優美な円錐形の姿が世界的に知られる富士山。標高3776メートルの日本最高峰は周囲の景色とともに四季折々の表情を見せる活火山だ。最後の噴火から300年以上経過していることから、火山の専門家は「時期や規模は分からないがいずれは噴火する」との見方で一致する。そして大噴火すれば首都圏にも大きな被害を及ぼすため、事前の防災体制の重要性が指摘されてきた。
こうした富士山噴火に伴う人的被害を少しでも少なくするための新たな「富士山火山避難基本計画」を、山梨、静岡、神奈川の3県や国で構成する「富士山火山防災対策協議会」(会長・川勝平太静岡県知事)が3月下旬にまとめた。噴火した際に火砕流や噴石の危険がないエリアの健康な人は、車の渋滞による逃げ遅れを防ぐために徒歩避難を原則とした。また登山者や観光客には噴火警戒レベル3(入山規制)になるまでに下山を促し、降灰対策として住民は近くの屋内に避難することも盛り込んでいる。
この新たな避難基本計画は、2021年3月に見直した「富士山ハザードマップ」を基に従来の計画を9年ぶりに改定。富士山噴火に関する最新の知見を反映し、「逃げ遅れゼロ」を目指しながら安全に避難して命と暮らしを守ることを追求する内容になっている。
新ハザードマップで影響拡大が判明
ハザードマップの見直し作業の過程で、噴火による影響がそれまで考えられていたよりも短い時間で、より遠くまで及ぶことが判明。避難対象人口は約1万6000人から約11万6000人に大幅に拡大した。
新ハザードマップは04年にできたマップに、溶岩流や火砕流などに関する最新の科学的知見やコンピューターシミュレーション解析結果を加味して大幅に改定している。まず、新たな調査に基づく火口の追加や地中に埋もれた伏在火口の可能性を盛り込み、想定噴火口範囲が大幅に拡大した。また被害検討対象となる過去の噴火が「3200年前から現在まで」から「5600年前から現在まで」になった。
火口から流出した溶岩が地表を流れ下る溶岩の噴出量は7億立方メートルから13億立方メートルに、火山灰や岩石が火山ガスなどと一緒になって高速で斜面を流れる火砕流の噴出量は240万立方メートルから1000万立方メートルにそれぞれ増えた。溶岩流は従来の想定を大きく超え、遠くは静岡県の駿河湾や神奈川県小田原市、山梨県大月市など計12市町に到達する恐れがあることも新たに判明した。
そしてコンピューターシミュレーション解析の結果、溶岩流は04年のマップができた時よりもより短い時間で流れ、到達距離も長くなることが判明。火砕流も到達範囲が拡大することが明らかになった。火砕流などで解けた雪が土砂を巻き込んで流れる融雪型火山泥流については、河川や谷に沿って速く流れ、場所によっては市街地にも短時間で到達する可能性も示している。
富士山火山防災対策協議会は、新ハザードマップを活用して、避難が必要な範囲や避難対象者を見直し、新たな避難計画を策定する作業を約2年間続けてきた。
過去5600年で約180回の噴火
富士山は過去5600年で約180回の噴火が確認されている。富士山火山防災対策協議会によると、このうち96%は小規模か中規模の噴火。有史以降では864年から866年ごろにかけて発生したとされる「貞観噴火」では、大量の溶岩が流出して溶岩に埋め尽くされた山の麓が広大な樹海(青木ヶ原樹海)を作ったとされる。
また確かな記録が残る最後の噴火は1707年12月の「宝永噴火」で、富士山の南東の山腹で爆発的噴火が起きた。噴火は半月以上続いて当時の江戸にも大量の火山灰が降った。この宝永噴火の前の同年10月下旬に南海トラフを震源とする巨大地震が発生し、この巨大地震に誘発されて宝永噴火が起きたとする見方がある。
宝永噴火の後に噴火はないが、噴火歴を単純計算すると約30年に1回ほどのペースで噴火が起きている。300年以上噴火が起きていない理由はよく分かっていないが「いずれは噴火する」との見方の一つの根拠になっている。
噴火しない時期が長いために1990年代までは富士山は休火山とされていた。2000年から01年にかけて富士山の下で深部低周波地震が頻発し、当時地下のマグマの動きが関係しているとされた。
対象エリアを5分類→6分類に
新たな避難基本計画は、「いずれ噴火はある」ことを前提に「事前防災」の観点から策定している。避難の対象となる山梨、静岡、神奈川3県の27市町村には80万人近くが住む。新計画では新ハザードマップに基づき、溶岩流の到達時間などを基準に避難対象エリアを従来の5分類から6分類にした。避難の対象者は、高齢者や障害者のような要支援者、それ以外の住民、観光客と3分類。そしてそれぞれのエリアについて避難者がいつ、どのように避難するかをきめ細かく定めている。
新たな避難対象エリアは具体的には、第1次が「想定火口範囲」、第2次が「火砕流や大きな噴石の範囲」、第3次が「溶岩流が3時間以内到達範囲」、第4次が「溶岩流が3時間を超え~24時間以内の到達範囲」、第5次が「溶岩流が24時間を超え~7日間以内の到達範囲」、第6次が「溶岩流が7日間を超え~最大57日間の到達範囲」だ。
「徒歩避難」の背景に東日本大震災の教訓
新避難計画の大きな特徴は、従来は「車による避難」が原則だったが「徒歩避難」を前面に打ち出したことだ。車の渋滞による逃げ遅れを回避するのが狙いで、特に要支援者を車で優先的に避難させるために、例えば火砕流や大きな噴石が想定されず、溶岩流の到達時間が3時間以内の第3次エリアの健康な住民は、噴火後に避難を始め、渋滞を避けて確実に進める徒歩避難を原則とした。徒歩避難には徒歩のほか、自転車やバイクによる避難も含まれる。要支援者はどのエリアでも車で避難できる。
この方針の背景には、2011年3月に起きた東日本大震災では沿岸住民の多くが車で避難したために避難道路で大渋滞が発生。そこに大津波が襲って多数の人が車ごと流されて犠牲になった教訓がある。22年1月にトンガ沖の海底火山が噴火して日本でも津波警報が発令された時も、鹿児島県奄美市で高台へ向かう車が渋滞した。
こうした方針転換の一方、火口になる可能性があったり、大きな噴石や火砕流が到達したりする第1次、第2次エリアでは噴火後の避難は不可能として、地震や鳴動といった噴火の兆候が観測された時点で噴火前に車で避難する。また登山者や観光客には、気象庁が噴火警戒レベルを3(入山規制)に引き上げる可能性が出てきた段階から国や自治体が周知し、バスや徒歩などで帰宅を促す。学校は警戒レベル3に引き上げられた時点で休校にする。
対象となる各自治体は新しい計画を受けて今後、実際に徒歩による避難を求める対象を決めて具体的な住民の避難計画を策定する。徒歩避難の方針を打ち出したことについて、富士山火山防災対策協議会は「溶岩流の流下速度は市街地では低下し、避難先も流下範囲から数百メートルから数キロ離れれば十分」としている。しかし、車が身近な生活手段になっている住民らからは戸惑いや不安の声が上がる可能性があり、各自治体は地元への周知や理解を得る必要がある。
大噴火すれば首都圏も大きな火山灰被害
富士山が大規模噴火するリスクは低いとされるが、それでももし大噴火すれば首都圏でも広い範囲で2センチ程度の、地域によっては10センチもの火山灰が積もり、大きな被害が想定されている。こうした被害想定地域の人口は推計885万人に上る。わずかな降灰でも電車が停止し、車が大渋滞し、停電も起きるなど、首都圏の交通網やライフラインを直撃して首都圏機能がマヒする可能性が指摘されている。
政府の中央防災会議は2020年3月に首都圏の被害想定を初めて公表した。被害想定は宝永噴火を基準に風向きなどが異なる3つのケースを想定し、事前対策がなかった場合に噴火3時間後から15日目までの被害の広がりを示している。
それによると、東京、茨城、埼玉、千葉、神奈川、山梨、静岡の7都県で線路への降灰により地上を走る電車は運行できなくなって運休し、雨で水分を含んだ灰が送電設備に付着すると停電により地下鉄も停止するという。また火山灰は約10センチで、火山灰が雨でぬれると数センチでバイクなどが走行不能になり、降灰により視界が悪化して四輪車も走行が難しくなる可能性が高いという。
交通インフラがマヒすると物流が大打撃を受け、生活物資の入手が難しくなる地域ができて市民生活にも大きな影響が出る。雨が降っている時に降灰すると、通信基地局などのアンテナに火山灰が付着して通信障害が起きる恐れも指摘されている。
このほか、浄水施設での浄水処理の前の水に火山灰が混じると、水質が悪化して水道水が飲めなくなったり、断水したりする事態も。降雨時に降灰すると、重みにより古い木造家屋は倒壊する危険がある。降灰被害後に処分が必要な火山灰量は、東日本大震災で出た災害廃棄物の約10倍に相当する推計5億立方メートル近くに及ぶという。
このように首都圏の人や物の移動が大幅に制限され、影響は全国に及んで社会的混乱が発生する可能性がある。国土交通省など関係省庁が降灰対策を検討しつつある。簡単ではないが、火山防災に関わる多くの分野の最新の知見を集めた効果的な具体策が待たれる。
関連リンク
- 内閣府「富士山火山防災対策協議会」
- 富士山ハザードマップ(令和3年3月改定)