インタビュー

原発安全確保に欠けているもの 第2回 「『リスクとは何か』の理解不可欠」(宮野 廣 氏 / 原子力発電所過酷事故防止検討会主査、法政大学大学院客員教授)

2015.06.05

宮野 廣 氏 / 原子力発電所過酷事故防止検討会主査、法政大学大学院客員教授

 原発再稼動を阻止しようとする仮処分申請に対し、別々の裁判所が正反対の決定を出すなど、原発の安全論議が再び高まる兆しが見られる。福島第一原子力発電所事故から丸4年目の3月11日、リスクをどう捉え、どう対応するかを正しく理解しないと、原発の安全は維持できないとする提言がなされた。「リスク概念を導入した原子力発電の安全性向上を目指して」と題する文書だ。総合科学技術会議(現 総合科学技術・イノベーション会議)の有識者筆頭議員を務めた経験も持つ阿部博之(あべ ひろゆき)元東北大学総長の呼びかけで発足した「原子力発電所過酷事故防止検討会」がまとめた。

宮野 廣 氏
宮野 廣 氏

 この会は、2013年1月と4月にも検討結果を公表し、この時に出された提言の考え方は、福島第一原発事故後に発足した原子力規制委員会が新しくつくった規制基準に一部取り入れられている。今回はその後の議論を簡潔にまとめたものだが、根底に新規制基準と現在の安全規制体制によっても安全確保は十分と言えない、という懸念がある。新聞、放送が取り上げなかった今回の新たな提言のポイントを、検討委員会の主査を務める宮野廣(みやの ひろし)法政大学大学院客員教授に聞いた。

―原子力規制委員会のあり方に大きな問題があるというご指摘ですが、さらに詳しく問題点をお話し願います。

 新しい規制基準に盛り込まれた新たな対策の一つに「可搬型の機器を備える」ということがあります。米国では既に行われていることです。これでもって、福島原発事故で起きた全電源消失といった場合にも対応できるとされています。しかし、可搬型機器を実際に使用する場合の細かい検討がされているか疑問です。

 例えば、こうした機器類は設置してもずっと使わない状態となる可能性が高いわけです。どのくらいたつとさびついて使用不能になるのか、何年たったら交換するのか、など検討しなければならない課題はたくさんあります。ずっと使われないままの機器に対し、きちんとメンテナンス(保守点検作業)をして、いつでも使えるようにしておくのは大変なことです。そこまで十分考えて設置したのか、常に見ていかないと置きっ放しになってしまいます。

 可搬型の機器は発電所ごとにどれだけ必要なのか、もしそれが全て使用不能という事態になったらどうするのか、といったことも決めておく必要があります。米国の場合は、所内に備えておくが、必ずバックアップ(予備)は別の場所に保管し、例えばヘリコプターで運んでくる仕組みになっています。そういったことも考え、常に見直しをし続ける仕組みをどうするかは、やはり原子力規制委員会が責任をもって検討し、電力会社にやらせる以外にありません。事故時の対応、つまりアクシデントマネジメントの分野まで原子力規制委員会は考えておかなければならないのです。事故時にどう対応するかは事業者だけに任せるのではなく、規制する自分たちの責任としても考えないといけないのです。

原子力発電所過酷事故防止検討会 提言項目
  1. 原子力発電所、原子力施設の脅威を常に抽出し対応策を検討すること
  2. 定められた対応策が十分であるか、常に検討する仕組みを整備すること
  3. 実施された安全策の実効性を確認するため、起こり得ない事故リスクを評価し、原子力事故に対する安全がどの程度確保されるのか定量的に示す仕組みを作ること
  4. 広く、学術界、事業者、製造者との意見交換を行う仕組みを構築すること
  5. 実施した安全策やその考え方を広く、世界に普及する活動に取り組むこと

 提言の3番目に挙げた「実施された安全策の実効性を確認するため、起こり得ない事故リスクを評価し、原子力事故に対する安全がどの程度確保されるのか定量的に示す仕組みを作ること」は、非常に難しいことです。設備、機器が決められた通りに機能しているかどうかを調べるには、実際に動かしてみれば分かります。しかしアクシデントマネジメントというのは、起きた時にどうするかという仮想空間の話です。今その仕組みができているとは思えません。

―起こりえない事故まで想定したリスクマネジメントは、これまで行われていなかったし、現状でも大いに心配だ、ということでしょうか。

 リスク評価をまずしてから対策を考えてほしい、といろいろな場でお願いしているのですが、なかなか理解してもらえません。法律に詳しい人は、行政手続きの中にリスクマネジメントという考え方を取り入れるのは扱いにくいと言います。どのくらいの確率で起きるといわれても対応が一義的に決められないからだ、と言います。これくらいならいいだろうという判断をするのが、法律上、難しいというわけです。

 原発の場合、「これだけの加速度が観測される地震でも大丈夫」とは言えても、ではそれ以上の規模、例えば10万年に1回来るかもしれない地震の対策にどれだけの資金を投入するかは大問題です。リスクというのは、発生の可能性と被害の大きさを掛け算したものです。起きる可能性が小さくても被害はとてつもなく大きいというものと、逆に被害はそれほどでもないけれど起きる可能性は相当高いものが、リスクの大きさとしてはほとんど同じ、ということにもなります。

 結局、どちらの方に手を打つかは、選択の問題ということになります。どちらの答えが正しい、とは言えません。昨年1年間、文部科学省の研究開発事業「原子力基礎基盤戦略研究イニシアティブ」でも、こうした議論に加わりました。「原子力施設の地震・津波リスクおよび放射線の健康リスクに関する専門家と市民のための熟議の社会実験研究」というものです。科学で判断できないことが世の中に多くなっていることにどう対応するかが、論点の一つでした。

 科学技術ではほとんど答えを出せないことが増えています。自分たちがどれだけリスクをとるか。社会的なリスクとして捉える場合、どれくらいなら我慢できるか。このような社会的に決めないといけないことが多くなっている、ということです。例えば、3月にフランス・ニース近郊で墜落したドイツの航空機の事故は、科学技術での安全確保策だけでは済まない問題を提起しています。これまで手を打てなかった人間の心に関わることにどう対応するかも、これからの大きな問題となってくるでしょう。

―原発の安全論議では、事故の起きる確率は10の何乗分の1だなどという言葉がよく出てきます。こうした話になると、とたんに大半の人は理解困難に陥るというのが実態ではないでしょうか。常にどこかと戦火を交えることを考えていると思われる米国防総省の人たちなどは、おそらく別でしょうが。

 おっしゃる通り、米国防総省の人たちは戦争リスク論という考え方が身についています。多くの日本人は、水にも電気にも困らず、長年平和が維持されてきたことから、リスクというものをほとんど考えないようになっています。あるいは、リスクという言葉を間違って使っています。ベネフィット(利益)を考えて、リスクはとるものですから、脅威とは違います。例えば海に近いところに住むか、山の近くに住むかを選択する時に、津波のリスクや火山噴火のリスクが大きいか小さいか、どちらが住みよいか、好みに合うかなどを判断して決めるでしょう。ベネフィットとリスクが対になっているということです。どこかに行く場合、遅れずに行くことと、それに伴うリスクを考えて、交通手段を選ぶのも同様です。

 日常的にだれもが黙って行っていることなのですが、大きなリスク、自分には直接関係なさそうなリスクとなると、多くの人はきちんと考えていないということです。こうした問題について国民の合意を得ていくのは、政府が音頭を取ってやらないとできません。

(小岩井忠道)

(続く)

宮野 廣 氏
宮野 廣 氏

宮野 廣(みやの ひろし) 氏のプロフィール
金沢市生まれ、金沢大学附属高校卒。1971年慶應義塾大学工学部卒、東芝に入社。原子力事業部 原子炉システム設計部長、原子力技師長、東芝エンジニアリング取締役、同首席技監などを経て、2010年法政大学大学院客員教授。日本原子力学会標準委員会 前委員長、日本原子力学会廃炉検討委員会委員長。

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