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DNA解析で人類の起源と進化の解明に光当てる ノーベル医学生理学賞のペーボ氏は知日家

2022.10.13

内城喜貴 / 科学ジャーナリスト、共同通信客員論説委員

 今年のノーベル医学生理学賞はDNA解析に基づく人類の進化に関する研究で大きな貢献をしたドイツ・マックスプランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ教授に贈られることになった。4万年ほど前に絶滅したネアンデルタール人の骨片の核DNAを解析して「我々はどこから来たのか」という人類起源についての根源的な問いに迫った。そして進化の解明に光を当てた輝かしい成果だ。

 ペーボ氏は沖縄科学技術大学院大学(OIST)の客員教授を兼務しているほか、東北大学や京都大学など日本の研究機関も訪れている。2020年の日本国際賞を授賞し、今年4月には天皇皇后両陛下が臨席した授賞式で謝辞を述べた。今年はノーベル賞で日本人の受賞はなかったが、ペーボ氏は日本の研究者とも交流を深めている知日家だ。同氏の気さくな人柄を知る日本の多くの研究者らが拍手を送っている。

2022年のノーベル医学生理学賞受賞の連絡を受けた直後のペーボ氏(撮影リンダ・ブィジラント氏/ノーベル財団提供)
2022年のノーベル医学生理学賞受賞の連絡を受けた直後のペーボ氏(撮影リンダ・ブィジラント氏/ノーベル財団提供)

子どものころから考古学に関心

 スバンテ・ペーボ氏は1955年4月にスウェーデン・ストックホルムで生まれ、現在67歳。同国のウプサラ大学で博士号を取得し、90年にドイツ・ミュンヘン大学教授、97年にマックスプランク進化人類学研究所を設立して自ら所長に就任した。その後約四半世紀もの長い間、人類の起源と進化についての研究を続けてきた。

 「子どものころは考古学者やエジプト研究の学者になりたかった」。ペーボ氏は今年4月に日本国際賞授賞式出席のため来日し、2020年から客員教授を務めるOIST関係者のインタビューにこう答えている。古代人や現代人に対する興味や関心は子どものころから芽生えていた。

 OISTによると、研究者になったペーボ氏はエジプトのミイラからDNAを抽出するというユニークな試みを行い、その後米カリフォルニア大学バークレー校で古代人のDNA解析の手法を学んだという。父親も「プロスタグランジンとそれに関係する生物学的活性物質の発見」の功績で1982年にやはりノーベル医学生理学賞を受賞している。探究心は父親譲りだったようだ。

 当時は古代人の骨からDNA解析できるとは考えられていなかった。DNAは時間の経過とともに分解されて断片化し、解析に必要な量は確保できない。しかしペーボ氏は開発されたばかりのDNA増幅技術「PCR法」に着目した。そして長い時を経た古代人の骨片のDNAから人類進化に関する貴重な情報が得られると考えた。

細胞内には核DNAとミトコンドリアDNAがある(図左)が、どちらのDNAも時間の経過とともに分解されごく少数しか残らず、細菌や人間などのDNAが混じって「汚染」されることもある(ノーベル財団提供)
細胞内には核DNAとミトコンドリアDNAがある(図左)が、どちらのDNAも時間の経過とともに分解されごく少数しか残らず、細菌や人間などのDNAが混じって「汚染」されることもある(ノーベル財団提供)

我々の祖先とネアンデルタール人は交雑していた

 旧人類のネアンデルタール人は50万年ほど前に最初にアフリカを出たという説が有力だ。その後欧州から中近東にかけて長く生存していたが、4万年ほど前に絶滅したとされている。その骨が1856年にドイツで見つかった。

 この骨の一部を取り寄せたペーボ氏はまず、細胞内小器官ミトコンドリアDNAの配列を決めた。このDNAは母親から子に遺伝するため進化の過程を調べるのに有効で、約1万6500塩基対と短い。全配列を決定したのは1997年のことだった。この結果、ネアンデルタール人は現生人類ホモ・サピエンスの直系の祖先ではないことがはっきりした。

 ペーボ氏はこの成果だけでは現生人類の進化に迫ることはできないと考えた。2000年代に入って大量のDNA配列を決めることができる「次世代シークエンサー」が登場していたことから核DNAの解析に取り組んだ。そして2010年に約30億塩基対の全配列を決定した。

 この画期的な解析結果から、欧州やアジアに住んできた現生人類の全DNAの1~4%がネアンデルタール人から受け継がれていることが明らかになった。現生人類、つまり我々の祖先はネアンデルタール人と交雑していたのだ。

 その後も飽くなき探究心も持ち続けた。ロシア・シベリアのデニソワ洞窟から2008年に出土した骨片に着目。核DNAの全配列を決定し、未知の人類だったことから「デニソワ人」と命名した。そして世界各地の現生人類の核DNA配列と比較した結果、メラネシアや東南アジアの集団では4~6%がデニソワ人から受け継がれていることを突き止めている。

ペーボ氏は1856年にドイツで見つかったネアンデルタール人の骨の一部と2008年にロシア・シベリア南部の洞窟で見つかった未知の旧人(後にデニソワ人と命名)の骨の一部の核DNA配列を決定してホモ・サピエンスとの関係を明らかにした(ノーベル財団提供)
ペーボ氏は1856年にドイツで見つかったネアンデルタール人の骨の一部と2008年にロシア・シベリア南部の洞窟で見つかった未知の旧人(後にデニソワ人と命名)の骨の一部の核DNA配列を決定してホモ・サピエンスとの関係を明らかにした(ノーベル財団提供)
現生人類のホモ・サピエンスがネアンデルタール人やデニソワ人と交雑し、それぞれ遺伝子の一部を引き継いでいることを示すイメージ図(ノーベル財団提供)
現生人類のホモ・サピエンスがネアンデルタール人やデニソワ人と交雑し、それぞれ遺伝子の一部を引き継いでいることを示すイメージ図(ノーベル財団提供)

「古代ゲノム学」を確立し古人類学に大きな貢献

 ペーボ氏に2020年の日本国際賞を贈ることを決めた国際科学技術財団の審査委員会は授賞理由について次のように説明している。「(ペーボ氏が明らかにした)ネアンデルタール人のDNAをアフリカ人以外の現生人類が受け継いでいるという事実は、6~7万年前にアフリカを出た現生人類の祖先が6万年前ごろに中東あたりで先住のネアンデルタール人と出会って交雑した後、世界中に広がっていったという現生人類の移動のシナリオを描き出した」。

 そして同氏の研究成果は「現生人類の起源を探る古人類学の研究を一変させ、人類学や考古学、歴史学など現生人類に関わるすべての学問分野に大きなインパクトを与え、その発展に寄与した」と称えている。

 カロリンスカ研究所が2022年のノーベル医学生理学賞にペーボ氏を選んだ授賞理由は、当然のことだが日本国際賞の授賞理由と同じだった。同研究所は授賞理由の中で同氏の先見性を指摘した上で、新しい科学分野としての「古代ゲノム学」を確立した業績を高く評価した。そして研究の最終的な目標は「何が私たち人間をユニークな存在たらしめているかを明らかにすること」として、今後の研究とさらなる成果に期待を寄せている。

 ノーベル医学生理学賞は病気の解明や薬の開発などにつながる基礎研究に贈られることが多く、人類学の分野への授賞は異例だ。授賞者発表直後のノーベル財団関係者の電話にペーボ氏は「これまでいくつか賞を受賞しているが、ノーベル賞の資格があるとは思わなかった」と話し、受賞決定の報にとても驚いた様子だったという。

チンパンジーやネアンデルタール人、デニソワ人とホモ・サピエンスとの関係を示す系統樹(ノーベル財団提供)
チンパンジーやネアンデルタール人、デニソワ人とホモ・サピエンスとの関係を示す系統樹(ノーベル財団提供)

今春、日本国際賞授賞式出席などで来日

 ペーボ氏はこれまでも何度も来日しているが、今年は特に多かった。2020年の日本国際賞受賞者は決まっていたが、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って授賞式は延期されていた。コロナ禍が一時的に落ち着いていた4月13日、東京都千代田区の帝国ホテルで20~22年合わせて8人の受賞者に対する授賞式が天皇皇后両陛下も臨席して行われた。正装したペーボ氏の姿もあった。

2022年4月13日の日本国際賞授賞式でマスク姿のペーボ氏(国際科学技術財団撮影/提供)
2022年4月13日の日本国際賞授賞式でマスク姿のペーボ氏(国際科学技術財団撮影/提供)

 天皇陛下はペーボ氏の業績について次のように述べられた。「古代人の骨からDNA断片を抽出して解析する遺伝学的手法を取り入れ、世界で初めてネアンデルタール人のゲノム解析に成功されました。以来この方法で現生人類の進化の核心に迫る成果を挙げ、現生人類の誕生と進化の解明に光を当てられました」。

日本国際賞授賞式に出席された天皇皇后両陛下(2022年4月13日、東京都千代田区の帝国ホテル)(国際科学技術財団撮影/提供)
日本国際賞授賞式に出席された天皇皇后両陛下(2022年4月13日、東京都千代田区の帝国ホテル)(国際科学技術財団撮影/提供)

 ペーボ氏は2020年の日本国際賞発表に合わせて同年2月に来日し、記者会見で「たいへん名誉に感じている。遺伝学の窓を開き、人類進化の研究を開いたと認められたように思う」と受賞の喜びを語っている。

 今年は4月の日本国際賞授賞式に出席した後、OISTがある沖縄県に飛んだ。OISTで開かれたセミナーに参加して学生や教員らを前に講義するためだ。学生の約8割が外国人で高い教育・研究レベルを誇るOISTで、ペーボ氏は20年5月から「ヒト進化ゲノミクスユニット」のリーダーを務めている。拠点はドイツに置きつつ折に触れOISTを訪れ、現代人とネアンデルタール人やデニソワ人を比較する研究を続けている。

2022年4月20日に沖縄科学技術大学院大学(OIST)で行われた講演の後の質疑応答の様子(OIST提供)
2022年4月20日に沖縄科学技術大学院大学(OIST)で行われた講演の後の質疑応答の様子(OIST提供)

 OISTの教職員や学生にとって今年のノーベル医学生理学賞は「私たちの先生が受賞した」との思いだった。受賞決定のニュースに学生らから大歓声が上がったという。

日本の研究者と交流深める

 OISTのピーター・グルース学長兼理事長はペーボ氏の受賞決定に「教職員一同心よりお祝い申し上げます。今後もOISTでネアンデルタール人とホモ・サピエンスのゲノムの比較解析に取り組むことを希望されており、たいへん喜ばしいことです」などとコメントしている。

 ペーボ氏はOIST客員教授就任後の20年9月、新型コロナウイルス感染症の重症化リスクに関係する遺伝子がネアンデルタール人から現生人類に受け継がれていることを明らかにした論文を科学誌ネイチャーに発表している。感染拡大の当初、日本人の死者が欧米人に比べて少ない理由についてさまざまな仮説が出されたが、この論文は日本人特有の感染の仕方に迫る研究だった。

 ペーボ氏と縁がある大学はOISTだけではない。今年9月には仙台市を訪れ、東北大学東北メディカル・メガバンク機構で行われたセミナーに出席して講演したばかりだ。同機構では15万人もの日本人ゲノムコホート研究を続けていることで知られる。同氏は同機構の施設を視察し、熱心に説明を聞いていたという。ここでの研究の内容や手法に高い関心を寄せているようだ。

 京都大学もペーボ氏をたびたび招聘していることから、同大学の研究者との交流も続いている。同氏は16年に慶應医学賞も受賞している。研究内容のユニークさもあり、日本の研究コミュニティでの知名度は高い。「気さくな人柄。日本人研究者との交流が深いだけに知日家で日本文化にも造詣が深い」。日本の関係者の一致したペーボ評だ。

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