レビュー

編集だよりー 2007年5月2日編集だより

2007.05.02

小岩井忠道

 1、2日の日経新聞夕刊文化面に演出家兼俳優、野田秀樹氏のインタビュー記事が載っている。

 「今の若い人の芝居を見ると、テレビのバラエティー番組と区別がつかないものが多い。歴史や人間があった上での『表層』だったのが、最近ではそこが切れてしまった。表層的というより、薄っぺらい。本質がなくなり、消費されているだけ」というくだりに、吸い寄せられた。

 野田氏のような人も、若い層への不満を言うのか、というちょっとした驚きとともに、観客を失いつつある芸術家の悲痛な気分、といったものが感じられたためだ。

 「表層」というのが、キーワードになっている。冒頭の言葉は「『表層的』と言われたほかならぬ僕から言われたくないでしょうが」という前段を受けているのだ。

 「野田氏の演劇が表層的だとは思えないが」。たった1度しか氏の舞台を見たことがないくせに、ずうずうしくも思い起こす。20年以上も前のことだ。「つくば科学博」(1985年)で、野田氏率いる劇団「夢の遊眠社」が特別公演を行った。科学博開幕直前だったと思うが、取材のため会場に常駐していたある日、同僚記者が「今夜、『夢の遊眠社』のリハーサルがある。コンパニオンたちが大騒ぎしていた」という。

 それまで全く知らなかったのだが、「それなら」とリハーサルをのぞいて、すぐに降参した。「これは、わが貧弱な鑑賞力を超える」と。ワーグナーの楽劇のパロディのようだったという以上の感想はない(「パロディ」という言い方が適当かどうかも自信がない)。ワルキューレのふん装をした女優たちが、舞台を走り回っていた。

 相当な教養と、柔軟な感受性を併せ持たない人間には、到底、野田氏の劇の面白さなど分かるはずもない。たちまちそう観念したというわけだ。

 野田氏の次の仕事は、6月上演の「THE BEE(蜂)」だそうだ。「妻と子を人質にとられた平凡なサラリーマンが残虐な加害者に変身する」筒井康隆原作の恐怖劇という。初演は、昨年夏、ロンドンで英語によって行われた。今回は、日本語版と英語版との連続上演で、それも連日の昼夜公演。「日本語版上演中に、来日した英国の俳優と稽古する。午前中に英語で稽古し、昼と夜は日本語で出演する日が10日ほどある」というなんともハードな公演だ。

 演劇界を取り巻く現状に危機感を持ちながら、観客にもあえてより深い鑑賞能力を求める。その姿勢に驚く。

 ロンドンの初演は高い評価を受けたそうだが、「表層的というより、薄っぺらい」芝居に慣れきった日本の観客が、果たして野田氏の挑戦を受け止めることができるだろうか。「攻撃は最大の防御」といわんばかりの。
(日経新聞の引用は東京版から)

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