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今、求められる総合知とは≪佐倉統さんインタビュー≫<特集 令和3年版科学技術・イノベーション白書>

2021.09.01

科学技術と社会の関係などをテーマに研究している東京大学大学院情報学環教授、佐倉統さん(佐倉さん提供)

 「一人ひとりの多様な幸せ(well-being)」を実現していくためには、「自然科学の『知』と人文・社会科学の『知』が融合した総合的な『知』(『総合知』)の活用が重要」と、『令和3年版科学技術・イノベーション白書』にある。なぜ今、総合知が求められるのか、私たちにとって総合知とは何かについて、科学技術と社会の関係が専門の東京大学大学院情報学環教授、佐倉統さんに聞いた。

科学技術の自律的進化に不安

 総合知という考えが打ちだされた時代背景について、佐倉さんはこう解説する。「もともと技術は、もっと遠くへ行きたいとか、もっと楽にものを作りたいといった目的があって、それに答える形で発展してきました。しかし現代では価値観が多様になって、一つの目的で技術を考えることが難しくなっています。また、現代では目的を明確にしないままに産み出される新しい科学技術も増えています」

 「人工知能(AI)やロボットが典型的だと思いますが、あんな事もできる、こんな事もできるといった感じで科学技術が自律的にどんどん発達し、それが世の中に出てきたときに、どんな問題解決につながり、どういう帰結をもたらすのかがよくわからず、不安を増幅したりもします。価値観の多様化に加え、こうしたことに対処し、技術の使い方や社会的な価値を考える必要性もあって、総合知のような考え方が求められるのだと思います」と佐倉さんは続ける。

 佐倉さんによると、歴史的には科学者は20世紀後半以降、幸福を論じなくなったという。国家政策と科学技術がいびつに結びついた結果、第二次世界大戦期の悲劇をはじめとする数々の犠牲が生まれた。社会全体の価値観を優先してしまうと個人個人が不幸になることがある。

 「科学は幸福に口を出さず、道徳や哲学や宗教の領域と科学の領域を分け、お互いに境界を超えないという潮流ができたのです。もちろん、科学者は幸せや価値を論じるには慎重でなければなりませんが、今の時代、科学者だからこそ言える人間の幸福に関してもう少し自覚的になるべきだし、逆に哲学や宗教の側も、科学の成果を積極的に使って価値づけをしていく必要があるのではないかと思います。それが総合知につながるのではないでしょうか」(佐倉さん)。

「文理越境」し、「知の編集」が必要

 自然科学の「知」と人文・社会科学の「知」が融合した「総合知」を創出し活用する――。こう聞くと、よりよい社会を創り出すために、自然科学の研究者と人文社会科学の研究者が話し合い、協力して新たな学問分野を築きながら社会課題を解決していく、そんな姿が想像できるかもしれない。しかし、佐倉さんによると、それは簡単なことではないという。

総合知を活用して社会課題の解決にあたるには、何が必要だろうか(出典:『令和3年版科学技術・イノベーション白書』〈文部科学省提供〉)

 研究が進んで専門の内容が深まると、研究者が扱う範囲は狭く深くなり、他分野の研究と自分の研究を結びつけることが難しくなっていく。加えて、それぞれの学問分野や研究手法の根底にある価値観も違う。「既に蓄積のある学問分野同士を融合させると1+1が1.2にしかならなかったり、0.8になってしまったりすることもあり得ます。そこで、私たちは融合ではなく『文理越境』という言い方をしています。自分の学問分野を軸に越境していって、違う学問分野の人と手をつなぎ、必要なところを橋渡しする、言ってみれば『知の編集』といったことが必要だと思います」

 越境するためには、自分の研究している分野を少し突き放し、客観的に俯瞰(ふかん)して見る能力に加え、他の分野に対するリスペクトも欠かせないと佐倉さんは指摘する。「これは『異文化コミュニケーション』に求められる心構えと同じだと思います。宗教や食習慣が違うからといって、それだけで排除してしまったら、コミュニケーションは進みません。リスペクトというのは、学問分野によって異なる研究手法や価値観の背景を理解する努力と言ってよいでしょう」

忘れてはならない生活者の視点

 自然科学と人文・社会科学の知を合わせる「総合知」。忘れてはならないのは実際に科学技術を使う側である、生活者の視点だと佐倉さんは指摘する。日常生活には膨大な経験知が積み重ねられている。そこにちょっと科学的な知識や工夫があると、とても生活が便利になったり、豊かになったりする。日常生活における知識、生活知や経験知のようなものと科学技術も含めた専門知との関係を考える必要がある。例として、理学療法士の資格を取った介護士の方から聞いた話を紹介してくれた。

 「介護の現場では、例えば利用者が朝、ご飯を食べたらトイレに連れて行くなど、経験に基づいて行われる手順がいろいろあるそうです。その介護士の方は、人体の生理学を学んだことで、現場が蓄積してきた経験知として一つひとつ覚えていたことが全て普遍的な原理で貫かれていたことがわかり、目が開かれる思いがしたといいます」。つまり「生理学の研究者は介護の現場を知らず、介護の現場では、生理学ではなく経験知で動いていて、お互いをつなぐものがないのだと。介護の現場に限らず、日常生活の至るところで同様のことが起きているのです」

 専門的な知識を生活知の側に翻訳する過程が必要で、そこに生活者の側がもっと関われる場や雰囲気をつくることが求められると佐倉さんはいう。

先駆けとなる当事者研究

 では、生活者はどんなことを心がけたらよいのだろう。

 「まず技術を学ばなければいけない、という発想をするのではなく、主体はあくまで自分の生活、価値観であって、それをより豊かに発展させるためにはどういう技術や知識が使えそうかというふうに考えていくのが一つの方法だと思います。科学技術を使う主体は生活者なのだという視点を持ってほしいですね」と佐倉さん。

東京大学先端科学技術研究センター准教授で、同センターの当事者研究分野を統括している熊谷晋一郎さん。小児科医でもある。脳性まひがあり、車いす生活を送っている(熊谷さん提供)

 生活者が、自分たちにとって必要な科学技術とは何かという視点から科学技術にアプローチしていく一つの典型例として、佐倉さんは「当事者研究」を挙げる。当事者研究は、精神疾患を抱えた人がさまざまな治療法を試したものの有効ではなく、困惑しながらソーシャルワーカーと対話する中で自身の研究を始めたことに端を発する。医学の言葉や診断と自分らの感覚との乖離(かいり)を埋めるため、科学的知識を足がかりに自分たちの言葉で語り、研究者の側に提示していく形だ。自分たちの置かれている状況の解釈や対処法について思考・実践する当事者研究は、さまざまな苦しみや不自由を抱える現場に広がりを見せつつある。学術界も注目するようになり、東京大学先端科学技術研究センターには当事者研究分野の研究室が設置されている。

 「当事者研究にはさまざまな側面がありますが、今後の科学技術と日常生活の関係を考えるとき、先駆けとなる大事な動きだと思います」。現状では日常生活の場から科学技術の種や研究テーマを発見することが圧倒的に足りていないが、生活の中から科学技術をけん引する種が出てくるべきだと佐倉さんは考えている。

 若い世代には、生活や好きなことが科学の種になると伝えたいという。「ゲームでも音楽でもなんでもいい。そこには必ず科学の、あるいは技術の種があるはずです。自分が好奇心を発揮できる世界を出発点に一歩踏み出せば、科学につながるフックができる。科学や科学技術についての知識との出会いがもたらす、小さな発見の積み重ねは、自分にとっての充実した生活――well-being につながるのではないでしょうか」

佐倉統(さくら・おさむ)

佐倉統(さくら・おさむ)
東京大学大学院情報学環教授、理化学研究所革新知能統合研究センター チームリーダー
1990年京都大学大学院理学研究科博士課程修了。三菱化成生命科学研究所特別研究員、横浜国立大学経営学部助教授、ドイツ・フライブルク大学情報社会研究所客員研究員、東京大学大学院情報学環助教授などを経て、2007年より現職。主な研究テーマは科学技術社会論。

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