レポート

「サイエンスデイ」で多彩な体験型企画に9,600人「心豊かな未来社会」目指し「対話フォーラム」<第3回>「大災害を経験し向き合い将来につなげる被災地の高校生たち」

2016.08.02

サイエンスポータル編集部 / 科学技術振興機構

 「知的好奇心がもたらす心豊かな社会の創造に向けて」をテーマに「サイエンスデイ」(主催・特定非営利活動法人natural science、科学技術振興機構など共催)が7月17日、仙台市内の東北大学川内北キャンパスで開かれ、多彩な110の体験型企画に9,600人以上が参加した。今年は10回目の記念大会で共催イベントとして「心豊かに生きたい∼災害とあなたの残したい未来社会」と題した「対話フォーラム」(主催・科学技術振興機構)も開催された。フォーラムには東北大学の防災科学研究の第一人者や東日本大震災後「傾聴移動喫茶」と名付けた活動を続けている僧侶、新しいライフスタイルを提唱している東北大学名誉教授らに宮城県多賀城高校の6人の生徒も参加し、大震災から5年が経過した今、未来に向けて何を目指すべきかについて熱心に語り合った。
(3回目は「対話フォーラム」での高校生の発言や「トークセッション」を中心にレポートする)

 東北大学災害科学国際研究所副所長の奥村誠(おくむら まこと)さん、曹洞宗通大寺住職の金田諦應(かねた たいおう)さん、東北大学名誉教授の石田秀輝(いしだ ひでき)さんの3人の講演が終わり、東日本大震災当時は小学生で被災した宮城県多賀城高校の6人の男女高校生も加わった「トークセッション~あなたの残したい未来社会」が行われた。 進行役はエフエム仙台の防災・減災プロデューサーの板橋恵子(いたばし けいこ)さん。板橋さんはラジオのパーソナリティとして大震災後に生きるヒントを発信し続けている。

 トークセッションに参加してくれたのは同校災害科学科1年の阿部大和(あべ やまと)さん、同科1年の薮内さくら(やぶうち さくら)さん、普通科2年の小松愛佳(こまつ まなか)さん、災害科学科1年の佐々木実夢(ささき みゆ)さん、同科1年の及川唯人(おいかわ ゆいと)さん、そして最上級の普通科3年の渥美大輔(あつみ だいすけ)さんの6人。多賀城高校には今年度から災害科学科が新設され、6人のうち1年生の 4人はそこで学んでいる。

写真1 真剣な表情で「トークセッション」に参加した宮城県多賀城高校の6人の生徒。右から1年の阿部大和さん、1年の薮内さくらさん、2年の小松愛佳さん、1年の佐々木実夢さん、1年の及川唯人さん、3年の渥美大輔さん
写真1 真剣な表情で「トークセッション」に参加した宮城県多賀城高校の6人の生徒。右から1年の阿部大和さん、1年の薮内さくらさん、2年の小松愛佳さん、1年の佐々木実夢さん、1年の及川唯人さん、3年の渥美大輔さん

 セッションの初めにまず全員が自己紹介した。阿部さんは「自分は将来地元の復興に携わることができる町役場や市役所で働こうと思って災害科学科を選んだ。そこでは学校外の講師の人の話をたくさん聞ける。災害対策の仕事も知った。将来は大学で地域計画の分野で住民参加型の町づくりや防災を研究したい」。薮内さんは「災害の勉強をしてまだ少ししか経っていないが将来につなげて行きたい。母は大震災の前から防災の仕事をしていた。大震災の前は分からなかったが大震災の時に活躍する姿を見て自分も防災のことを勉強しようと思った」。薮内さんのお母さんは耐震設計の仕事を続けているという。

 「大震災の時は11歳で小学5年生だった。大震災にショックは受けたが他校の生徒たちと交流しているうちに被災を受け入れられるようになった」と小松さん。佐々木さんは「あの時」は学校にいたという。「何とか母親に来てもらい家に帰った。家は目茶目茶になっていたがそれでも自分は無事だったと思った」。東日本大震災を経験し、これから起きる災害に向き合っていくために何が必要なのかを学ぼうと災害科学科に入ったという。及川さんは「小学4年の時に被災した。家の2、3メートル下まで津波が来た。そこに人や車が流されてきた」。及川さんは、流される人を父親が必死になって助けていたその後ろ姿を見て自分も人を助ける仕事をしたいと災害科学科を選んだ。最後に渥美さんは「小学6年の卒業式の練習中に被災した。水も電気もない生活だったが、近所の人たちが互いに助け合うという経験をした。災害のことを考えながら建築の勉強をしたい」。志望校は阿部さんと同じ大学だという。

写真2 熱のこもった「対話」が続いた「トークセッション」
写真2 熱のこもった「対話」が続いた「トークセッション」

 将来を見据えて力強く語ってくれた高校生の話を聞いて東北大学の奥村さんは「災害のことが全部分かる専門家はいない。災害といってもどんどん新しいことが起きる。次に起きる新しいことを考えて解決するためのチャレンジをすることが大切だ。ぜひ私たちの所(東北大学災害科学国際研究所)に来てほしい」と頼もしい後輩を激励した。

 石田さんは「子どもたちは何かを感じている。そのことを大人が引き上げてあげないといけない。企業もこんなテクノロジーを作った、と(提示していかなくてはならない)。ちょっとした不自由さを自分の知恵や知識や技で乗り越えると達成感や充実感が得られる。そんなことを積み上げることで自立型になっていく。こういうことは若い人は気付き始めている。大人はまだ気付いていない」と強調した。

 進行役の板橋さんが震災を乗り越えて行くお年寄りの話に触れると金田さんは「自分たちの親も貧困の中で生きてきた知恵を持っていた。1970年代から(報告書『成長の限界』を発表した)ローマクラブのように『豊かさとは何か』を問題提起した考え方があった。それがその後どこかに行ってしまった」と強調。奥村さんは「科学は進んできたがぶつ切りになって世の中を見ている。切ってしまった限界が出ている。進んだと思ってもそれは『小さなところのこと』と問い直さなければならない」と述べた。今後の科学の進むべき方向性について奥村さんは「ここでのテーマは自然と人間の関わりだが、近代的な技術は人間がやることと自然の世界を切り離してきた。人間だけの都合でやらないことだ」と指摘した。

 自然との関係に密接な防潮堤建設についてどう考えるか、を板橋さんが高校生にたずねた。及川さんは「海の近くに住む人は海と生きてきた」とただ高いだけの防潮堤建設に疑問を投げ掛け「高台移転も考えるべきではないか」と話した。阿部さんは、漁業に従事する人が漁に邪魔であっても潮流発電所に理解を示した例を紹介して「やはり地元の人たちの合意形成が大切だ」。薮内さんは防潮堤がなくても助かった例を紹介して「(避難の仕方で)昔からの知恵があったのでないか。必ずしも防潮堤を作らなくてもいいのではないか」。一方、佐々木さんは「人の命を考えるとやはり防潮堤は必要では」とそれぞれの考えを率直に語った。

 「自然とどう向き合っていくか」について現在拠点を置いている鹿児島県沖永良部島で毎年のように台風上陸を経験している石田さんは「(地元の人は)自然に生かされていることを知っているから自然を上手に使うことを知っている。自然をいなすことを実践している。自然にはかなわないことを知っている」。金田さんは「自然を畏敬するアニミズムの感覚も大切だと思う。自然の中にレジリエンス、自己再生能力がある。都会の人たちも、このままではだめだと思っているはずだ。若者の価値観の中にもそういう考え方がある」と述べた。

 板橋さんが震災の後に地元に戻る人が多くいることを指摘し「5年間自分から自力で変えていかないとだめだと思ってきた」と水を向けると石田さんは「小さい集団から動くこと、中小企業から動くことが大切でこれからそういう人たちとやっていきたい」。金田さんも「一人一人の意識を変えていかないといけない」。「『日本丸』がどこに行ったらいいかと皆が思っている今こそチャンスで若い人たちとやっている」と石田さんが力強く語ると「ローカルこそが日本の基盤を作っている」「どういう未来だったら良いかというイメージを自分たちが描くことが大事だ」と板橋さんが応じた。

 フォーラムも終盤になり板橋さんから高校生に一人ずつ発言を求められると阿部さんは「日本も地方ごとに独立したらいいのではないか」。薮内さん「震災を風化させてはいけない。(大昔の大震災の)絵が後世に(被害の実態を)伝えることを今日金田さんの話で知った」。小松さんが「将来学芸員になって大震災について少しでも詳しく伝えたいと思っていたが今日の話を聞いてそれだけではだめでやはり生活に根差して、生活に埋め込んでいかないとだめだと思った」と話すと会場の多くの参加者がうなずいていた。「災害を経験した私たちだからこそ後世に伝えていかなければならないと思った」(佐々木さん)。「多賀城市には『末の松山』というところ(標高約10メートルの小山)があり、昔から津波はそこを越えないと聞いていた。大震災の時も津波は越えなかった。過去から学ぶことがもっとあると思った」(及川さん)。「科学と自然と文化といういろいろな視点からアプローチすべきと思った。いろいろボランティアしているが人によって見方が違う。総合的に見ていかなくてはいけないと思った」(渥美さん)。大震災の悲しい現実を受け止めながらしっかり未来を見つめる高校生のコメントは会場の大人たちにしっかりと届いたようだ。

 最後に「未来社会に向けた明日への一歩は何か」を板橋さんから問われ、奥村さんは「小さい地域なら変えられる。一人一人が考えることが大切だ。災害を経験した人は人に優しくなれるし、いい社会をつくれる人になれるはずだ」。金田さんは「若い人には小さくまとまるなと言いたい。いっぱい悲しいことを経験した東北から変えるという気持ちを持ってほしい。どんなに科学が変化しても人の心は変わらない。それを受け止めるのが文化だ。それを大切にしてほしい。自分でそこに(現場に)行って感じてほしい」。石田さんは「(個人は)自然と共同体ともう一度一緒にできる。ローカルから、中小企業からぜひ新しい国づくりをやりましょう」とそれぞれが力強いメッセージを熱く語ってくれた。進行役の板橋さんは「どこでもいいけれど、ここに生まれてよかったと思える未来を次の世代にも、またその次の世代にも残していける暮らし方の第一歩を明日から踏み出して行きたい」と結んだ。

 この日の「対話フォーラム」は加藤麗子(かとう れいこ)さんと高良玉代(たから たまよ)さんの2人の「ギジログガールズ」が、3人の講演や多賀城高校の生徒が参加した「トークセッション」のポイントを発言者の似顔絵やイラストとともに大きな白紙に書き出した。「ギジログ」とは「議事録+ログ(LOG)」を表す造語で、パズルゲーム「ぷよぷよ」の生みの親であるゲームクリエイターの米光一成さんが考案。会議のムードや雰囲気も記録され、後から見直しても楽しい、新しい形の議事録と言える。

 写真3 2人の「ギジログガールズ」が書いた「対話フォーラム」の9枚の「ギジログ」

奥村さん講演
奥村さん講演
金田さん講演1
金田さん講演1
金田さん講演2
金田さん講演2
石田さん講演1
石田さん講演1
石田さん講演2
石田さん講演2
トークセッション1
トークセッション1
トークセッション2
トークセッション2
トークセッション3
トークセッション3
トークセッション4
トークセッション4

(サイエンスポータル編集部)

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