「小学校の佐々木先生を思い出した。同じクラスだったので覚えているかな? 音楽の授業の、例の和音当ての前だか後だった。昔の音階はドレミファ…と上がる時とドシラソファ…と下がる時とでは半音のところ(ファとシだけ?)が違う音(より上がり、より下がる)で、バッハより昔の(パイプ?)オルガンでは別の鍵盤が付いていた、と教えられた」
最も熱心に編集だよりを読んでくれている小学校以来の旧友(元鉄鋼メーカー技術者)が、27日付の記事に対する感想を早速、メールで寄せてくれた。
「例の和音当て」というのは、担任の先生がオルガンで弾く和音を「ドミソ(T)」か「ドファラ(S)」か「シレソ(D)」のいずれかと、答えさせる。そんな小学校時代の思い出を、前にこの欄で書いたことを指している(2010年12月15日編集だより参照)。
家にピアノやステレオがあり、日ごろから音楽に親しむ。旧友も編集者も、そんな生活とは無縁の幼少時を送った。とはいえ、音楽の授業に関しては特によく覚えていると思い込んでいたのである。ところが、今回の旧友の話は、全く記憶にないから、わが記憶力もいい加減なものだ。追ってまたメールが届き「音階の上がりと下がりで別の鍵盤が付いていたのでは、演奏するのが(おそらく楽器を製作したり調律するのも)非常に大変だったので、両方の中間(平均)の音を一つの鍵盤に簡単化した楽器を作るようになったという話だった」という。
しかし、先生の言葉をよくもこんなに詳しく覚えているものだ、と感心する。
そういえば昔、美輪明宏が「曲の中で音の高さが徐々に高くなる箇所では、最後の音を、正しい音よりわずかに高くして歌うことがある」という意味のことをどこかに書いていたのを思い出す。森進一なども、時々同じようなテクニックを使っているような気もする。
しかしである。音階が上昇するときと下降するときで、音の高さが違う(そのために別の鍵盤があった)というのは、どうも釈然としない。Wikipediaの「平均律」の項を読み直してみた。6月27日に書いた編集だよりに相当な間違いがあると気づいて赤面する。「(平均律の音階は)周波数でもって厳密に規定される音階に比べると、ド、ファ、ソ以外の音はわずかだが“本来”の周波数からずれている」ともっともらしく書いたのが、とんだはやとちりだった。「完全1度と完全8度を除いて純正な音程は存在しない」。つまり「ド」以外の音は、すべてなにがしかずれている、というのが正しいということだから。
親切なことにWikipediaには、平均律の音が“本来”(純正音程)の音に比べてどの程度ずれているかまで示した表までついている。「半音のところに別の鍵盤がついていた」という旧友の記憶が確かだったとすると、「ファ(F)」と「ソ(G)」の間の黒鍵、さらに「レ(D)」と「ミ(E)」の間の黒鍵にそれぞれもう一つの黒鍵が付いていたということだろうか。これらの音は、黒鍵の音の中で平均律と純正音程との違いが特に大きいようだから。
あるいは、黒鍵ではなく、「ミ」「ラ」など白鍵の代替鍵としてそれぞれ黒鍵がついていた可能性も考えられる。これらの音も、平均律と純正音程とのずれが大きい。
いずれにしろ、旧友が覚えているように「上がる時と下がる時とで音階が違うので、別の黒鍵が使われた」というのは、どうにも腑(ふ)に落ちない。ひょっとして「移調する。つまりハ長調やイ短調では通常の鍵を使うが、それ以外の調で演奏する時は、同じ鍵で弾くとドレミファソラシドが明らかにおかしくなってしまう。従ってハ長調、イ短調以外の調の曲を演奏する時は、音の高さのずれを修正するため、一部別の黒鍵を使用する必要があった」ということではないだろうか。とも思ったのだが、どうだろう。
こんなやり取りをメールでできるのも、お互い時間に余裕がある年齢になったからだ。60年近く前に2人とも同じクラスで音楽好きの担任の先生に教えていただいたおかげでもある。
思えば当時は、今以上にはつらつとしている小学校の女性の先生が多かったような気がする。大学進学率が今よりはるかに低い時代だったから、特に女性で大学や短大を出て教師になるような人は、物心両面で余裕のある家庭に育った人が多かったのだろう。国語や算数だけでなく、音楽や図工を教えるのも苦にしなかった、ということではないだろうか。旧友はどうか知らないが、編集者は小学3-4年時の担任、佐々木(旧姓)千代子先生に音楽を教えていただいたおかげで、以後小学、中学を通じ音楽の筆記試験で苦労することはなかったような気がする。
そういえば、ある時佐々木先生に「教室の後ろに張り出す学級新聞をつくる。やるのはあなた」と言われたことがあった。「日記や作文を書くのが嫌いな人間に、どうして新聞係なんて」と思ったが、無論、言うことを聞かないわけにはいかない。何を書いてよいのか分からず、たまたま読んでいた物語を一字一句変えずに原稿用紙に引き写し、毎日1枚ずつ張り続けたことくらいしか覚えていない。
読むに堪えない新聞だったはずだから、記憶力のよい旧友もさすがにこれは覚えていないだろう。