「知的好奇心がもたらす心豊かな社会の創造に向けて」をテーマに「サイエンスデイ」(主催・特定非営利活動法人natural science、科学技術振興機構など共催)が17日、仙台市内の東北大学川内北キャンパスで開かれ、多彩な110の体験型企画に9,600人以上が参加した。今年は10回目の記念大会で共催イベントとして「心豊かに生きたい∼災害とあなたの残したい未来社会」と題した「対話フォーラム」(主催・科学技術振興機構)も開催された。フォーラムには東北大学の防災科学研究の第一人者や東日本大震災後「傾聴移動喫茶」と名付けた活動を続けている僧侶、新しいライフスタイルを提唱している東北大学名誉教授らに宮城県立多賀城高校の6人の生徒も参加し、大震災から5年が経過した今、未来に向けて何を目指すべきかについて熱心に語り合った。
サイエンスデイの正式名称は『学都「仙台・宮城」サイエンスデイ』。「ブラックボックス化した現代社会で実感する機会の少ない科学や技術のプロセスを子どもから大人まで五感で感じられる場づくり」を目指して2007年から毎年開催している体験型の科学イベントだ。後援には文部科学省、宮城県、仙台市や多くの公的機関などが名を連ねている。10周年を迎えた今年は、130以上の大学や研究機関、企業などが協力して実施された。
17日は小雨降る午前9時から午後4時まで東北大学の川内北キャンパスの3講義棟で合計110の体験型展示企画や講座企画が実施され、主催者によると、親子連れや市民ら9,612人が会場内で主催者が目指す「体験する科学」を楽しんだ。
体験型企画としては、「アザラシ型ロボットとあそぼう」(産業技術総合研究所東北センター)や「空気のない世界を体験してみよう」(東北大学多元物資科学研究所)、「今日からキミも、資源博士!?」(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)、「天気や地震・火山、海の話を聞いてみよう!」(仙台管区気象台、日本気象協会)など、子どもも大人も科学を身近に感じられる企画がほとんど。紙飛行機や紙ブーメランといった手や体を動かして遊びながら「科学を実感する」企画や、自然や環境、エネルギーといった「未来社会」にとって重要な分野を親子で考えてもらおうとした企画も人気だった。商品開発に至った経緯をやさしく説明する企業の企画も目立った。
また、「世界で一つ、イチゴの品種づくりに挑戦しよう」(宮城県農業・園芸総合研究所)や「光通信のヒミツをさぐろう」(NTT東日本)などの講座型の企画にも列ができていた。いずれの企画でも参加する来場者に担当者は「分かりやすく」を心掛けて熱心に説明していた。アザラシ型ロボットに触れる企画の会場で母親と来ていた地元の小学校5年生の男児は「3年前から来ている。学校でもやってくれない科学体験ができて楽しい」などと話していた。
科学技術振興機構(JST)の科学コミュニケーションセンターは「東北の未来図〜私たちの過去・現在・未来をえがいてみよう!」と題した「休憩スペース」を提供。「東日本大震災が起こった5年前、今まで5年、今からの未来のこと」を子どもにも大人にも自由に文字や絵を書いてもらいパネルに張り付けてもらった。
午前中の雨も上がった午後1時から東北大学川内キャンパス内「萩ホール」で「対話フォーラム〜心豊かに生きたい-災害とあなたの残したい未来社会」が開催された。
フォーラムは最初に、大震災をそれぞれの立場で受け止め、考え続けてきた3人が講演した。最初に登壇した東北大学災害科学国際研究所副所長の奥村誠(おくむら まこと)さんは「『実践的防災学』の創成と国際連携の現状」と題して講演。大震災の翌年に災害科学国際研究所ができたことを紹介し「大震災のように滅多に起きないが起きたら影響が大きい災害を『低頻度巨大災害』と名付けて私たちがどう立ち向かっていったらいいのかを研究している」と会場の高校生ら若い人に語りかけた。「滅多に起きない」災害の研究のためには研究の対象を100年、150年前よりもっとずっと過去にさかのぼることと、また対象を日本だけでなく広く世界に広げる必要がある、と解説。「災害になるかどうかは自然だけでなく、人間側の関わりや対応で決まる。避難計画や防災計画、想定外の対応などの『備え』を地域に即して考えることが大事だ。それが我々が目指す『実践的防災』だ」と説明した。
次に登壇したのは曹洞宗通大寺住職の金田諦應(かねた たいおう)さん。演題は「立ちなおっていくチカラ 」。金田さんは、大震災直後から犠牲者を弔う傍ら、被災者と向き合い傾聴するために軽トラックで移動する“喫茶店”「カフェ・デ・モンク」を主宰する活動を続けてきた。
金田さんは、大震災により家族や家を失った被災者の心情について「心が動いていなかった」「時間や空間が凍り付いていた」などと話し、「(被災者が悲しむ)がれきの中に場を作って未来に向かって物語が立ち上がっていくことから始めた」と「カフェ・デ・モンク」の活動のきっかけを会場に説明した。活動は40カ所以上、200回を超えたという。会場のスクリーンに被災直後の写真を映しながら、深い悲しみから15分も何も話せずに黙ったままのお年寄りや亡くした子どもの代わりの小さなお地蔵さんを抱える母親ら多くの被災者らとずっと向き合ってきた経験を語った。5年以上の活動を振り返り「いろいろな人と出会ってきた。地域や歴史や風土、祭りといったものの大切さ、人と人がつながる大切さをあらためて感じた。これを次の世代に伝えるのが私の役目だ」と講演を終えると、涙ぐみながら講演を聞いていた人も少なくなかった会場から大きな拍手がわいた。
最後の講演者は、東北大学名誉教授で現在合同会社「地球村研究室」代表の石田秀輝(いしだ ひでき)さん。「心豊かな暮らしのかたち」と題して未来社会の在り方を熱く語った。石田さんは、快適さや利便さを追求する「依存型」から「個人」を取り戻す「自立型」のライフスタイルへ移行することを提唱している。
石田さんは現在鹿児島県の沖永良部島に拠点を移して新しい物づくりや暮らしの形を提案、実践している。この日の講演でも、今なぜ、このライフスタイルの移行が必要なのかを説明しながら「多くの人が物質的な豊かさだけではだめだと思い始めている。新しい(社会構造の)形の予兆は見え始めている」「新しいテクノロジーが求められている」と指摘し、「心豊かな暮らし」のために自然の力を生かした「ネイチャーテクノロジー」の考え方を紹介した。そして「ローカルが主役になる時代がそこに来ている」「今は島にいるが、孫が大人になった時でも光り輝く島にしたい。それを広げて美しい国にしたい」と結んだ。
講演に続き、小学生の時に被災し、現在は宮城県立多賀城高校の災害科学科(今年4月新設)で学ぶ6人の男女高校生も加わった「トークセッション〜あなたの残したい未来社会」が始まった。 進行役はエフエム仙台の防災・減災プロデューサーの板橋恵子(いたばし けいこ)さんが務めた。板橋さんはラジオのパーソナリティとして大震災後に生きるヒントを発信し続けている。
板橋さんの巧みな進行により、壇上で緊張気味だった多賀城高校の男女3人ずつ計6人の高校生は次第にリラックスした表情になった。それぞれが大震災の日を振り返り、被災しながらも無事だった家族に支えられながらさまざまなことを思い、自分たちの未来について考えてきたことを紹介した。3人の講演者とのトークセッションの中で「住民参加型の町づくりや防災のことを研究したい」「あの日に必死に人を助けている父親の姿を見て自分も何か人を助ける仕事がしたいと」などと力強い未来を語った。
大震災の悲惨な現実を共有しながら、これからも「大震災後の未来」に関わる覚悟を持つ大人としっかりと未来を見つめる高校生との「対話」は互いに勇気と元気を与えたようだ。
(サイエンスポータル編集部)