日本にはエネルギー資源や廃棄物の問題、環境汚染、都市のヒートアイランド化、さらに人口の高齢化、少子化など、多くの課題が山積している。しかしそれはニーズがあるということであり、ニーズがあるということは、「解(solution)」を生み出すチャンスを与えられているということにほかならない。課題があるということはチャンスでもある。
バブル崩壊後を「失われた15年」といういい方をよくするが、それは間違いだろう。少なくとも「失われた39年」というべきだと思う。くしくも、1868年の明治維新からちょうど100年たった1968年、日本の経済規模は世界第2位になった。『坂の上の雲』の時代や第二次世界大戦などの疲弊を経つつも、明治維新から100年で世界第2位の経済大国になったのである。
もともと文化的に劣っていたわけではなく、生産力も追いついたことで、日本は世界のフロントランナーの一員になった。このときすでに日本は、「自分たちの問題は自分たちで解決する」というマインドにならなければいけなかったのだ。つまり「課題先進国」というとらえ方をすべきだったのである。
資源が乏しく、人口密度の高い産業先進国である日本は、中国とインドが先進国になったときの世界の姿そのものだ。21世紀中に確実に訪れるであろう、石油が世界的に欠乏し、人口密度の高い産業先進国ばかりになったときの地球の姿を“先取り”したものなのだ。だから日本は「21世紀の地球の未来像を先進的に経験しているモデル国」であると考えるべきだと思う。
ほかにモデルがあるなら、まねればよいが、ないのだから自分で創らざるを得ない。自分で創るとなると、世界の文明の状況や、さまざまな技術の動向、新しい科学技術の萌芽などを、自ら判断する必要が生じる。自ら判断する必要に迫られてはじめて、現在、人類が置かれている困難極まる状況、つまり「知の細分化と課題の複雑化のギャップ」に思い至ることになる。
20世紀の学術の発展は知識の爆発的な増大をもたらした。それは同時に専門分野の細分化をもたらし、結果として個々の人間は、どんなに優秀であっても特定の専門分野に通暁することができるだけで、膨大な知の全体像を把握できなくなったのだ。
この問題に対する解として、「知識の構造化」を私は提案している。あらゆる必要な知識を動員して人間の価値とつなげる方法を創るのだ。
振り返れば、20世紀の科学と社会の関係は単純だった。フレミング(Alexander Fleming)がペニシリンを発見すると製薬業ができ、カロザース(Wallace Carothers)がナイロンを発見するとデュポンが利益を得、ハーバー(Fritz Haber)とボッシュ(Carl Bosch)がアンモニア合成に成功すると肥料産業ができた。
このようにノーベル賞を得た科学技術の成果が、極めて単純に価値に結びついていたのが20世紀の特徴だ。だが、これからはジグソーパズルのピースのような知識が山のように積み上がった中で、どうやって絵を描くかが問われている。
知識を構造化し、さまざまな困難な課題を解決できれば、「課題先進国・日本」は21世紀の社会モデルを切り拓くことができる。今こそ「課題解決先進国」となるために、先頭に立って走る勇気を持たなくてはならない。
本記事は、「日経サイエンス誌」の許諾を得て2007年4月号から転載
小宮山宏(こみやま ひろし)氏のプロフィール
1944年生まれ。67年東京大学工学部卒業、72年東京大学大学院化学工学専門課程博士課程修了、1988年東京大学工学部教授、2000年工学部長、大学院工学系研究科長、03年副学長、05年総長、06年10月から教育再生会議委員も。著書に「知識の構造化」「地球持続の技術」など。
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