小岩井忠道
「やられたあ」。日経新聞25日夕刊「生活・ひと」面の「学びのふるさと」欄をみて、苦笑いした。彫刻家の澄川喜一氏(東京スカイツリーデザイン監修者、元東京芸術大学学長)が少学校1年生の時の担任だった女性の先生の思い出を語っている。「『絵が上手だね』と褒められて創作が大好きになった」と。
当時24歳くらい。普段はもんぺ姿なのに習字の時間だけははかま姿で、墨汁で汚れないようにたすきを掛ける。たすきの端をくわえてさっと結わえる動作は、息をのむほど見事…。
東京スカイツリー開業の前から、しばしば新聞紙面に登場されるようになった澄川氏だが、このエピソードは、初めて知る。たまたま高校の先輩に紹介していただいたのがきっかけで、氏とは親しく言葉を交わせる間柄になることができた。スカイツリー完成の1年以上前に、当サイトのインタビュー欄で早々と氏を紹介したのが、編集者のささやかな自慢である(「ものづくり国のシンボル- 東京スカイツリーの魅力とは」参照)。氏は野外彫刻を含め数多くの作品で有名だが、当時、氏を詳しく紹介していた記事をウェブサイトで探しても、氏自身の公式サイトを別にすると中国新聞の連載記事くらいだった。今でもgoogle、yahooを検索すると、wikipedia、澄川喜一公式webサイトの次に出てくるのは、わがサイエンスポータルのインタビュー記事である。フムフム、掲載直後だけでなく、東京スカイツリーへの関心が高まるにつれ、相当読まれたに違いない、と大いに気をよくしていた。
この記事の中でも、氏の人となりが分かるエピソードなどはできるだけ紹介したつもりだ。彫刻の道を選ぶ前から絵画に力を入れ、旧制岩国工業学校時代には似顔絵を描いて先生に褒められたことや、街の映画館主から頼まれての映画の看板描きを引き受けていたことなどなど…。
「やられたあ」と思ったのは、インタビュー記事執筆のため二度にわたって取材した時ばかりか、その後、何度もお会いしたのに、この小学校の先生についての思いでは一言も聞いていなかったためだ。
「いやあ、素裸にされるくらい洗いざらい聞き出されてしまったなあ」。記事が載った後、そんなお褒めの言葉をいただいていい気になっていたのだから、世話はない。こんなとっておきの話を聞き出すことができなかったのは、記者失格と言われてもしようがないだろう。それにしても人が大切にしている経験というのを聞き出すのは、実に難しいことだ、とあらためて思い知る。
東京スカイツリーは、開業2日目の23日に見学する機会に恵まれた。郷里で校長を務める高校の後輩が「招待券を2枚手に入れた。全国高校校長会総会に出席するため上京するので、その日にどうか」と誘ってくれたためだ。前日と打って変わった好天気で、展望台からの眺めは評判通り。東京の下町が隅田川、荒川という大きな川と切っても切れない地域である、と実感できる。採用する側が意識してそうしたのかどうか確かめていないが、2人の意見が全く一致したことがある。案内の女性たちの雰囲気が実によいということだ。大航空会社の客室乗務員などとは違い、気取ったところが全くない。
「デザインを監修した東京スカイツリーのイメージは『貴婦人の立ち姿』。ツリーを見上げると、習字の時間に背筋を伸ばして立っていた先生の姿を思い出します」
日経新聞の記事の締めも決まっていた。記者の筆力にも感心する。「太った人よりすらっとした人の方が美しいでしょう」。ツリーの外観を表すものとして澄川氏から編集者が聞き出した言葉は、このくらいだっただから。