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最近のDNA型鑑定と刑事裁判の問題点(押田茂實 氏 / 日本大学 名誉教授《法医学》)

2012.11.26

押田茂實 氏 / 日本大学 名誉教授(法医学)

日本大学 名誉教授(法医学) 押田茂實 氏
押田茂實 氏

 科学的な捜査が行われ、鑑定結果を見分ける確かな目を検察官や裁判官が備えていれば、無実の人間をこれほど長い間苦しめることはなかった——。こうした事例が、次々に明らかになっている。法医学者として実際に関わった例を幾つか紹介し、直接証拠より自白や証言に頼る司法関係者の猛省を促したい。

姫路・郵便局強盗事件の再審開始請求

 11月4日(水)にテレビ朝日の報道番組「ザ・スクープスペシャル」で、平成24年度文化庁芸術祭参加作品「真相〜DNA、一致せず〜」が90分にわたり放映された。

 この事件を知る人は少ないかもしれない。2001年6月、姫路市内の郵便局に目出し帽をかぶった犯人2人が現金約2,200万円を奪った事件である。ナイジェリア国籍のJ氏が逮捕、起訴され、最高裁まで争ったものの懲役6年の実刑判決が確定した。

 この事件について最初に相談を受けた時には、「Jは正義か? チクったのはフライデーです」というので、とんでもない話のようにも思えた。よく話を聞いて二人組の犯人の1人が無実を訴えて再審を求めていると分かったが、確かにおかしなところが多い。

 そこで、大阪の弁護士を経由して、正式に目出し帽のDNA型鑑定を依頼してもらった。念のために、目出し帽を東京・神保町のスポーツ店で買う。家に帰って自分でかぶり、さらに「金を出せ」と演技までしてから、鑑定科学技術センターでその目出し帽のDNA型検査をしてみたところ、確実に小生のDNA型のみが検出された。

 まず、持ち込まれた緑色の目出し帽(郵便局内で発見された)について、鼻のところに付着していた微物などを検査したところ、複数のDNA型が検出された。しかし、疑われていたJ氏のDNA型は検出されなかった。なお、Y−STR型と呼ばれる別のDNA鑑定法でも念のため検査したところ、明らかにJ氏の型は検出されず、複数の別な人の型が検出されたのである。この結果をまとめて、依頼された弁護士に鑑定書として提出したのが今年10月11日であった。

 J氏は2009年に懲役6年の刑期を終了して出所し、結婚していた妻と子供のところに約8年ぶりに帰った。その後、ナイジェリアに強制送還されるかどうかの裁判が進行し、一審で強制送還の決定が出たため、J氏は大阪高裁に控訴していた。最終段階で裁判所に提出された今回のDNA型鑑定によって大阪高裁も結審を見送り、再審の結果が出るまでの猶予期間が得られた。

 再審請求裁判は今年3月に開始され、犯人が目出し帽を脱ぐ直前に砂嵐が入っているカメラ映像や目出し帽に残された毛髪の鑑定結果などに関して争っていたが、今回のDNA型鑑定書も裁判で提出された。検察側は、今年9月に提出した意見書で、「緑色の目出し帽は主犯が使用し、別な青色の目出し帽をJ氏が使用したのである」と主張していた。そこへ、「青色の目出し帽(J氏の倉庫で発見された)からも、J氏ではないDNA型が明らかに検出された」という鑑定書が提出されたのである。

 テレビ朝日では7年前から取材をしていたとのことで、この鑑定書を決定的な証拠として、90分の番組を企画した。そこで、私が名誉教授として日本大学法学部で「法医学」の講義している様子や、鑑定科学技術センター(世田谷区)のDNA鑑定機器の撮影も行われた。鑑定科学技術センターに「ザ・スクープ」のキャスターである鳥越俊太郎さんが訪ねてきたので、白衣と帽子やマスクを着用してもらい、測定機器のところで正式なインタビューを撮影した。これらの集大成が放送されたのである。

 刑事裁判における証拠の取り扱い、ことに被告人にとって有利な証拠の裁判への提出、証拠改ざんが疑われる場合の対応、裁判確定後における証拠物件の取り扱い、警察以外の科学鑑定機関による鑑定の有用性などが、今大きな関心を集めている。今後この再審請求の裁判は、全国から注目されるだろう。

 この番組放映の前に弁護団の記者会見が行われ、10月31日の毎日新聞朝刊など新聞でも報道された。

東電OL殺人事件の再審判決

 東京電力の女性社員が1997年に殺害された事件の再審で、東京高裁は11月7日、無期懲役となって服役していたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさん(46)を無罪とする判決を言い渡した。無罪を決定付けたのは、被害者の手の爪に残っていた付着物であり、マイナリさんとは異なる人物のDNA型が検出されていた。

 マイナリさんの境遇が一転したのは、2011年7月に「遺留物から別人のDNA型が検出」との読売新聞のスクープからだった。その後のDNA型検査により、今年6月には東京高裁で再審開始の決定が出され、マイナリさんは強制送還となり、奥様や2人の娘と一緒にネパールに帰国した。これらの状況に関しては詳細に報道がなされている。

 しかし、無罪の判決はもっと早くだされるべきだった。現場のトイレで発見されたコンドームの中の精液の形状が、事件発生時よりも前だと推定されるという鑑定書を小生が提出したのは、2001年7月である。当時日本に滞在していたネパール人男性などの協力により1月間にわたり二度とできないような詳細な実験によって得られた貴重な鑑定書だった。最高裁の決定はそれに一言も触れられることなく、無期懲役が確定してしまったのである。(2011年7月27日ニュース「東電女子社員殺人事件弁護団DNA鑑定書新証拠として提出」、2010年5月31日インタビュー記事「DNA型鑑定犯罪捜査応用のあるべき姿」第4回「無罪判決の難しさ」参照」)

 この当時に詳細なDNA型再鑑定を施行していれば、その後の約10年間の懲役刑は不必要であったと思われ、残念でならない。2011年1-3月ごろには、事件当時に某大学講師だった人物が「押田鑑定(精液)は不備である」と指摘したことを根拠にして、検察官が再審開始の却下を強力に主張していたのである。そこで、不審に思い、この鑑定者の経歴を調査したところ、法医学専門家ではなく医師でもない薬学部出身者で法医鑑定の実績も無いことが判明した。この頃から急速にDNA型再鑑定が注目されてきたのである。

 足利事件の鑑定書(1997年)、福井中学生殺人事件の鑑定書(1996年)、東電OL殺人事件の鑑定書(2001年)と3件続けて小生の鑑定結果が同じような経過をたどって、その後再審開始決定となったことに憤慨し、本音で「最高裁はばかじゃないかと思った」と話したことが新聞記事に掲載された(下野新聞:24年6月18日など)。

痴漢事件とDNA型鑑定

 5月の連休後の1週間の間に5回も、下着の中に手を入れたという痴漢事件に関して、DNA型鑑定を依頼された。

 担当弁護士によると、「“被害者”とされる高校1年生の方が、逆に被告のズボンの股間のところを約10分にわたりまさぐった」というのである。予備試験として小生のみが使用している制服のズボンについてDNAの検査をしたところ、小生のDNA型のみが検出された。そこで、その当日に被告が着用して保存してあったズボンの股間部からセロテープで慎重に試料を採取し、DNA型を検査したところ、複数のDNA型が検出された。被告人は警察に勾留されていたので、足利事件と同じように本人に毛髪を抜いてもらい、ビニール袋に入れて弁護士宛に送ってもらった。この毛髪をDNA型検査したところ、毛髪と同一の型は全てズボンから検出されていた。残るDNAの型に関しては誰のものか判明しないが、明らかに別人のDNA型も検出されていた。

 これらの鑑定書を、ある金曜日の午後に手渡すことになっていた。当日午前中に開示された被害者と被告人のDNA型を写真に撮影して持参して、弁護士が鑑定書を受け取りに来た。その結果は衝撃的なもので、「被告の型は当方の鑑定結果と一致しており、残る別人のDNA型は高校1年生の“被害者”の型と一致していた」。つまり、被害者の証言と異なって、被告人の言い分が証明されたことになったのである。

 11月16日(金)に開催された公開の公判で、以上の結果を鑑定証人として証言した。ズボンの該当部の中央に長くセロテープを貼ったままにして残しており、再鑑定に備えていることも証言した。

 本件では、被告人は犯行を認めなかったため、結果として5カ月間以上身柄を拘束され、事件関係者の証言後にやっと釈放された。

 最近では痴漢事件で無罪判決が続出している。証言に頼らずにどのような初期捜査や検査が重要であるのか、どこまで緊急に確実に検査を施行すべきか…。大きな課題が残されていると痛感させられた。

 世の中には常識では考えられない現象が発生しており、「人はうそをつくこともあるが、モノはうそをつかない」ということを再確認した。

日本大学 名誉教授(法医学) 押田茂實 氏
押田茂實 氏
(おしだ しげみ)

押田茂實(おしだ しげみ)氏のプロフィール
埼玉県立熊谷高校卒、1967年東北大学医学部卒、68年同大学医学部助手、78年同医学部助教授、85年日本大学医学部教授(法医学)、2007年日本大学医学部次長、08年医学部(研究所)法医学教授、11年日本大学名誉教授(法医学)。2012年1月神楽坂法医学研究所を開設。数多くの犯罪事件にかかわる法医解剖、DNA型鑑定、薬毒物分析のほか、日航機御巣鷹山墜落事故、中華航空機墜落事故、阪神・淡路大震災など大事故・大災害現場での遺体身元確認作業などでも重要な役割を果たす。編著書に「Q&A見てわかるDNA型鑑定(DVD付)(GENJIN刑事弁護シリーズ13)」(押田茂實・岡部保男編著、現代人文社)、「法医学現場の真相-今だから語れる『事件・事故』の裏側」(祥伝社新書)、「医療事故:知っておきたい実情と問題点」(祥伝社新書)など。医療事故の解析もライフワークとしており、「実例に学ぶ-医療事故」(ビデオパック ニッポン)などのビデオシリーズやDVDもある。

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