レビュー

編集だよりー 2007年5月22日編集だより

2007.05.22

小岩井忠道

 別の会合などとぶつかり、しばらく行けなかった「女流義太夫演奏会」(毎月1回、国立演芸場で開催)を聴いた。

 「毒な物喰わずに下痢(はら)や痲疹(はしか)の用心しや。可愛の形やいたいたしや。千三百石の代取(よとり)がなんの罰ぞ咎めぞ」

 竹本駒之助演ずる乳人「重の井」が、貧しい馬方の「三吉」を実の息子と知った上で、泣く泣く屋敷から追い出す場面での語りである。(「恋女房染分手綱」・「重の井子別れの段」)

 「母でも子でもないならば、病もうと死なうといらぬお構い。…馬方こそすれ、伊達の与作が惣領ぢゃ。母様でもない他人に金貰う筈がない…」。母が渡そうとした財布を受け取ろうとせず、三吉が返す言葉に、ジンと来る。

 もっとも、義太夫を聞き分けるのは編集者にとってまだまだ難行で、事前に解説やあらすじに目を通し、その上、舞台そっちのけでシナリオに集中しないと、こうはいかない。舞台に気を取られていたりすると、何を言っているのやら、というのが普通だ。

 さて、この日の朝、ラジオや新聞各紙が伝える「早稲田大学が麻疹で休講」というニュースに接したばかりである。江戸時代でも、麻疹というのは身近で厄介な病気だったのか、とあらためて感じた。

 麻疹は幼少時にかかった記憶がある。予防接種などしていなかった、ということだろう。当時、庶民の感覚では、深刻な「病気」のうちに入らなかったのではないだろうか。うろ覚えだが、近所の何人かの子どもが、次々にかかったような気がする。

 今はそうも行くまい。厚生労働省健康局結核感染症課監修の「予防接種と子どもの健康」というページを見ると、麻疹の主症状である高熱と発疹は、1週間程度も続けば収まるように説明されているが、一方、「麻疹にかかった人は数千人に1人の割合で死亡し、わが国では現在でも年間約50人の子がはしかで命を落としている」と書いてある。さらに「主な合併症としては、気管支炎、肺炎、中耳炎、脳炎がある。患者100人中、中耳炎は7〜9人、肺炎は1〜6人に合併する」とも。

 これでは、予防接種が普及していなかったころは、今よりもっと死者も、後々副作用に悩む人も多かったに違いない。まして、重の井、三吉母子の生きていた江戸時代ともなれば。

 予防接種のように社会に行き渡っている事柄のありがたみを感じることは、むずかしい。

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