レビュー

編集だよりー 2007年5月5日編集だより

2007.05.05

小岩井忠道

 エーリヒ・ケストナーにもし尋ねたなら、なんと答えるだろう。「ウェークアップ!ぷらす」を見ながら、ふと思った。この番組は、毎土曜朝に日本テレビ系列で放送されているが、制作は大阪の準キー局、読売テレビである。

 「関西ならではの目線、東京キー局には気づかない切り口、見落としている問題点、そういったものに真正面から取り組んでいきたい」。読売テレビが同局の番組審議会で言っているように、東京のキー局の同種番組とは一味違った雰囲気を感じる。一刀両断的な発言、あるいは「まあそうはいっても…」的な発言に納得できない人も、血相変えて反論しにくい。そんな塩川正十郎氏(元財務相)がレギュラーコメンテーターとして出ているのも、一因だろう。

 今朝の「ウェークアップ!ぷらす」が取り上げていた話題の一つが、熊本市の慈恵病院が始めた「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」だった。全国的な関心を集め賛否両論が交わされた中で、病院が決断し、熊本市も設置を許可したという事実の重みは大きい、というのが編集者の感想だ。「親が子育てを放棄する風潮を助長しかねない」。安倍首相をはじめ否定的な声が聞かれるにもかかわらず、実行に踏み切ったわけだから。

 塩川氏も、番組の中で明確に反対意見を述べていた。だが、この問題に関しては、現場に近い人ほど多くのことを考えたうえで判断したはず、と考えた方がいいのではないだろうか。

 さて、冒頭にケストナーを持ち出したのは、日本の少年少女にも人気がある(正確に言えば「人気があった」か?)物語「飛ぶ教室」に、親に捨てられた少年が主人公の一人として登場するからだ。米国から欧州行きの船の中に置き去りにされたために、船長によって育てられている。親が名札に残したヨナタンが本名だが、同級生たちには米国風に「ジョニー」と呼ばれていた。

 仲間が寝静まった寄宿舎の窓から、夜の街を見下ろしながらジョニーが、考え事をする場面がある。「…5人の子どもを持とう。だが、ぼくは子どもを捨てるために、海のかなたにやってしまうなんてことはしない。ぼくのおとうさんがぼくにたいしてしたような、…いまどこにいるかしらん、ぼくのおかあさんは?…」

 昔、米国の女優、ミア・ファローが大勢の養子を育てているという記事にすっかり感心したことも思い出す。それぞれ実の親が育てられない事情のある子供たちだったのだろうが、人種もさまざまだ。当時、実生活上も映画製作上もよいパートナーだったように見えた監督兼俳優のウディ・アレンと別れた、というニュースが伝わってきたのは、そのちょっと後だったように思う。アレンが、養女のひとりに手を出してしまったという理由だった。

 彼女に感心したというのは、子供を育てることの大切さは、血がつながっているか否かには関係ない、という考えの持主と思えたからだ。遺伝的なつながりがある子孫を残したいというのは、人間の自然の感情だろう。しかし、どんな生物でも自然に行っていることでもある。「自分の子は遺伝的なつながりがないと」と思うのは素直な感情だろうが、取り立てて立派だ、と褒めるようなことでもないように思える。だれかを育てる、ということにこそ、より大きな意味があるのでは、と考えれば。

 「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」は、ジョニーのような人生を歩む人間を生み出すに違いない。故人のケストナーにコメントを求めることは不可能だが、ミア・ファローに是非を尋ねたら、どうだろう。答えは明らかなような気がする。(「飛ぶ教室」の引用は、高橋健二訳「岩波書店・ケストナー少年文学全集」から)

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