レビュー

編集だよりー 2007年5月15日編集だより

2007.05.15

F.E

 「必要は発明の母」ということわざがある。かつてはそうであったろうし、一面の真理であることを疑うわけではないが、逆も真理ではないか、という思いに駆られる。つまり「発明が必要の母」というのは、いかがであろうか。

 「イノベーション(innovation)」のご時勢である。「innovation」を「技術革新」と訳したのは、1955年度(つまり56年)の経済白書といわれている。55年度に日本の鉱工業生産が戦前・戦中のピークだった44年度のそれを上回り、白書は「もはや戦後ではない」と、誇らしげに謳ったことでも名を残している。

 この白書が出たあたりを境に、日本の経済社会は大きく変容していく。科学技術に注目すれば、企業のR&D費(研究開発費)が急膨張し、大企業はこぞってR&Dの拠点・中央研究所を創設し始めた。いわゆる「第一次中研ブーム」である。それ以降、必要と発明の関係——母役が逆転したのではなかろうか、というのが冒頭の命題である。少なくともその時期、新たなモノやサービスの供給(発明)が需要(必要)を掘り起こしていく、という現代経済社会の姿の一面を、おぼろげながら予感させるものがあっただろう。

 そのころは幼い身であったゆえ、記憶の残像を急転回させるほかはない。90年ころ、今から16〜17年前、仕事を終え午前2、3時に東京都心から郊外にタクシーを飛ばして帰宅することがしばしばあった。甲州街道から多摩川を渡るのだが、「コンビ二」なるものは甲州街道は知らず、多摩川を越えたところには1軒しかなかった。その数、今はどうだ。

 当時コンビ二業界は「ニッチ(niche=隙間)」と、陰日なた呼ばれていた。百貨店とスーパーに挟まれたニッチというわけだ。後は言うまでもない、今や堂々たる小売業の主役。時には差し当たり必要ないものまで提供し、ついつい買わせてしまうという按配。インターネット業界もそうかもしれない。

 が、また「必要」が母になる日がやってくるかも? それは資源・エネルギーと環境問題からの制約という、重たい十字架を背負ったしんどい母役であろう。しかも、先鋭で賢い消費者は益々賢くなっていく。その後に、先鋭ではないにしても賢い消費者がごまんと陸続する。その「必要」に応えられるかどうかが、「発明」に試されるリトマス試験紙になる、という予感がする。

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