レビュー

編集だよりー 2007年5月20日編集だより

2007.05.20

F.E

 ベートーベンの第七交響曲を「ベト七(しち)」というのだそうだ。ごく最近はやり出した若者言葉で、ベト七の演奏会チケットの入手が難しくなっているという。NHK・FM放送のクラッシック番組「ミュージックプラザ」(前半)の案内役アナウンサーの紹介だから、間違いあるまい。

 現代の若者言葉はごまんとあるらしいが、時折電車の中で聞くそれらしいセリフには相当な違和感を覚える。だが、「ベト七」はなかなかいい。言葉を縮めただけのことで、デジタル感覚だ。

 第七には思い入れがある。大学に入学した途端、学生寮で第七を聴かされボーッとなってしまった。寮友が持っていた数枚のレコードの中から、第七ばかりを毎日のようにかけていた。以来クラッシックにはまった。

 自宅にオーディオ装置を備えて30年ほどになるが、アンプを取り替えること4回、スピーカー3回、チューナー3回、レコードプレーヤー3回、CDプレーヤー3回、といった具合である。財布との相談で徐々にグレードアップしたということにほかならないが、ほとんどビョーキ、と指弾された時期もある。が、まるっきりまだヒヨコ。

 オーディオ・マニアの巨人は、私が知る限り作家の五味康祐氏(故人)にとどめを刺す。マニアックと言おうか、パラノイアと言おうか・・・。

 マニアたる者の解剖、あるいは自己省察がまず素晴らしい。「かつて感激して聴いた音、現実には求められないかもしれないが記憶の中で浄化された音、そういう音の理想像に我が家の音を近づけようと悪戦苦闘する——ここにオーディオ・マニアの業のようなものがある」(新潮文庫『五味康祐 オーディオ遍歴』)。

 かくして氏は、高級再生装置のほとんどと思われるモノを買い漁り、試し、試聴室を改造、あるいは試聴室のために自宅を新築したりするのである。億単位の金を惜しげもなく費やす”姿勢”には、ほとんど感動してしまう。

 が、氏はCDを知らずに世を去った。でも「倍音の美しさや余韻というものがトランジスター・アンプにはない」(同書)と言って真空管アンプの信奉者だったから、ボロクソだろう。滑らかなアナログ波に似せて作られたデジタル波では、氏のような超マニアを満足させることはできないに違いない。デジタル感覚の「ベト七」も受け入れられないだろう。

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