レビュー

編集だよりー 2007年5月6日編集だより

2007.05.06

F.E

 「JST News5月号」の「なぜ、日本人は科学リテラシーが低いのか?」の記事(12ページ参照)にはまいった。「次の問題に挑戦してみましょう」と、11の設問があって科学の基礎知識を問うているのだが、3問答えられなかった。エイヤッでやったら3問とも間違えた。大学理学部出がこの体たらくである。

 人々は科学技術の知識や理解力で生きているわけではなく、上記3問もどうってことはない。が、世の中、知識があったほうがよいと思われることはそこらじゅうにころがっている。医療分野でそのことを綴ってみたい、と同記事でしきりに誘惑された。

 EBM(Evidence‐Based Medicine=証拠に基づいた医療・医薬)、ということがやかましく言われるようになって十数年経とうかしら。つまり、「治る」とか「効く」とか「効果がある」というには、十分な医学的(科学的)な証拠があってこそ施されるべき医療や投薬のことである。

 時折、薬事法違反容疑で検挙されるが、あからさまに言わないまでも、すれすれの表現や体験談で、「効く」ことをほのめかす健康(まがい)のモノや書籍・雑誌が氾濫している。いわく、「・・・がよくなった」「・・・が解決」「驚異の・・・」。

 「使った、治った、(従って)効いた」というこの種の論法は、三段論法をもじって「三た論法」と、専門家の間で言われる。あるモノを使ったことと治ったことには因果関係はないかもしれず、従って「効いた」というのは、ひどい飛躍なのだ。日本の医薬臨床試験研究の草分けだった故・砂原茂一博士は、主観性の強い「痛み」の場合、小麦粉を投与しても3〜4割の患者は痛みの軽減があるという、と指摘している。

 かつて調べたことがあるが、医薬品が本当に効くかどうかは、「strength of evidence」(証明力の強さ)があるかどうか、にかかっているという。ある薬を投与して1〜数人の患者が改善したという臨床試験は、「ケース・リポート」とか「ケース・シリーズ」と呼ばれ、証明力は非常に弱い。

 細かく分類すると、確か9段階の臨床試験があったと記憶しているが、最強の証明力を持つのが「二重盲検無作為化比較試験」。試験する薬を投与するグループと、ニセ薬を投与するグループの2群を無作為に作り、被験者(患者)も医師もそのことを知らされずに検証する方法である。

 科学的であるかどうかには、ことほどさように、臆病なほどと言ってもいい用意周到さが必要ということである。ある1つの自己体験で物事が納得できたとしても、それだけではまず何の慰めにもならない。冒頭の「科学リテラシー」の記事の副題は、「ニセ科学にだまされないために!」である。

ページトップへ