レビュー

編集だよりー 2006年12月25日編集だより

2006.12.25

小岩井忠道

 シンポジウムというのも、結婚披露宴と同じではないか。司会者によって、だいぶ出来栄えも、印象も異なる。

 社会技術研究開発センター主催の「『循環型社会』領域シンポジウム」を終日、傍聴して、あらためて感じた。

 大きな会議は、主催者側の報告に対し、何の異論も質問もなく終わるのをもって最善、と考える人もいるらしい。しかし、活発な質疑が交わされ、主催者側が思わぬ指摘を受けるくらいでないと、大勢の人間を集める意義は疑わしいのでは。

 しかし、実際には、なかなかそうはいかない、というのが実態だろう。

 一つのポイントは、特にテーマがはっきりしているシンポジウムでは、その分野を最もよく知る人、たとえばそのプロジェクトのリーダーが、自らパネルディスカッションや個別報告の司会をやることではないか。

 雇われママのような司会者では、パネリスト同士、あるいはパネリストと会場の参加者との緊張感に欠ける、あるいは何よりつまらない議論に終わってしまう可能性が高いから。

 きょうのシンポジウムは前者のケースだったので、傍聴者としても大いに満足したというわけだ。

 個々の報告に対して、質問の時間を十分取ると、質問が途切れる場面も出る。と、すかさずこのプログラムの研究総括者である山本良一・東京大学生産技術研究所教授が、会場の企業人などを、次々に指名して質問を促す。

 親しい人ばかりのようで、質問を躊躇(ちゅうちょ)するような人もいない。

 「みのもんたや堺正章が、健康や安全・安心にかかわることを言うと、皆はすぐに行動するんだが。環境、温暖化対策などをわれわれが言っても…」と発言したパネリストには「では、○○さんが、みのもんたや堺正章になるにはどうしたらよいか」と突っ込む、という具合に。

 科学技術の成果を広く一般国民に理解してもらうことが、科学技術基本計画でも大きな課題になっている。研究者から一般国民という一方通行の啓蒙活動で、十分な効果があるとは思えない。専門家同士が、緊張感を持って、かつ分かりやすい言葉で議論を交わす、それも大勢の前で。

 このくらいのことを意識してやらないと、理解してもらうことなど無理ではないか。

 となれば、議論をうまく展開させる司会役にも、適任者をあてないと駄目ということだと思う。

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