大相撲夏場所千秋楽の後、江東区清澄にある北の湖部屋で行われた同部屋の打ち上げに呼ばれた。初場所に続いて2度目だが、高校の先輩が部屋の後援会長をされているおかげだ。
理事長に復帰した北の湖親方の到着を待たず好成績を挙げた力士に対する後援会長からの金一封授与などがあった後、すぐに宴席となる。力士たちがカラオケで披露するのが編集者の知らない新しい歌ばかりなのに驚く。
しばらくして親方が到着。いつも通りにこりともせず弟子に対する具体的な苦言からあいさつが始まった。「相手はけがをしているのだから、勝負を早くつけようとぶつかってくるのに決まっている。それに臨機応変に対応できないようでは駄目」。千秋楽で勝ち越しを逃した十両の鳰の湖が、途中3日休み、既に負け越しが決まっている相手に負けたことを怒っているのだ。観客からブーイングも出たという大関琴欧州の突然の休場に対しても、「休場を知って用意していた理事長あいさつを急きょ、書き換えた。相撲も同じように臨機応変が肝心だ」と再度、念押しをする。
翌日の各紙朝刊は、琴欧州休場で優勝争いの興味が急落してしまったことに対して理事長が「異例の陳謝」をしたことを取り上げていた。陳謝がなければ、琴欧州をはじめとする上位陣のふがいなさを追及する各紙の筆はもっと厳しかったに違いない。理事長の機転は十分効果があったということだろう。現役時代、体力にまかして相撲を取っていたわけではない、ということがよく分かる。
何日前にNHKが、幼児に対するスポーツ教室の功罪を取り上げていた。同じ動作ばかり教えているとかえってバランスの取れた体の発達を阻害する、といった内容だった。わざわざ金をかけて運動をするなどという経験と無縁の幼少時代を送った人間としては、実によく分かる懸念だ。子どものころから臨機応変の動きとは対極的な単調な動作を繰り返しやらされてばかりでは、確かに強い相撲取りにもなれないだろう。
数日前、都心の有名な天ぷら店で、前述の高校の先輩にご馳走になった。カウンター席で先輩がひいきにしているという魁皇関(引退相撲を27日に控えている)と隣り合わせになる。「あの内無双は見事だった。実は小学生の時、得意技が内無双。外無双はうまくかからなかったが」。たまたま、数日前の日馬富士の相撲を覚えていたので話しかけたら、やさしい性格という評判通りの答えが返ってきた。「いやあ、自分は一度も使えなかった技です」。そもそも編集者の問い自体がいい加減だった。新聞を見ると、この時の決まり手は内無双ではない。その上、話した後すぐに気付いた。編集者が小学生当時、何度か相手を転がすことができたのは外無双で、内無双は一度もできなかった、と。
ともかく、昭和20年代当時、昼休みともなれば小学校の校庭ではあちこちで相撲が行われていたものだ。今はどうか。魁皇関によると「小学校に土俵を贈りたい」と言っても断られてしまうという。PTAも学校もけがでもされたら困るという姿勢らしい。外国出身の力士に対抗できる日本人力士の登場というのは、なかなか難しいということだろうか。その上、幼児スポーツ教室で決まり切ったマット運動などばかりされていたら、到底、臨機応変の身のこなしなど望むべくもないということに…。
北の湖部屋の打ち上げの最中、小学生相撲大会で優勝したという呼び出しのお子さんが紹介されていた。「大人になったら相撲取りになりたいか、それとも呼び出しに」。落語家の司会者に聞かれたときの答えに、会場から爆笑が起きた。
「サッカー選手になりたい」