レビュー

編集だよりー 2010年10月26日編集だより

2010.10.26

小岩井忠道

 今年の東京国際女性映画祭は、会場がたまたま職場近くのセルバンテス文化センター東京だった。考えてみるとこの映画祭にも何の貢献もしていない。ディレクターの大竹洋子さんからことしも招待券が送られてきたので、2作品を鑑賞し、図々しく最終日26日の打ち上げパーティーまで居残ってしまった。

 25日に見た韓国映画「飛べ、ペンギン」(監督・脚本、イム・スルル)が、実に面白かった。登場人物につながりのある3家族、3つの話が切れ目を感じさせずに続く。日本の現実に重なって見えて、思わず笑ってしまう場面もしばしばだった。編集者自身にピッタリ重なる人物は出てこないのだが、ものの考え方、言動に思い当たるところが実に多い。

 第1話は、徹底した教育ママと人はよさそうだが家庭のことは妻任せの夫と、英語、バレーなど塾通いを強いられる小学低学年の一人息子の話である。英語の塾が傑作だ。子供たちは皆、英語名を付けられている(いくら何でも創氏改名を皮肉ったわけではないと思うが)。両親は共働きでも、教育費は相当負担のようだ。上映後に「家族の未来」というシンポジウムがあった。

 「グローバル化の時代、英語は誰でも話せないといけない。子供の教育は借金してでも、と考える親は珍しくない。この映画のように5つも6つも塾に通わせるより、すぐ英語がマスターできる米国に留学させてしまった方がよい、と考える親もいる」。韓国側パネリストの言葉に驚く。

 しかし、よく考えるとこれはとんでもなく異常なこととも言えない。米国勤務の後、自分だけ帰国し、いまだに妻と娘2人はそのまま米国暮らしを続けている。編集者の身近にも、そんな高校の2年後輩がいるからだ。

 第2話は、この母親が働く区役所の社会福祉課が舞台だ。課長が、まさにこの逆単身赴任者で、妻は息子、娘と一緒に米国で暮らしている。無論、子どもたちの教育のためだ。稼いだ金の大半は、米国への送金で消える。子供たちと一緒に一時、帰国した妻には「あんたが脇にいると眠れないから娘と寝る」と冷たい仕打ちをされたあげく、「広い自宅で一人暮らしは不経済だから、この家売ってもっと狭いところに住んだら」などと言われる始末だ。

 「飛べ、ペンギン」という作品のタイトルは、この父親の言葉からとられている。外国の家族のところに頻繁に飛んでいけるのが「鷹(たか)父」と呼ばれるのに対し、金がなくて行けないのが「ペンギン父」とさげすまれている、という…。

 唯一、救われるのは部下たちにも冷たくされながら、しょっちゅう課員全員で会食していることだろう。今の平均的日本のサラリーマンなどより、可処分所得はあきらかに向こうの方がよさそうに見える。もっとも大勢で飲食する場面が多いのは、どうも重要なメッセージが込められているようでもある。「人間、仲間と頻繁に会食もしないようになっては、おしまいだ」という。

 この課長の両親が出てくるのが最後の話だ。日本のある年齢以上でいくらでも見られそうな亭主関白のわびしい末路と、反撃に転じた妻の元気な姿が描かれる。2人とも韓国では有名な俳優ということだが、ほかの俳優同様、日本人と外見、立ち居振る舞いはほとんど変わらない。それぞれ誇張はあると思うが、現在、あるいは一部、ちょっと前の日本の現実と嫌でも重なり合うのだ。

 シンポジウムに参加した韓国からのパネリストは、元内閣国務委員政務第2(女性政策担当)長官のイ・ヨンスクさんと、ソウル国際女性映画祭ディレクターのイ・ヘギョンさんという2人の女性だった。イ・ヨンスクさんは、昔は日本でもよく見かけたことがあるような立派な白髪の堂々とした方である。「国民学校卒だから」と日本語で通してくれた。

 今の核家族と異なり、韓国の家族は主婦が皆を助ける役を負ってきたことによって安定していた。家族に問題が起きてきたのは女性が仕事をするようになってから、という韓国の姿を紹介した後、にこにこ笑いながら披瀝してくれたジョークが強烈だった。

 70歳になる女性が同窓会に出かけて、帰宅したのだがすっかり沈み込んでいる。「何か悲しいことでもあったのか」。夫が聞いたところ、妻がこう答えたという。

 「私だけ、夫が生きている」

 映画は、登場人物たちがダンスを踊る場面で終わりになる。まあ、最後は観客に希望も与えないと、ということだろう。しかし、イ・ヨンスク元大臣の言葉は容赦ない。

 「今まで妻のおかげでやってこられても、独り立ちはどうか。日韓の男たちは、ダンスもできないのでは」

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