インタビュー

第5回「中学生から海外との交流を」(黒川 清 氏 / 内閣特別顧問・イノベーション25戦略会議座長)

2007.05.14

黒川 清 氏 / 内閣特別顧問・イノベーション25戦略会議座長

「真善美への情熱-イノベーションの源」

黒川 清 氏
黒川 清 氏

世界中が政策のキーワードを、科学技術からイノベーションへとシフトしてきている。日本でも、安倍首相の肝いりで「イノベーション25」の検討が進んでいる。いま、なぜイノベーションなのか。イノベーション25戦略会議の座長を務める、黒川 清・内閣特別顧問に聞いた。

—出る杭になれ、と急に尻をたたかれてもという人が多いのでは。

2001年から「骨太の方針」という国の政策立案の大きな流れがあります(る)。そこには創造的破壊と書いてある。さらにそれから毎年「人が大事」とは書いてあるけど、「どんな人を」とは触れていない。書いてあるのは国立大学の法人化とか、任期制とか、非公務員型とかです。そういうことではないんです。

だから、異能の人、出る杭、起業家を増やす。イノベーティブな人を伸ばすような社会にする。そういう人がいろいろな分野で増えれば、科学の世界でも技術でも発明でも、それを社会に持っていこうと思うし、環境だ、エネルギーだとなり、それがマーケットとして一気に成長する。どこが抵抗勢力かは、ちょっと考えればすぐ分かります。

だから、失敗を恐れない、失敗を活かす。昔から言っていたことです。失敗は成功の母、必要は発明の母とかね。みんな昔から同じことを認識していたのです。

いまは知識社会(Knowledge-based Society)ですが、みんな知識ばかり多くなって知恵が増えていない、賢くなってはいないのです。このことを自覚することが大事と思います。

—日本がイノベーティブな人を育てる社会になるためには。

「日本の常識」から外れた人がどんどん出て来なければいけない。一つは、中学生くらいから海外と交換ホームステイを4週間くらい夏休みにやる。それをたくさんやると、向こうのことも分かるし、こっちのことも向こうに分かるし、親も理解する。そうなると友だちが広がり、増え、電話やメールでやりとりしたり、毎年行き来したりして、どんどん世界が広がる。人との距離が近くなる。高等学校、大学もセメスター制にして、半年とか1年とか行って来ようかということをどんどんやればいい。大学も入学時の文系理系という区分をやめて、入ってから専攻を選べばいいようにする。大学でも1、2年はどんどん海外と交流する。

例えば、大学には1年間学生交換を義務づける。ここに運営費交付金や私学助成のメリハリをつける。交換学生が1割超えたらボーナスあげましょうとか。そうすると大学の先生もどんどん行き来するようになる。もちろん授業の20~30%は英語ですね。海外から先生も来るでしょう。

交流を中学から始めていると、外国人に対して個人にも、社会にも精神的な抵抗が少なくなって、違いを理解し、認めるようになる、もっと明るくなります。そういうことが大事だと思っています。

そうすると、日本の常識にはずいぶん変なのもあるなと、子どもたちも、社会も、みんな思うようになる、社会が変わっていくんです。

みんなそれぞれ自分たちの才能を伸ばして、世界観を持たせるためには、中学から交換ホームステイとか、そういうところに少し予算をつけるべきです。高等学校での交換留学も広げる。

一流大学学部学生はせめて1、2割が外国の留学生、交換留学生じゃなければ、どんどん交付金を減らす。なぜかというと、インドなんかの優秀な学生が日本に留学しようとすると、日本語の障壁があって難しい。だから一流大学は授業の2、3割程度は英語でやる、英語の授業だけで卒業できるようにすればいい。そうすれば学生はどんどん来る。海外から先生も来ますよ。

できない理由ばかり言っている間に、香港や中国はガンガンやって追い越して行きます。日本は優秀な人がたくさんいるのにそれを腐らせてしまう今までの日本というシステムは、このフラットなグローバル時代に人材育成から見ればもったいないですね。

(完)

(科学新聞 中村 直樹)

黒川 清 氏
(くろかわ きよし)
黒川 清 氏
(くろかわ きよし)

黒川 清(くろかわ きよし)氏のプロフィール
1962年東京大学医学部卒、69年東京大学医学部助手から米ペンシルベニア大学医学部助手、73年米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部内科助教授、79年同教授、83年東京大学医学部助教授、89年同教授、96年東海大学医学部長、総合医学研究所長、97年東京大学名誉教授、2004年東京大学先端科学技術研究センター教授(客員)、東海大学総合科学技術研究所教授等を歴任。この間、2003年日本学術会議会長、総合科学技術会議議員に就任、日本学術会議の改革に取り組むとともに、日本の学術、科学技術振興に指導的な役割を果たす。06年9月10日、定年により日本学術会議会長を退任、10月、内閣特別顧問に。

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