連携した。うまく成功して会社のブランドも国際的に高めた。まさに「価値の発見」と言える。

 いささか残念なことがある。ERATO(科学技術振興機構の戦略的創造科学推進事業)プロジェクトだ。これもノーベル賞の対象となったのだが、成果を高く評価してくれたのは一緒にやった日本の企業ではなく、英国、米国の企業で、その権利は現在、インドの企業に移っている。日本の企業も後で評価してくれたが外国企業の後追いである。せっかく巨額な国費を投入して得られた知財が海外に流出するのはいささか残念だ。日本にイノベーションが生まれにくい一面を垣間見た思いがある。

 今、100年に一度という経済危機にある。この環境変化は不可逆的で、決して元のような経済社会に戻ることはないと思う。今年はダーウィンの生誕200周年に当たる。ダーウィンは、歴史を振り返ると多くの生物が消えていったが、決して強いもの賢いものが生き残ったのではなく、進化を遂げて新たな環境に適応できるものだけが生き残れた、と教えてくれた。変異こそが適者生存の鍵だ。国も法人もわれわれ個人もいかに変わりうるかが問われている。

 喫緊になすべきことの第一は人だ。必ず新しい秩序の社会ができる。その建設のため、質の高い大学院生、若手研究者・技術者をしっかり確保しなければならない。特に高等教育システムの抜本的強化・改革が必要だ。産官学の連携では不十分。異質な研究者が交じり合い、“交配”することで新たなタイプの研究者を生み出すことが一番必要とされている。

 世界的にさまざまな政策転換が進んでいるが、それらは技術の進歩に裏打ちされている。環境、エネルギーの問題も先取りしてあるべき姿を社会に提示していくことが大事。いまの危機を新しい価値創造の絶好機ととらえるべきだ。

シンポジウム「イノベーション誘発のための研究開発戦略-研究開発戦略センター設立5周年記念-」
理化学研究所 理事長 野依良治 氏
野依良治 氏
(のより りょうじ)

野依良治(のより りょうじ)氏のプロフィール
1957年灘高校卒、61年京都大学工学部卒、63年京都大学大学院工学研究科修士課程修了、同大学工学部助手、68年名古屋大学理学部助教授。同理学部長、物質科学国際センター長などを経て、2003年から理化学研究所理事長。工学博士。06年には教育再生会議の座長も務める。医薬品、農薬、香料などの工業生産に広く応用されている金属錯体触媒による不斉合成反応の研究業績で2001年ノーベル化学賞受賞。1995年日本学士院賞受賞、2000年文化勲章受章。現在、研究開発戦略センター首席フェローも兼務。

関連記事

ページトップへ