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東海地震はいつ来る?駿河湾地震説から30年

2006.08.04

 石橋克彦・東京大理学部助手(当時、現神戸大教授)が、1976年8月23日の地震予知連絡会で、駿河湾の奥まで震源域が入り込む巨大地震の可能性を指摘してから丸30年になる。

 翌年、法律を先取りする形で、地震予知連の中に「東海地域判定会」ができ、その翌年(1978年)暮れに「大規模地震対策特別措置法」が施行された。この法律は、観測態勢を整備すれば東海地震は予知可能、という前提に立っている。

「駿河湾地震」は、いろいろな事情から「東海地震」と名前を変えられたが、法律の前提となった地震の性格は、石橋説をほとんど受け入れている。学説が出てわずか2年数カ月後には法律施行。この異例の速さから見ても、当時、この説が社会に与えた衝撃の大きさがうかがえる。

 あれから30年、当然のことながら、駿河湾地震説は正しかったのだろうか、という問いかけが聞かれる。

 朝日新聞3日夕刊第2社会面の連載企画「巨大地震が来る−警告から30年」の初回は、石橋説の反響が大きかった理由として「直下型の巨大地震であるうえ、『20〜30年後かもしれないが、数年以内に起きても不思議ではない』と切迫性を強調したからだ」としている。

 東京新聞はホームページの天災・人災欄で石橋教授のインタビュー記事を掲載している(1日付、聞き手は東海本社報道部・中崎裕記者)。

 「もう30年たったのだから、当時『切迫している』としたのが結果的に間違いだったことは明らか。だが、30年たったのに起こっていないから今後も大丈夫ということは絶対にない。最近は、次の東南海・南海地震と連動するという考えもあるが、断定はできない」(石橋教授)

 すぐに起きてもおかしくないという当時の判断は結果的に間違っていたが、駿河湾で巨大地震が起きるという考え方は、修正する必要はない、ということである。

 これからも続くと思われる議論の論点の一つは、駿河湾を震源とする巨大地震が単独で起こり得るのか、あるいは過去、何度も起きている西隣の東南海地震、さらにはその西隣の南海地震とも連動する形でしか起きないか、ということのようだ。

 仮に前者であることがはっきりすれば、東海地震がこの30年起きていないのはたまたまにすぎず、それこそいつ起きてもおかしくないことになる。他方、後者なら、東南海地震、南海地震の対策と一緒に東海地震対策も検討される方が適切。東南海地震、南海地震が起きてからまだ62年、60年だから、過去の発生間隔から言えばまだ少々時間は、ということになりそうだが…。(朝日新聞の引用は東京版から)

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