レビュー

編集だよりー 2007年2月3日編集だより

2007.02.03

小岩井忠道

 双方向のコミュニケーションというのは、容易ではない。

 東京大学で行われたサステイナビリティ学連研究機構公開シンポジウム(ハイライト記事参照)を傍聴して、あらためて感じた。

 20世紀半ば以降に観測された地球温暖化は、人為起源の温室効果ガスの増加によってもたらされた可能性がかなり高い、という「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の新しい報告書が公表された直後である。テーマが「資源と環境が支える地球と人類の未来」とあっては、人々の関心を集めて当然だ。1,500人入るという安田講堂も満席だった。

 基調講演者が3人いた。前経団連会長でトヨタ自動車取締役相談役の奥田碩氏、元外務大臣・元環境大臣の参院議員、川口順子氏、米国イエール大学教授のゲリー・ブルーワー氏である。

 後半のパネル討論には、ブルーワー氏のほかにインド、欧州、日本から1人ずつパネリストが参加、それぞれ興味深い報告をした。

 これだけの顔ぶれを集めるのは、主催者側も大変だったろう。通信社に勤めていたときに何度も会議を主催したものだが、講演者を確保するのにいつも四苦八苦したことを思い出す。政治家、財界人も大変だったが、官僚もOKをもらうまでには手間を要したものだ。

 ということも承知の上で、あえて言うと、1,500人の参加者は、果たして主催者が思うほど満足しただろうかということである。

 基調講演者のうち、奥田、川口両氏は講演が終わるとすぐに退場し、残ったのは、コミュニケーションの重要性を力説したブルーワー教授だけだ。

 第3期科学技術基本計画をはじめとして、コミュニケーションの重要性、それも一方通行ではない専門家と国民の対話の重要性が最近、叫ばれている。

 しかし、現実には簡単な話ではない。最近のぞいたいくつかのシンポジウムでも、せっかく会場からの質問を求めたのに、肝心の質問に入るまでに自説を長々と述べたり、最初から質問をする気などなく、自説を述べるのが目的のような人をしばしば目にする。

 だから、討論や会場からの質問の時間を十分取っておいても、と主催者が考えてしまうのだろうか、とも想像する。

 しかしである。基調講演に対する質問の時間を取らない。講演や報告だけでなく、パネルディスカッションも、実際にはパネリスト同士が討論する場面はほとんどない。そんなシンポジウムをいつまでも続けていていいものだろうか。

ページトップへ