レビュー

編集だよりー 2007年5月10日編集だより

2007.05.10

小岩井忠道

 都会暮らしの人間が、税金の一部をふるさとの自治体に納める−。朝のラジオ番組で何度か耳にしながら、半分聞き流していた。まずこういう話は実現しないだろうと。

 しかし、今朝の朝日新聞朝刊政策面の記事を読むと、どうもそうでもないらしい、という気になる。言い出しっぺの菅総務相が8日、「首相から『検討しておいてくれ』と言われていた」と語った、と書いてあった。「渡辺地域活性化担当相や大田経済財政担当相も8日の閣議後会見で次々と賛意を示している」という。

 そういえば、竹下登氏が首相だったときにも、ふるさと創生事業として、全国の市町村に一律1億円を交付税として分配したことがあった。

 都会と地方の関係ということで、なぜか妙に心に残っている言葉を思い出す。京都で記者生活を送っていたころの話だ。新聞社や通信社の取材拠点として最も重要なのは警察本部。これがマスコミ業界の地方の実態である。京都も例外ではない。しかし、京都の場合、他の地方と異なる特徴がある。大学が、非常に重要な取材対象ということだ。いまでも変わらないと思うが、京都大学本部の総長室と廊下を挟み、狭いながらも記者室という一部屋が割り当てられていた。主な新聞、通信、放送各社の記者が常駐する。

 編集者が取材していた当時の総長は、前田敏男氏(総長在任は1969年〜73年)だった。「『土佐のいごっそう』で、こわい感じがした」。インターネットで検索すると、京大建築科で前田教授に習ったことがあるという卒業生のそんな評が載っている。思い出すのは、定期的に開かれていた総長記者会見のある日のやりとりだ。

 話が、大都会育ちと地方育ちの比較になった。どうもそのころから、難関大学と言われる大学への入学者が、大都会出身に偏る傾向が出始めていたらしい。

 「一番は、どこでも一番、とも言いますからね」。口数の多い記者が開陳する大学受験論にしばし耳を傾けていた氏が、ぼそっと言った。

 受験対策に秀でた大都会の高校を出た人間には、確かに成績の良いものが多い。しかし、どんな高校でも、そこをトップで卒業した人間には、相応の価値がある、という意味である。地方の高校から京都大学に入学してきた人間は、むしろ将来、伸びる可能性がある、と見ているのだな、と感じた。

 ふるさと納税と、前田総長(当時)の言葉との脈絡は何か、と問われると、言葉に窮する。編集者にとっては、とにかく関連づけて思い出したというしかない。
(朝日新聞の引用は、東京版から)

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