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3・11以後の科学に思う(坂東昌子 氏 / NPO法人「知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん」 理事長、愛知大学 名誉教授)

2013.03.14

坂東昌子 氏 / NPO法人「知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん」 理事長、愛知大学 名誉教授

NPO法人「知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん」 理事長、愛知大学 名誉教授 坂東昌子 氏
坂東昌子 氏

 3・11以後、NPO「あいんしゅたいん」の理事である宇野賀津子さんと私は、「低線量放射線検討会」を立ち上げた。毎週1回、名誉教授から学生市民まで協力して、文献を元までたどって調べ、データを検討し、全体を把握するとともに、細かい議論も夢中でやりあった。宇野さんは生物、私は物理、今まで長い付き合いではあっても、ここまで専門に深く立ち入って議論をしたのは初めてだった。そこから生まれたものはたくさんある。京都大学学生たちの手で、放射線にまつわる「1家に1枚単位表」の完成、基礎物理学研究所で行った分野を横断した研究会、市民と議論するシンポジウム、議論するたびに仲間が増えた。この輪の中に新しく、京都在住の県外避難者が加わった。内部被ばくの心配をされ「ホールボディカウンター(WBC)での測定ができないか」とわがNPOを訪問されたのがきっかけである。NPOとして依頼書を提出して、京都大学原子炉実験所と関西電力美浜原子力発電所でWBC検査を実施できた。

 ここから始まった避難者との交流、避難者・市民・科学者が協力して、福島原発事故後の放射線被ばくの現状やWBCに関する勉強会は、感激的であった。放射線のこと、放射能物質の性質、WBCでは何が測れるか、そして、出てきたγ(ガンマ)線のスペクトルの読み方まで、本当の勉強とはこういうことかと目を見張った。勉強会発足当時、「読めば読むほど、頭が痛くなる。どんどんあれもこれも、広がって手が付けらなくなるほど、頭の中が散かるばかり!! とりあえずいったん寝ます」とメールが来た。翌日徹夜して勉強した成果を発表されたころから、いつの間にかみるみる吸収していくみなさんを目の当たりにすると、生きた勉強とはこういうものかと思う。

 「誤差って機械と測り方で違ってくるのですよね」

 「γ線のエネルギースペクトルで、セシウムに相当するところは、そこから直接出たエネルギーのピークだけでなく他も対応してるってどういうこと?」

 「ストロンチウムはγ線を出さないからWBCでみつからない。どうすれば分かるの?」

 次々と専門的な質問に変わっていく、ここには、まさに「正しく知ることはよりよく生きることだ」という言葉が生きている。法則を知らないことは、怖いという気持ちだけが先行し、正しい処理ができない。自ら勉強したことで、避難者も市民も科学者自身も視野が広がった、そして自ら知るだけでなく、周りにその知恵を広めるのである。こうして、今私たちは、勉強の成果を情報発信するところまできた。それがパンフレットの作成だった。自分たちのデータを取ることによって、時間的変化と検査結果の情報共有によって見えてくる規則性、それが、過去、現在を通して、未来へとつなぐ鍵になる。避難者の方々は、「2012年は、私にとって、生涯のうちで、最も真剣に勉強した年でした」といわれた。福島の方々や、福島以外の方々の測定値を比較検討することによって、現状を確認したい、と願っている。その勢いは科学者の域を超えて広がるのだ。

 「わーい、完成!」。パンフレット「ホールボディカウンターとは?」が入稿までこぎつけた。ここ2週間ばかり、連日夜遅くまで、市民である艸場(くさば)よしみさん、土田理恵子さんと一緒に作業を続けてきた。このパンフレットは、放射線をどのように測り、そしてどのようにそこから知恵を引き出すか、情報を共有することが、私たちの科学的な認識をいかに豊かにするか、そしてそれが生きていく上の知恵となって生きてくるのか、その道筋を、避難者のみなさんだけでなく、これから生活するみなさんに伝えるための手引きとなるようにと願って、心を込めて作ったのだ。

 原稿は丁寧に避難者の方々が読んで、「ここは分かりにくい」「これはどういう意味?」とコメントをくださり、ときには、「ばらつきを少なくするには、たくさんのデータをとって、平均化すればいいのでしょう?」と言われたりして、はっとさせられることもある。すごいなあ、と思う。それをしっかり受け止めて、わがNPOで3・11以後始めた放射線検討会に、市民として熱心に議論に参加されたお二人、艸場さんと土田さんは、粘り強くほんとによく頑張ったなあ、と思う。私にとっても、市民とひざを突き合わせ、真剣に言い合いをし、何度も遂行して、解説書を仕上げるなどという経験は、人生で初めてだった。

 これに刺激されたのは、市民や避難者だけではない。私たち科学者も次々疑問を膨らましていく。分野を横断した議論の中で。新しい知識を身につけていく。生物学の論文は、学術用語の長々しい単語が多く、整備されてない。昔、おびただしい数の素粒子が続々発見された1960年頃、素粒子の一覧表を見て、ラビという素粒子屋さんは、「誰がこんなにたくさんの粒子を注文したのか」と言い、「僕は植物学や博物学をやりに素粒子論を選んだんじゃないよ」とため息をついた物理学者がいたくらいだった。しかし、その後、素粒子は次第に統一的ピクチャーができ、たった数個のクォークの組み合わせさえ分かれば素粒子の名前を覚える必要はなくなった。複雑そうにみえた構造が解き明かされたのである。しかし、生物学は、まだそこからは程遠い。たくさんの実験はあっても、そこに起こる刺激応答反応の質的分類と量的表現が十分にできていない。

 私は幸いにも、素粒子専門の仲間の中でもまれた。その後私立大学で文系の学生と付き合って、本当に分かるということは「易しく話せる」ということだと学んだ。さらに、女性だったため(?)雑多な課題の解決を迫られ、生活の知恵を養った。加えて、愛知大学時代に、交通流理論分野に、仲間と一緒に飛び込み、素粒子的手法をもっと多様な現象に適用する経験をした。それらが全部有機的に働いて、今回も新しい分野に挑戦することに抵抗はそれほどなかった。

 交通流理論から、気候変動、細胞の進化、経済現象へ、次々と新しい分野に挑戦する経験を重ねていくと、新分野への冒険に挑むバリアがどんどん低くなっていったのだ。それでも、なんといっても新分野に入り込むには、これまでのその分野の仕事を精査し、しっかり検討を重ねることにエネルギーがいる。しかし、蓄積が増えてくると、前線が見え始め何をしたらいいのか分かってくる。論文を書くことで、その勉強は具体的になり、気迫が違ってくる。

 しかし、今回の新分野への挑戦は、今までとちょっと違う。それは、福島原発事故以後の科学のあり方と結びついているのだ。福島事故で最も重要なことは、科学の信頼を取り戻すことだ。それは、これからの人類の50年の未来に影響を与える重要なことなのだ。科学者の信頼を取り戻すということは、日本だけの問題ではない。そのために、真剣に勉強した成果なのである。こうして、放射線の生体影響の数理モデルをつくり、真鍋勇一郎さんや市川さんという(私から見れば)若い物理屋さんと論文を書き、ジャーナルに掲載されるところまでこぎつけた。今は、オークリッジ研究所でラッセルたちが遂行したメガマウスプロジェクトのねずみを使った実験と照らし合わせて、そのメカニズムを分析する論文を書くところまで来た。眞鍋さんは、原子核理論専門から研究領域を原子力、放射線生物学に広げて、いつの間にか、結構な専門家に成長した。

 パンフレット作りも、「ここは、計算は面倒だから、グラフ書いても意味ないし、最後の答えの数値だけでいいかな」と妥協した言い方をすると、土田さんに「『あいんしゅたいん』は、答えだけでなく、どうしてそうなるかまで踏み込むところと違うんですか」と涙ながらに訴えられ、思い直してまた書き直したが、おかげで、そこいらに見られる解説書には、欠陥があることも見えてきた。この土田さんの訴えは、科学を営む姿勢そのもののあり方を教えてくれた。

 「今までは、避難者のためとか福島の人のための放射線勉強と思ってました。でも、福島原発にかかわりない人にも必要な知識です。小、中学校の理科教科書や社会の教科書、保健体育の教科書で取り上げて、これからの、放射線は未知の物ではなく、身近な物である事を知るのが、大切な事ですね! 『あいんしゅたいん』で学んでの私なりの感想です! 未来を背負う子供たちに、受け継ぐ事が大事ですね!」

 こんな感想を届けてくれた避難者の1人は、科学普及の真髄をしっかり心得ていることを確信させてくれた。大学で長い間教鞭(べん)をとってきたが、これほど、「知ること」の意味を考えさせられたことはない。私は、この視点を抜きに、21世紀の科学を語ることはできないと思っている。そして、その先には、市民とともに成長する21世紀型の科学のあり方を垣間見たような気がする。

 2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故、あれから、科学者と社会の関係は激変した。京都大学原子炉実験所が主催して開かれた国際シンポジウム「東京電力福島第一原子力発電所事故における環境モニタリングと線量評価」で活発な議論をされていた、放射線の影響に関する国連科学委員会(United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation: UNSCEAR)のウォルフガング・ワイス委員長の議論に感銘を受けたので、会議のあとわざわざ話す機会を捉えて議論した。その時「福島事故の最も深刻な事態は、実は放射能汚染ではなく、科学の権威が失墜したということです。これはこれから50年、100年の人類の歴史に傷跡を残すのです。私は科学の真実を伝えることこそ、今必要なことだと思っています」と熱を込めて言われた。

 サイエンスポータルに寄稿してから、かれこれ5年になる。当時、私は、「21世紀は求心型社会から遠心型社会への脱皮の時代である。科学技術専門家からの情報発信、専門家から非専門家への知識の普及という命令型から、市民参加型への転換が必要とされている。市民を主体とするNPOやNGOが力を蓄え、市民の力を基礎にした膨大な情報が、逆に科学技術の理論構成の中に有機的に組み込まれ、科学技術の発展や変革を促すための取り組みを強化することが求められている」と自分の思いを書いた(2008年9月12日「求心型から遠心型社会へ」参照)。

 ちょうど、震災から2年、つらい厳しい経験を通して、その具体的な形が見えてきたような気がする今日このごろである。

放射線に関する勉強会
放射線に関する勉強会
(提供:坂東昌子氏)
NPO法人「知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん」 理事長、愛知大学 名誉教授 坂東昌子 氏
坂東昌子 氏
(ばんどう まさこ)

坂東昌子(ばんどう まさこ)氏のプロフィール
大阪府生まれ。大阪府立大手前高校卒。1960年京都大学理学部物理学科卒、65年京都大学理学研究科博士課程修了、京都大学理学研究科助手、87年愛知大学教養部教授、91年同教養部長、2001年同情報処理センター所長、08年愛知大学名誉教授。専門は、素粒子論、非線形物理(交通流理論・経済物理学)。研究と子育てを両立させるため、博士課程の時に自宅を開放し、女子大学院生仲間らと共同保育をはじめ、1年後、京都大学に保育所設立を実現させた。その後も「女性研究者のリーダーシップ研究会」や「女性研究者の会:京都」の代表を務めるなど、女性研究者の積極的な社会貢献を目指す活動を続けている。02年日本物理学会理事男女共同参画推進委員会委員長(初代)、03年「男女共同参画学協会連絡会」(自然科学系の32学協会から成る)委員長、06年日本物理学会長などを務め、会長の任期終了後も引き続き日本物理学会キャリア支援センター長に。09年3月若手研究者支援NPO法人「知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん」を設立、理事長に就任。「4次元を越える物理と素粒子」(坂東昌子・中野博明 共立出版)、「理系の女の生き方ガイド」(坂東昌子・宇野賀津子 講談社ブルーバックス)、「女の一生シリーズ-現代『科学は女性の未来を開く』」(執筆分担、岩波書店)、「大学再生の条件『多人数講義でのコミュニケーションの試み』」(大月書店)、「性差の科学」(ドメス出版)など著書多数。

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