何か緊急事態が起こった時の対応について、わが国では「危機管理」という言葉で表現されることが多い。ところが、危機管理という言葉はもともとクライシスマネジメント(Crisis Management)の翻訳であるが、リスクの取り扱い、すなわちリスクマネジメント(Risk Management)の意味で使われることも非常に多い。そこで、混乱を避けるという意味でカタカナ語をそのまま使い、論を進めたい。なお、緊急事態対応についてはエマージェンシーマネジメント(Emergency Management)が使われることも多いが、軍や警察、消防など実行部隊の直接的活動に焦点を当てた場合が多いように見える。エマージェンシーマネジメントでは、被害軽減、準備、対応、復旧の4段階があるとされており、その4段階で一つのまとまった体系を構成するものとして論じられることが多い。結果として、リスクマネジメントに分類される内容をかなり含んでいる。
クライシスマネジメントの位置づけ
わが国では、リスクマネジメントとクライシスマネジメントに対する理解には、(1)リスクマネジメントの中にクライシスマネジメントを含める考え方、(2)危機発生後はクライシスマネジメント、それ以前はリスクマネジメントと分ける考え方などいまだ定まらないところがある。そもそもリスクマネジメントとクライシスマネジメントは欧米において別々に発生した考え方であり、西欧社会においても必ずしも厳密に区別されているわけではない。しかし、それらが実体として併存しており、ときには重なる部分があるとしても大きな矛盾として考えられてはいないようである。文献的にはその区別を明確に示してくれるものは、筆者は知らないが、それは以下のような理解があるからではないかと思われる。
「リスクマネジメントは、平素から定常的に行われるものであり、クライシスマネジメントは、危機が起こったとき、リスクマネジメントに上乗せして行われるものである」
リスクマネジメントがしっかりと行われているという前提がある場合は、クライシスマネジメントでは、危機への対応(そのための準備を含む)、危機の拡大の防止、危機終了後のできるだけ速やかな回復などに主たる焦点を当てて論じられることが多い。
クライシスマネジメントを、外部からの攻撃、事故や災害など外的要因に基づく危機への対応として理解する人たちもいるが、現代社会ではそれに限定せず、研究や開発の失敗、内部不祥事件、投資や営業活動の不成功など内的要因に起因する危機対応を含めて考えるのが通常である。また、マネジメントであるから危機の状況における組織運営に主たる焦点があり、組織の枠組みの設定、指令指導層のあり方、構成員への指導、指示、誘導などが論じられる。
クライシスマネジメントの結果は多くの利害関係者に影響を与える。また、人が人またはその組織に対して行う行為が主である。そのため、非常に人間くさい性格を持ち、人間心理や組織心理の影響が強く、論理的な議論だけで済まない。
また、危機事象に対する直接的対策の方法論の問題は、クライシスマネジメントにおいておろそかにできない問題ではあるが、ケースバイケースの性格が強く、過去の例などは参考になっても、一つのモデルやパターンで考えることはできない。対応行動を行う当事者は、自分自身で考え、判断して最適と思う方法を取らなければならない。
クライシスマネジメントの基本的考え方
クライシス(危機状況)は、ある程度あらかじめ予測ができたとしても、その発生のタイミングや具体的な内容については、分からないところがあるのが通常である。また、その進展についても、あらかじめ分かること、あるいは想定した通りに行くことはほとんどない。従って、多くの「想定外」の事象があるのは当然のことと思わなければならない。
しかも、対応は一刻を争うことが多いばかりでなく、十分な情報を得て判断し行動をとることができる僥倖(ぎょうこう)に恵まれることはほとんどない。すなわち、危機に遭遇した場合、その当事者は、その場の限られた情報を基にいろいろな経験、受けた訓練の結果、知っている知識などを活用して直観的、本能的判断によって最適と思う行動をとることになることが極めて多い。また、時と場合によっては、パニック症状を起こしたり、ミスをしたり、対応を忌避したりすることもあり得るであろう。心理バイアスによって不適切な行動をとることもあり得る。
一方、コンピューターによる対応は、あらかじめ想定されたシナリオの範囲内では、正確、迅速に取れるとしても、不確実かつ想定外の事態については、ほとんどの場合、対応不能、あるいは無意味な対応となる可能性が高い。また、想定外の状況の下においては、不適切さや誤りについての認識能力、推測能力、そしてそれを認識したときの修正能力に乏しく、柔軟性に欠ける。そのため、危機対応においては、場合によってはミスなどがあり得るとしても、十分な知識と経験を積み、直観力や判断力に富んだ優れた人間の方がずっと勝っていると考えられる。
ただし、人間のそのような能力は、人による差異が大きいから、それを十分考慮した人事が行われる必要がある。特に、組織のトップに立ち緊急事態の指揮命令を行う者には、そのような危機対応能力は欠かせない。
危機に備えて、緊急時対応方針の事前決定、初動体制の構築、危機の際の組織構造の事前設定、その際の行動マニュアル等の設定と周知、各種の対応のための資機材の準備、関係方面とのあらかじめの打ち合わせや予約、そして、人の訓練などが行われる。しかし、どのような準備も、危機の内容を想定して行わざるを得ないから、実際の危機に当たっては、当初はそれでスタートしたとしても状況に合わせて柔軟に変えていく必要がある。しかも、その変更はタイミング良く、素早く行われる必要があり、かつ限られた情報による直観的なものとなることも少なくないから、トップダウンにならざるを得ない。その意味でも、危機対応はトップの能力に大きく依存していると言える。
実際、英国の金融監督当局は2012年11月と2014年12月に、Dear Chairman Exercise
と呼ばれる金融機関のトップの緊急事態における対応能力についての演習を行い、その能力のチェックを行っている。金融、原子力事業など危機が生じた場合の社会的損害が大きく、その対応能力の優劣の影響力が非常に大きいものは、トップの緊急時対応能力が社会的に十分監視される必要があるであろう。株主等の出資者や評議員等の一般的有識者だけに委ねておくものでないかもしれない。
トップと現場の直結構造が重要
実際の危機において直接に対応をするのは、それに直面している当事者たち、すなわち現場である。しかも、限られた時間の中でその当事者たちが判断し、対応しなければならないことがほとんどである。クライシスマネジメントにおいてはトップダウンが必要との考え方が根強く存在している。実際そのようなことは少なくないのであるが、その結果として、クライシスマネジメントにおいては中央集権的なやり方が必要だと思っている人が非常に多い。しかしながら、危機になった時の判断のほとんどが現場の最前線でのものであり、その判断に基づいて最前線の当事者たちが行動するので、むしろ非常に分権的な面があることに留意が必要である。
すなわち、危機の際には分権的であって、かつ、必要な場合はトップダウンが必要という状況になる。これは、通常業務における場合と非常に異なる。また、通常時には存在する組織の途中階層(中間管理職)の役割が非常に少ないということであり、トップと現場は直結した構造が求められる。そのため、少数のスタッフの支援を得ることがあるとしても、トップはトップダウンで行うべき内容について十分な理解と判断力、そして果たすべき役割についての自覚と覚悟が必要である。
宮林正恭(みやばやし まさやす)氏プロフィール
富山県立高岡高校卒。1967年東京大学工学部卒。科学技術庁原子力安全局長、同科学技術政策研究所長、科学技術振興局長、理化学研究所理事、千葉科学大学教授・副学長兼危機管理学部長、などを経て2014年から現職。工学博士。通商産業省時代に三井グループのイラン石油化学プロジェクト失敗の後始末を担当、在米日本大使館一等書記官時代にスリーマイルアイランド原子力発電所事故に遭遇するなど早くから危機管理に関わる。リスクマネジメントと危機管理(クライシスマネジメント)を統合して一体的に取り扱う「リスク危機管理」を提唱。その基礎を「リスク危機管理論」としてまとめる。(その後、「管理」が統制管理として理解される弊害があることから、「リスク危機マネジメント」として再提唱)現在は、組織のリスク危機管理、人間行動とリスク危機管理、日本の抱えるリスクとその取り扱いの在り方などに焦点を当てて活動中。危機管理システム研究学会会長。著書に「リスク危機管理 - その体系的マネジメントの考え方」(丸善)、「リスク危機マネジメントのすすめ」(丸善)など。