レビュー

編集だよりー 2007年7月7日編集だより

2007.07.07

小岩井忠道

 都内で開かれた日立一高東京同窓会総会に招待された。歴史のある同じ茨城県立高校同士ということで東京地区の同窓会総会にお互い代表を招待し合う付き合いが、ここ数年続いている。

 立派な祝辞などできないから、せめて日立一高同窓生への敬意だけでも、と米航空宇宙局(NASA)ゴダード宇宙センターの国際紫外線衛星天文台長などを務めた宇宙物理学者、近藤陽次氏の話をした。氏は日立一高の卒業生だからだ。

 「通信社の記者時代に、氏のある研究成果を記事にしたことがある。最後に『近藤陽次氏は茨城県立日立一高の卒業生』という注意書きを付けておいたら茨城新聞が日立一高卒ということを見出しに付けて掲載してくれた」

 参加者の中には、近藤氏と同級生(昭和27年卒業)あるいは1年先輩といった方が何人か出席しておられ、懇親の席でおおいに話がはずむ。「やつが読んでる本が何かとのぞいたら『わが闘争』。戦争終わったばかりでそんな本など読む者などいなかった」。近藤氏の型破りの高校生ぶりをいろいろうかがう。気が向かない科目はまじめにやらなかったらしく東京大学の受験は失敗したそうだが、数学などでは図抜けていたとのことだ。

 通信社時代に大まじめに考え、しかし、まず無理だろうと最初からあきらめてしまったことの一つに「出身高校」を記事に入れるアイデアがある。前述のように特別のケースではなく、ごく日常的にというわけだ。人の経歴を記事に付ける場合、出身大学名は入れても高校までは書かないのが、昔から新聞記事の常識となっている。

 卒業大学名だけでなく、△△高校卒と書いてあれば、読者はそれぞれ考えるだろう。東京や阪神地区の中学から地方の高校に進学するなどというのは野球で頑張ろうする人間くらい。普通は出身高校を見れば、出身地が推測できる。さらに県立高校か私立高校かの違いなどから、「フムフム、この高校からこの大学なら…」など読者によっては、それぞれその人物についての想像をめぐらすことも可能ではないか…。とまあ、考えたわけである。出身高校をいれても増える記事の長さは、わずか数字ですむことだし。

 5年という期間を区切り研究チームの人選を含め、研究総括者に大幅な権限・裁量を与える。当時としては画期的な創造科学技術推進研究制度(いまの科学技術振興機構「戦略的創造研究推進事業・ERATO」)をつくるべきか、葬り去るかで大論争が始まろうとしていたころ(1980〜81年ごろ)の話を思い出す。科学技術庁(当時)の課長として、まずは“世論づくり”に奮闘していた長柄喜一郎氏(その後、理化学研究所副理事長、宇宙開発委員などを務めた)の面白い言葉が記憶に残っている。

 「いまのような欧米の後追い研究ばかりでは、どうしようもない。独創的な成果を生み出す研究に研究費を投入しないと。だれに研究費を出すかが問題で、単に成績が優秀というだけでは駄目。地方の県立高校を出て東大に入ったような人間から、独創的な研究ができそうな人物を探さないと」

 ここで長柄氏の言う「県立高校」も「東大」も話を分かりやすくするために使った言葉だろうから、それ以外は問題外ということではないはずだ。要するに受験勉強が得意なことと、独創的な成果を生み出す才能は別、ということなのだろう。

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