レビュー

宇宙に浮かぶ青い地球を見たアポロ飛行士の記憶 ミッチェル氏死去

2016.02.10

内城喜貴

 1971年にアポロ14号に乗船、月面に33時間も滞在した元米航空宇宙局(NASA)宇宙飛行士エドガー・ミッチェル氏が2月4日亡くなった。85歳だった。

 アポロ計画で月面に立ち、宇宙に浮かぶ球体の地球を眺めた飛行士は12人。月面からの残像にその後の人生が変わった飛行士は少なくなかったが、ミッチェル氏は帰還後「青い地球に万物を動かす神の存在を感じた」と語り、宗教家というよりは思想家、哲学者として晩年は静かに余生を送った。アポロ飛行士だけでなく、スペースシャトルに搭乗した日本人飛行士を含めて多くの飛行士は地球の美しさに魅了される。生存しているアポロ飛行士も高齢化が進む。火星探査を含めた有人宇宙計画の未来を考えるためにも彼らのかけがえのない記憶をしっかり受け継ぎたい。

アポロ14号搭乗前のエドガー・ミッチェル飛行士(NASA提供)
写真1. アポロ14号搭乗前のエドガー・ミッチェル飛行士(NASA提供)

 ミッチェル氏は1971年1月31日に打ち上げられたアポロ14号にほかの2人の乗員とともに乗り込み、コンピューター誤作動など何度もトラブルを乗り越え同年2月5日月面を踏んだ。月面に最も長く滞在したアポロ飛行士だ。その同氏の話を長時間聞いたのは、97年の深秋。米フロリダ州のケネディ宇宙センターに近いウエストパームビーチの自宅で暮らす同氏は当時67歳。地球帰還後、宇宙人の存在を示唆する発言などから一部で変人扱いされていたが、穏やかに語る元アポロ飛行士は物静かな哲学者のようだった。

 追悼の気持ちを込めて当時のメモから書き起こす。「暗黒の宇宙を前に月面に立った時、宇宙との一体感、というか体も精神も宇宙に広がっていくという恍惚(こうこつ)感に突然襲われた」「宇宙、月、地球、そして今生きている自分の存在は偶然ではあり得ない」。そう感じたという。「宇宙空間での一瞬一瞬が創造的に感じた。宇宙万物を支配する何か、神とも呼べる存在なしに考えられないんだ」。ミッチェル氏は地球帰還後宗教、哲学書を読みあさった。チベット仏教も研究し、ダライ・ラマ14世とも会っている。「宇宙は知的だった。科学でも説明できない何かを感じた。万物宇宙を支配する何か。それは神か」。淡々と語るその姿は宗教家、哲学者とも違う思索家の趣だった。

 ミッチェル氏と前後してアポロ12号に搭乗したアラン・ビーン氏、16号のチャーリー・デューク氏の話も聞いた。ビーン氏は絵描きになっていた。テキサス州ヒューストン郊外のアトリエを訪ねた。「真っ黒な天界に青く光って浮かぶ球体の地球を脳裏に焼き付けて帰還した。自分に何が残せるか、そう考えた時、月面の風景を残すことしかないと思った」

 デューク氏は月面では何も感じなかったという。帰還して英雄になった。「宇宙にはもう挑戦することはない」と宇宙飛行士を退職。ビール会社を設立したがやがて倒産。妻が自殺未遂するなどの辛苦を経験して伝道師になった。

 69年7月20日、 アポロ11号のニール・アームストロング船長が人類で最初に月面に降りた。その後事故を起こして月面に着陸できなかった13号を除いて72年12月に打ち上げられた17号まで12人が月面に立っている。一時期精神を病んだ人もいるが、多くは技術コンサルタントや宇宙の啓もう活動などで活躍した。11号のバズ・オルドリン氏は昨年8月に福島を訪ね宇宙工学を学生を前に講演しいている。11号のアームストロング氏、12号のピート・コンラッド氏、14号のアラン・シェパード氏、15号のジェームズ・アーウィン氏らが既に亡くなっている。

月面に立ったエドガー・ミッチェル宇宙飛行士(1971年2月5日、NASA提供)
写真2. 月面に立ったエドガー・ミッチェル宇宙飛行士(1971年2月5日、NASA提供)

 アポロ飛行士はその類まれな体験から「皆、波乱の人生を送った」という風説があるがそれは間違いだ。2006年に発行された「月の記憶・上、下刊」(アンドリュー・スミス著)も飛行士たちの帰還後の時に混乱に満ちた人生の変遷を伝えているが、それぞれ異なる道を歩んだミッチェル氏ら3人と直接、長い時間話を聞いた印象は異なる。宇宙船は違ったが3人とも米ソ冷戦時代の最中、ケネディ米大統領(当時)が提唱、実行した「アポロ計画」という壮大な巨大プロジェクトに1人の人間として関わり、さまざまな困難を経験した。球体の地球を眺めた衝撃の残像を何とか後世に伝えようとしている真摯(しんし)な姿は共通していた。

 月面に立ったアポロ飛行士は12人だが、地球周回軌道から地球を眺めた宇宙飛行士は米国だけでも300人を超える。日本人としては、1992年にスペースシャトル「エンデバー」に搭乗した毛利衛さんら10人が宇宙飛行を経験している。飛行中、毛利さんはエンデバーから「暗黒の宇宙の中で地球は青々としてとても暖かく感じます」と感動を伝えた。高度約300?400キロから眺めた地球は、多くのアポロ飛行士たちに神秘さを感じさせた宇宙に浮かぶ青い球体の地球ではない。しかし、ほとんどの飛行士が青く輝く地球を回りながら「かけがえのない地球」の環境を守ることの大切さを訴えているのは自然なことだろう。

 アポロ計画以降月面に立った人間はいない。現在国際宇宙ステーションで宇宙実験が日本も参加して国際協力で進められている。アポロ計画を単独で推進した米国はその後、90年代後半にクリントン元大統領が、2018年ごろの実現を目指して火星有人探査計画構想を打ち上げたが、ブッシュ元大統領時代は「テロとの戦い」もあり計画は遅れに遅れ当初計画は事実上頓挫している。オバマ現大統領も30年代半ばの実現を目指した新たな構想を打ち出して各国に協力を求めている。しかし、総予算は1兆ドルを軽く超えるとみられ、環境団体などからは「火星探査よりも温暖化が不可避の地球を守るために使うべき」との声も聞かれる。

 今、火星に一人置き去りにされた宇宙飛行士の生存をかけた孤独な闘いを描いた米映画「オデッセイ」が上映で多くの観客を感動させている。だが、現実に人類が月面に再び、そして火星面に立つ日はいつ来るのだろうか。途方もない巨額予算を必要とする有人宇宙飛行の未来像をしっかり見通すのは容易ではない。ミッチェル氏と会ったのは20世紀末。当時も地球上には貧困、憎しみ、対立があふれていた。ウエストパームビーチを歩きながら「今の時代をどう見るか」尋ねた。「アポロの時代はだれもが挑戦していた。自信や熱狂があった。人間は不思議な力を持っているのに一人ひとりの内在的な力を失いかけているように思える」。返ってきた言葉はいまだに風化していない。

 その後晩年のミッチェル氏と再会することはかなわなかった。亡くなったのはアポロ14号の月面着陸45周年(2月5日)の前日。ウエストパームビーチの自宅で静かに生涯を閉じたという。今の地球上の現実と有人宇宙探査の未来について聞いたらどう答えてくれただろうか。

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