海洋生態系の保全と持続的利用に対する国際的な関心の高まりを改めて感じている。少々さかのぼるが昨年12月4日から7日にかけてメキシコ・カンクンで開催された国連の生物多様性条約第13回締約国会議(COP13)に「生物多様性保全と利用に係る調査研究委員会」(笹川平和財団海洋政策研究所)委員として参加した。そこでは海洋関連のテーマが多数盛り込まれて熱心な討議が行われていた。会議を振り返りながら「今、科学が貢献できることとして何が必要なのか」を考えたい。
COP13で議決された「農林水産業や観光業への『主流化』」
生物多様性条約は現在日本を含む194カ国と欧州連合(EU)、パレスチナが締結している条約で、1992年に生物多様性の保全と持続可能な利用を実現することを目的として採択された。2010年には愛知県名古屋市で第10回会議(COP10)が開催されたことを記憶している方も多いだろう。COP10では生物多様性の保全を具現化するための10年間の取り組みを定めた「戦略計画2011-2020」と、その具体的な目標を定めた20の「愛知目標」が採択され、重要な節目となる会議だった。
その13回目にあたるCOP13の最大テーマは「主流化」であった。「主流化(Mainstreaming)」とは、生物多様性の保全と持続可能な利用の重要性が、国民をはじめ中央政府、地方政府、事業者、NPO・NGOなどのさまざまな主体に広く認識され、具体的な行動に反映される状況を意味している。生物多様性の損失は自然界のどこか遠くで起きている話ではない。陸上生物の多様性の損失の70%は実は農業に起因している。海洋生物も漁業の圧力を受けているというように、具体的な保全のためにはとりわけ農林水産業との連携が欠かせない。
そのため、COP13の本会議に先立ち開催された閣僚級会合で「カンクン宣言」が採択された。宣言では、各国政府が法体系や政策などに生物多様性の保全や持続可能な利用の行動を組み込むことや農林水産業及び観光業への「主流化」を約束した。本会議でもその重要性が確認され、締約国に「主流化」に向けた努力をさらに強化するよう求める決議が採択された。会議の最重要決定事項だった。会議では、2020年に期限を迎える「愛知目標」の進捗状況も確認した。目標によってばらつきは見られるものの、全体として順調な進捗とは言えない状況だった。今後「主流化」の動きとともに進捗状況のフォローと2020年以降の目標設定が重要になると思われる。
海洋に関する議決が目立ったCOP13
会議のもうひとつの特徴は、海洋に関する議決が多かったことだ。テーマだけを見ても「EBSAs(イブサ)」「冷水域の海洋酸性化と生物多様性」「人為的な水中騒音と海洋ゴミの影響」「海洋の空間計画(MSP)」と多岐にわたった。EBSAsの登録は、今後、海洋の生態系保全とそれに資する空間計画を策定する道筋の本流だ。その上今回、日本周辺海域が多数追加されたことは特筆に値する。EBSAsとは「生態学的または生物学的に重要な海域(Ecologically or Biologically Significant Marine Areas)」の略語である。海洋の生物多様性の保護を効率よく進めるために、生物の希少性や唯一性、生産性など、海洋生物の多様性の観点から重要度が高いものとして(経済・文化など他の価値判断を含まず)科学的観点のみから選び出す海域のことである。
生物多様性条約第9回締約国会議(COP9、2008年)で示された7項目からなる抽出基準(EBSAsクライテリア)(注1)のいずれかに合致することが EBSAs認定基準となる。そしてEBSAsの選定は条約に加盟する各国政府が自主的に行う。選定されリストとして登録されたEBSAsは今後、優先的に保全すべき海域として、保全施策を検討する際の科学的な基礎情報として使われることになる。ただしEBSAsは即座に規制などを含む保全施策(海洋保護区など)の対象になるわけではない。多面的な利用(漁業や運輸、レジャー、資源開発など)が行われている海域の保全と利用を両立させるために、ステークホルダー間でよく話し合い、MSP(空間利用計画)を立てる際に活用される。
今回EBSAsとして登録された海域のリストはCOP13の「議決12」の付録文書に記載されており(注2)、日本周辺が多数含まれる。北海道東方沖、沖縄・奄美諸島をはじめ、有明海、四国・本州沿岸、南九州(屋久島・種子島)、小笠原諸島、若狭湾・能登半島・富山湾沿岸、琉球海溝、日本海溝、伊豆小笠原海溝、南海トラフ、相模トラフ、伊豆小笠原海山列、東北太平洋沖の親潮と黒潮の潮目など、日本列島を囲む広い海域だ。これらは生物多様性条約締約国会議への登録に先立ち、環境省が2011年度から3年かけて「生物多様性の観点から重要度の高い海域」を科学論文や専門家の意見をもとに抽出し、さらに国際的なEBSAs抽出基準のふるいにかけて選び出したものである。
COP13では、今後EBSAsの科学的精度を高めるために、科学的手法とアプローチを強化することが重要であるとの認識で一致。専門家ワークショップを開催してEBSAsの更新や新たな記載手続きの整理を行うことと、非公式助言グループを設置しピアレビューを経た成果をCOP14の前のサブスタ会議(注3)に受け入れることが決まった。
海洋の保全と持続的利用への国際的な関心の高まり
COP13で海洋に関するテーマが多かったことは既述の通りだが、現在、海洋の保全と持続可能な利用については国際的に関心が高まっている。例えば2015年9月に国連総会で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」では17の目標のひとつとして、海洋の保全と持続可能な利用が盛り込まれた。同年6月には、国連海洋法条約の下、国家管轄権外区域の海洋生物多様性(BBNJ)の保全と持続可能な利用についての国連総会決議が採択された。また、2016年5月のG7伊勢志摩サミット首脳宣言にも国際的な海洋観測及び評価を強化することが盛り込まれた。
こうした動きの背景には、地球温暖化による海洋生態系への影響、乱獲、開発による海洋環境の劣化、世界人口増加にともなうタンパク源としての需要増に対する危機感が存在する。
世界の海の6つのホットスポットに入る日本周辺海域
では、日本の海の状況はどうなのだろうか。最近の研究論文によれば、世界の海には6つのホットスポットが存在し、黒潮に沿った日本周辺の海域はそのひとつであることが分かった(注4)。論文の著者が定義するホットスポットとは、1,729種の魚類と124種の海洋性哺乳類、330種の海鳥の分布情報から生物多様性インデックスを計算し、特に生物多様性が高いと認められた海域のことだ。研究の結果、インドネシア、マレーシア、フィリピン、パプアニューギニアから黒潮流域を中心とした日本の南西諸島から本州までを含む広い海域(著者はこの海域をCentral-eastern pacific Oceanとよぶ)がひとつのホットスポットになっていることが分かった(ちなみに他の5つのホットスポットはすべて南半球にある)。
加えて、近年の海面温度や植物プランクトン量の目安となるクロロフィル、海流の変化の調査から、海域「Central-eastern pacific Ocean」の特にフィリピン海の周辺は、6つのホットスポットの中で最も気候変動の影響が大きい海域であることが明らかになった。フィリピン海は黒潮の源流に当たるため、その下流にある日本周辺海域の生物多様性にも影響が出てくるものと推測される。またこのホットスポットは世界で最も漁業が盛んな場所とも重なっている。
つまり、黒潮の下流にある日本の海は、世界的に見て生物多様性が高いが、気候変動の影響を強く受ける可能性があり、同時に漁業による影響も受けやすい。われわれの海は世界的に見ても、今後保全と持続的利用を両立させるのに特段の注意を要する海なのである。
海洋生態系保全と持続的利用という課題解決のために
では、そのために必要なことは何か。大きく2つの課題があると感じている。
課題のひとつは海洋生態系の科学的な理解が十分ではないということだ。昨年、日本学術会議のシンポジウムに出席して驚いたのは、日本周辺の海洋生態系の健全性の認識が研究者によってばらばらだったことだ。海洋生態系の実態やさまざまな反応を知る上で、海洋生態系の構造や機能に対する基礎的理解を深めるための統合的な研究が重要である。海の中に、どれほどの種類や量の生物がいて、季節変化や潮流の影響、漁業の影響をどのように受けているのか、が3次元的かつ連続的に把握できるようになれば、気象予測で行なっているような将来予測が可能となり、生態系サービスの評価、効率的な管理方策の立案に資する。
現在、海洋生態系研究のボトルネックになっているとされるのが、環境を含む生物データの取得技術と将来予測のためのモデル技術だ。科学技術振興機構(JST)では2011年度から戦略的創造研究推進事業(CREST)として「海洋生物多様性及び生態系の保全・再生に資する基盤技術の創出」を行なっており、こうした取り組みは時宜にかなっている。海の生態系の実態をつかむ研究は急務である。
もうひとつの課題は、科学が政策決定をどうサポートできるか。言い換えるとこの分野での「政策のための科学」の重要性だ。海はさまざまな用途で利用されており、日本では保全は環境省、利用は農林水産省(水産庁)など、基礎研究は文部科学省というように複数の省庁にわたる。それぞれが専門的な役割を果たしつつも、統合的かつ科学的合理性にかなった意思決定が透明性をもって行われなければならない。
こうした意味でCOP13の場でなるほどと思ったのがカナダの仕組みだ。カナダも伝統的に水産業が行われてきた国だ。連邦・州・地方ごとに異なる保護海域メカニズムが存在するため、画一的な海洋保護区はなじまない。このため、海洋生物多様性の保全を最大にしつつステークホルダーへの影響を最小にする保護手法が重要であるとしている。具体的には、産業界や自然保護団体の声を聞くだけでなく、カナダの水産海洋省のなかに科学諮問機関(サイエンス・アドバイザリー)を設置し、科学的助言を行うためにピアレビューによる海域保護手法の研究を行っている。政策決定をサポートする科学的原則を提供する工夫である。
また今後、観測技術やモデル技術が向上し、例えばリアルタイムの生物分布情報が得られるようになった時に、それはどう使われるべきか。情報を共有すると同時に、効率的な規制を行うなど、技術の進歩にあった海域保護手法も必要となるだろう。
世界的に政策決定をサポートする科学的原則の提供と、最新の知見と政策との橋渡しを行うアプリケーションが必要とされており、海洋国日本がこのような分野でも役割を果たすことを期待したい。
(科学ジャーナリスト、慶応大学大学院非常勤講師、文部科学省科学技術・学術審議会臨時委員 瀧澤 美奈子)
- 注1:EBSAsクライテリアの日本語の説明は環境省のホームページが分かりやすい
- 注2:EBSAsに関するCOP13の議決。付録文書としてリストが付けられている
- 注3:サブスタ(SBSTTA)会議。サブスタとは 生物多様性条約が定めた科学技術助言補助機関のこと。サブスタ会議は次回の生物多様性条約の本会議の前に開かれ、生物多様性会議(CBD)事務局が、専門家や各国政府の交渉担当者らに議案を提示し、調整する役割を果たす会議となっている
- 注4:F. Ramirez et al, Climate impacts on global hot spots of marine biodiversity. Sci. Adv.(22 February 2017)
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