レビュー

編集だよりー 2007年5月21日編集だより

2007.05.21

小岩井忠道

 芭蕉が、奥の細道紀行で一番行きたかった場所は、宮城県松島とここ象潟(きさかた)。不勉強で今回初めて知ったのだが、その秋田県にかほ市を20、21日訪ねた。

 にかほ市は仁賀保町、金浦(このうら)町、象潟町の三町が合併し、一昨年10月1日に生まれたばかりの市である。

 芭蕉が訪れた後の大地震で、海面に100もの島々が顔をのぞかせる美しい潟は隆起してしまい陸地になってしまった。芭蕉が見た風景とは、一変してしまったと思われるが、昔の島だったところが、いまだに水田の間にまさに小さな島のように点在している。水田を海面と思えば、かつての面影は十分想像できる。

 今回初めて知ることは、ほかにもいろいろあった。TDK歴史館とフェライト子ども科学館を見学して、TDKの創設者、斎藤憲三がここの出身と知る。起業家・憲三と、フェライトの特許を提供した東京工業大学教授、加藤与五郎、武井武の出会いや「東京電気化学工業株式会社」の創業、その後の発展…。まさに、いま盛んに言われるイノベーションや産学連携の手本みたいではないか。

 そういえば昨年秋の都市対抗野球大会で優勝したのは、地元のTDKチーム。創業者の地元の経済、地域活性化にも大いに貢献しているということだろう。

 その後、訪れた白瀬南極探検隊記念館で、あの白瀬矗中尉がまた、この地の出と知る。当時、白瀬中尉の「経費下付請願」に対し、帝国議会は必要費用を大幅に削って議決したということだが、政府は結局、援助金を全く支給しなかった。探検にかかった総費用の6割は、一般からの募金でまかなったそうだが、今の金にして2億円もの借金が残り、白瀬中尉個人の肩にのしかかった、という説明に驚く。

 後半生は「借金返済のための苦難に満ちた果てしなき旅の連続」、85歳で病死したのは、愛知県の間借り先だった鮮魚店2階で、「近所の人は、この老人がかつての南極探検王であることを誰も知らず、訪れる弔問客も少ない寂しい葬儀…」という記念館パンフレットの記述に、しばし、考え込んでしまった。

 白瀬中尉による南極探検に比較しうるようなプロジェクトなど、その後の日本にあっただろうか、などと。

 にかほ市訪問は、横山忠長市長から「にかほ市ふるさと大使」を委嘱されている10数人の中の最若輩者としてだった。ふるさと大使には、報酬は全くなく、今回もこちらの意向による訪問である。東京在住の人間に「ふるさと大使」を委嘱している自治体はたくさんあるが、無報酬とはいえ、地元に全く縁がなかった編集者のような人間の方がむしろ多いというのは多分、にかほ市くらいのものではないだろうか。

 それでもいっこうに気にしない、というのが、この地の気質なのかどうかは、まだよくわからない。しかし、今回の訪問で、思いを強めたことが一つある。にかほ市のように歴史、文化、自然に加え、冒険的気質にも富む地というのは、そうそうないのでは。万一、このような地域ですら元気がなくなってしまうようでは、日本の地方で地域活性化が期待できるところなど…と。

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