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20年、30年先を考えよ(益川敏英 氏 / 2008年ノーベル物理学賞受賞者)

2008.10.11

益川敏英 氏 / 2008年ノーベル物理学賞受賞者

記者会見(2008年10月10日、日本学術振興会 主催)から

2008年ノーベル物理学賞受賞者 益川敏英 氏
益川敏英 氏

 私はあまのじゃくだ。人が望んでいることと逆のことを言いたくなる。ノーベル賞受賞が決まった日は、喜んでいるだろうと皆さん期待していると思ったから「うれしくない」と言った。

 南部陽一郎先生は、雲の上の人のような方で大変な仕事を次々にされてこられた大先輩だ。われわれより先に単独で受賞される方だ、と思い込んでいた。ぜひ取っていただきたいと思っていた南部先生と一緒に受賞ということに思いをはせたところ、涙腺がゆるみ翌日は、はしたないところを見せてしまった。そういう意味ではうれしかった。しかし、あまのじゃくだから、最初の日に「飛び上がるほどうれしいということはない。むしろ読み筋だった」と言ったことも本当だ。ノーベル賞選考委員会が何を考えているか、過去にどのようなことをしてきたかをきちっとフォローしていれば、ノーベル賞(選考委員会の考え)も見えてくる。

 皆さんに考えてほしいことがある。日本人のノーベル賞受賞は増えている。しかし、われわれの仕事は30年前の話。現時点の日本の学問状況が評価されるのは、20、30年後になる。現在の状況がこれでいいのか、ということが大きな問題だ。文部科学大臣に会ったときに2つのことを話した。

 一つは今の試験制度についてだ。今、大学の先生は大変忙しい。大学の先生が自分たちの利益のために、試験制度を悪くしている。

 こういうデータがある。コップに水を半分入れて、コップを傾けるとコップの中の水面はどうなるか? こういう設問を小学生、中学生、高校生に出す。一番、正しい回答が多かったのはどこか。小学生だ。マークシート方式の試験制度では、高校生は体験したことがない問題はスキップせよと教えられている。だから、こんな問題は、さっと見て「見たことない」と飛ばしてしまう。小学生は試験になれていないから考える。傾けたら水面が波立つのでは、などといろいろな可能性を考えて答えを書く。結局、正解が多いのは小学生だったということだ。私は、こうした状況を教育汚染といっている。

 われわれのころの試験は、設問が1行か2行あって、これに対し答えよ、と大きなスペースが設けられていた。生徒たちも答えを書くためにいろいろ考える。だから答えを見れば受験生の個性も見える。間違った答えでもこの部分は合っているといったことも分かる。忙しい今の大学の先生たちは、試験に労働力をできるだけ使いたくないから マークシートでやった方がよいとなっている。一生懸命勉強させればさせるほど、教育汚染がひどくなるという状況になっている。

2008年ノーベル物理学賞受賞者 益川敏英 氏

 もう一つ文部科学大臣に言ったことは、上流を枯らしたら下流も枯れてしまうということだ。東北地方の上質な生ガキが採れる有名な湾で、ある時からカキが採れなくなってしまった例を引いた。大学の先生が調査を頼まれて調べた結果、上流で開発が行われたために、カキが育つ栄養素が流れてこなくなったためと分かった。

 学問も同じこと。ベンチャービジネスが面白いと興味を示す人間がたくさんいる。そこを発展させたらそれでいいんだとやっているうちに上流が枯れてしまう。上流つまり基礎科学を枯らしたら、下流も枯れてしまう。科学というのはそのスパンが50年、100年のオーダー。それくらい時間がかかるので、結果が出てくるのはすぐではない、という話をしたら大臣に大いに興味を持っていただいた。

 日本人がノーベル賞を受賞したから万々歳では困る。それは、20年、30年前の評価であって、今の科学行政、研究体制がどうかの結果が出るのは20年先、30年先だ。そのことをもっとよく理解してほしい。試験制度についていえば、大学の先生は忙しいし、評価といったこともあって時間を効率的に使いたいわけだ。だから受験生を持つ母親の理解、大学の先生の理解、文部科学省の理解、政府の理解、そうしたものが総合的にかみ合ってはじめて試験のやり方も改善が可能になる。だからそれぞれを教育することが大事なことになる。それができるのが皆さんメディアではないか。

2008年ノーベル物理学賞受賞者 益川敏英 氏
益川敏英 氏
(ますかわ としひで)

益川敏英(ますかわ としひで)氏のプロフィール
1940年生まれ。58年名古屋市立向陽高校卒、62年名古屋大学理学部卒、67年名古屋大学大学院理学研究科修了、同理学部助手、70年京都大学理学部助手、76年東京大学原子核研究所助教授、80年京都大学基礎物理学研究所教授。同理学部教授、同大学院理学研究科教授などを経て97年同基礎物理学研究所長。2003年定年退官、京都産業大学理学部教授に。07年からは名古屋大学特任教授も。97-2000年日本学術会議会員。クォークが6種類あると仮定することで「CP対称性の破れ」を説明できるという論文を小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授とともに1973年に発表、「小林・益川理論」として有名になる。小林誠氏、さらに「自発性対称性の破れ」という考え方を初めて導入した南部陽一郎シカゴ大学名誉教授とともに2008年のノーベル物理学賞受賞者に選ばれた。2001年文化功労者。

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